300.【ち】 『忠言(ちゅうげん)は耳(みみ)に逆(さか)らう』 (2005.09.05)
『忠言は耳に逆らう』
忠告や諌(いさ)める言葉は、兎角(とかく)聞く側の感情を害すものだから、素直に聞き入れられ難(にく)い。
★「良薬苦於口、而利於病、忠言逆於耳、而利於行(良薬は口に苦けれど病に利あり、忠言は耳に逆らえども行に利あり)」は、孔子の言葉とされる。
出典@:「史記−淮南王伝」「忠言逆於耳利於行」
出典A:「孔子家語−六本」
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三吉がお町に梨を渡すと、「だるま」の客どもの目が一斉(いっせい)にこちらを向いた。
お町の美貌(びぼう)も伊達(だて)じゃないということである。
熊五郎と半次は、お町の人気というものを改めて知らされた思いである。

>半:やい三公(さんこう)、こりゃぁ大変だぞ。お前ぇ1人だけが抜け駆けしたら、こいつらみんなから恨(うら)まれそうだぜ。
>三:そんなこと言ったって、引き下がれますか。お町ちゃんだって誰かとは一緒になるんでしょう? これくらいで気圧(けお)されてたら、誰かに持ってかれちゃうじゃありませんか。
>半:それもそうか。・・・しかしよ、睨(にら)んでやがるのまでいるぜ。夜道を歩いてて後ろからぶっすりなんての、俺は嫌だぜ。
>三:そんななら、おいらの横を歩いたりしなきゃ良いじゃないですか。良いんですよ、縁を切って貰ったって。
>半:おっ、言ったな? 上等(じょうとう)じゃねえか。ああ、切ってやるともよ。
>熊:こらこら。切るほどの縁もねえ癖に、大騒ぎするなっての。
>半:そう言やそうか。・・・まあ、万が一、午(うま)之助父(とっ)つぁんの婿(むこ)にでもなったら嫌でも会うことになるがよ。でもな、破落戸(ごろつき)五六蔵の子分だからな。
>三:それは昔の話でしょう? 今は、真面目(まじめ)な職人ですからね。そういう売り言葉も買いません。
>半:なんだよ、詰(つ)まらねえな。乗ってもこねえのか。
>三:はい。乗りません。ここではね。
>半:成る程ねえ。それもこれもお町ちゃんに好かれたいがためか。
>三:そういうもんでしょ? それに、ほんとに午之助さんの倅(せがれ)になるかも知れないですからね。半次さんに手を上げる訳にはいきません。
>半:へえ。結構(けっこう)強気じゃねえか。
>三:だってね、そもそもは、「婿探しを」ってんでおいらのとこに来た話なんですからね。・・・元締めが勝手に掻き集めた10人の中の1人ですけど。
>半:そうか。そりゃ、三公に分(ぶ)があるな。・・・まあ、仕方ねえ。手伝ってやるか。ややこしい話の元を作っちまったのは俺なんだからな。

三吉が売り言葉を買わないのは、血を見たくないという一点に因(よ)るのだとは、熊五郎も言わなかった。

>熊:おお、そうだったな。その話をしてやんなきゃな。
>半:もうちっと落ち着いた頃で良いだろう? 俺にもちっとくらい飲み食いさせて呉れよ。
>熊:ああ。そうして呉れ。どうせ今こっちへ呼んだって、またみんなに睨まれちまうだろうからよ。
>半:その点、俺はなんてことねえぜ。なんてったって、俺と午之助さんは仕事仲間なんだからな。
>三:おいらだって構いませんよ。お町ちゃんが近くに来て呉れた方が良いですから。
>半:三公、お前ぇ、近頃質(たち)が変わったんじゃねえのか?
>三:変わりもしますって。現にもう、お町ちゃんに祝言(しゅうげん)話を持ち込んだ人が出てきちゃってるんですからね。
>半:そうか。それを言われちゃ、返す言葉もねえや。仰(おお)せの通りにいたしやしょ。

