渇すれども盗泉の水を飲まず(かっすれどもとうせんのみずをのまず)

ことわざの意味
いくら苦しく困っていても、不正、不義に汚れることを嫌い、身を慎むこと。

ことわざの由来

中国の孔子が「盗泉」という所を通った時、喉が渇いていたが、その地名の悪さを嫌ってそこの水を飲まなかった。

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出典について

淮南子-説山訓」「曾子立廉、不飲盗泉、所謂養志者也」

ことわざに関連する人物の詳細

孔子(こうし)は、中国、春秋時代の学者、思想家。前551~前479。名は丘(きゅう)。字(あざな)は仲尼(ちゅうじ)。儒教の開祖。魯の昌平郷陬邑(すうゆう=山東省曲阜県)の生まれ。最初司寇(しこう)として魯国に仕えたが、容れられず、辞して祖国を去り、多くの門人を引き連れて、約14年間、70余国を歴訪