ところが、暑い宵(よい)ということもあって客が引きも切らず、お町は天手古舞いである。
三吉たちのいる卓へ銚子を運んできても、直(す)ぐに声が掛かって、そっちへ行ってしまう。
そういうところへ、お咲がやって来た。

>咲:お待たせ、お町ちゃん。忙(いそが)しそうね。
>町:あ。来て呉れたの? 助かるわぁ。
>咲:家(うち)の宿六(やどろく)が飲み過ぎてやしないかと思って見に来たのよ。
>熊:誰が宿六だと?
>咲:あら。一旦帰ってきたのに、態々(わざわざ)また出掛けて飲んだくれてる人のことは、他になんて言えば良いのかしら?
>熊:それはだな、お町ちゃんにだな・・・
>町:あたしに? なんなの?
>咲:内緒(ないしょ)の話なんだってさ。
>熊:内緒じゃねえって。話すと長くなるってだけだ。
>咲:今、忙(いそが)しいんだから後にして。さ、さ、お仕事お仕事っと。

そんな調子ではあったが、お咲の手際(てぎわ)は頗(すこぶ)る良い。流石(さすが)に慣れたものである。
騒然(そうぜん)としていた台所(だいどころ)が、瞬(またた)く間に落ち着いた。
お咲は「はい、お待ち遠様。三ちゃんの正面が空いてるわ」と、お町を送り出した。

>町:それで? あたしに長い話ってのは何?
>熊:そいつは、半次が話すよ。
>半:あのな、お町ちゃん。お前ぇんとこへ、一緒になりてえって申し入れがあっただろう?
>町:ええ。でも、あたしは請(う)けないわよ。
>半:請ける請けねえは、どっちだって良いんだが、その元んなってるのが、どうやら俺らしいんだ。
>町:ええっ。そうなの? どういうこと?

半次が、竜(りゅう)との経緯(いきさつ)から話し始めた。
よくよく聞いてみれば、ことの発端(ほったん)からまだ5日と経(た)っていないのである。

>町:それにしても凄(すご)いわねえ。半次さんに聞いてからとしたって、元締めのところにこんなに早く行ける?
>半:そりゃ、お町ちゃんみてえな別嬪(べっぴん)だったら一目で惚(ほ)れちまうだろう? そんで、1日くらいどうしたら良いか考えるわな。それから、直ぐに親方かなんかに頼むと、次の日には親方が元締めへ会いに行くだろ。・・・5日もありゃなんとでもなるさ。
>熊:間に、竜と秀との喧嘩が入ってるだろう?
>三:それに、元締めが来たのは今日じゃなくって、昨日じゃないですか。
>半:そんじゃよ。秀って野郎は、自分の親方を通さねえで、自分で元締めんとこへ行ったんだな。
>熊:自分で文(ふみ)を書いて、投げ込んだだけかも知れねえ。
>半:うーん。そうかも知れねえな。
>町:やだあ。それって、なんだか気持ち悪い。変な人なんじゃないの?
>半:松つぁんに聞いたけど、見て呉れは、苦味(にがみ)走った好い男だって言ってたぜ。
>町:中身は?
>半:そこまでは知らねえってよ。見に行きてえってんなら、松つぁんに言っとくがどうする?
>町:要らない。
>半:だって、好い男だぜ。別嬪に好い男ってのは、釣り合いそうじゃねえか。
>町:もしその人がそんな訳であたしのことが欲しいって言ってるんなら、願い下げよ。あたしはその人のお飾りじゃないの。見せびらかしの種(たね)にされるだけだし、後から綺麗で生きの良いのが見付かったら、ぽいって捨てられちゃうだけだもの。
>半:そうじゃねえかも知れねえんだぜ。
>町:嫌よ。・・・だって、あっちがあたしことこを知ってるってことは、ここか家に見に来たってことじゃない。こっちだけ知らないってのが気に入らない。

>半:そうか。そういうことなら仕様がねえな。・・・だがな、これだけは言っとくぞ。午之助父つぁんは、一人娘のお町ちゃんが早く好い人と一緒になるのを望んでるんだ。
>町:そんなの分かってる。でも、それくらいにしといてよ。半次さんの言うことも、源五郎小父(おじ)ちゃんとこのあやさんの言うことも、お咲ちゃんの言うことも分かってるのよ。だけど、分かってるからこそ捻(ひね)くれちゃうんじゃない。
>半:そんなこと言うなよ。
>町:考えるから待ってよ。そう急(せ)かさないでおいて貰いたいの。あたしだって、無い頭を絞(しぼ)って、願ってたことと今のあたしとの折り合いどころを見付けてるんだから。一所懸命してるんだからね。
>半:す、済まねえ。余計なことを言っちまった。
>熊:・・・今日んところは、ここまでだな。
>半:ほんとに済まねえ。
>熊:聞いて貰うってことが今日の用だからな。・・・なあ、お町ちゃん。答えを出せとかそういうことじゃねえんだから。
>町:分かってる。話しに来て呉れたことは嬉しいのよ。それはとっても、あたしのためになった。・・・半次さん、あたし、取り乱しちゃってご免なさい

お町の大声を聞いて、周りの者たちは猪口(ちょこ)や箸(はし)を持ったまま固まっていたが、侘(わ)びの言葉を聞いて、どうにか胸を撫で下ろしたようだ。
お町は、逃げるようにして台所へ引っ込んだ。

>咲:どう、お町ちゃん? すっきりした?
>町:変な聞き方するのね、お咲ちゃんったら。
>咲:でも、大きい声を出すと、何かが吹っ切れるものよね。溜(た)め過ぎるのよね、我慢し過ぎるのよね、気遣(きづか)いをする人ってのは。
>町:あたしが? そんなご立派なもんじゃないわよ。でも、ちょっとすっきりしたかな。
>咲:それは良かったわね。ちょっとは次のことを考えられそう?
>町:あら。またお節介(せっかい)?
>咲:自分の方が巧く行ってると、余裕(よゆう)なのよね。お節介を焼く暇(ひま)がたくさんあって。
>町:良く言うわね。・・・でも、熊さんって好い人ね。ちゃんと、あたしと半次さんの両方に気を遣って呉れる。
>咲:自分たちのことになると、からっきしってところが玉に瑕(きず)。
>町:あーあ。あたし、熊さんみたいな人なら良かったな。
>咲:それってお世辞(せじ)?
>町:違うわよ。
>咲:でも大丈夫よ。お町ちゃんが良く知ってる人に付いて修行してれば、みんなそうなれるの

>町:源五郎の小父ちゃんのお陰ってこと?
>咲:そう。八つぁんのはちょっと分かり難(にく)いけど、みんなそうでしょ? 勿論(もちろん)、三ちゃんもね。
>町:そうかしら?
>咲:まだまだ、駆け出しだけど、見込みは十分よ。これからはお町ちゃん次第(しだい)ってとこも、あるかも。
>町:止(や)めてよ。お咲ちゃんったら、まったく、お節介。

お町は、満更(まんざら)でもないような顔付きになっている。
何かが変わり始めた証(あかし)かも知れないと、お咲は独(ひと)り北叟(ほくそ)笑んでいる。

そんな頃長屋では、八兵衛は母親の前に正座させられていた。お小言(こごと)である。

>母:ほんと馬鹿だねこの子は。一体誰に似たんだろうね?
>八:母ちゃんにだろう?
>母:そんな訳があるかい。・・・良いかい? お花の有りようを見たら、誰だって稚児(やや)ができたんだって分かろうってもんだ。それをお前は・・・
>八:なんだと? そんなこと、お花は言ってなかったぞ。
>母:当たり前じゃないか。そんなのは、こっちで気が付くもんだ。それをお前という奴は、ほんとに食うことと飲むことしか考えてないのかい。
>八:そ、そりゃ、おいらの取り柄(え)だからな。
>母:そんな取り柄があるかい。当分、糠床(ぬかどこ)は近所に預(あず)けるからね。その間、糠漬けは無しだよ。
>八:そ、そんなぁ・・・
(第35章の完・つづく)−−−≪HOME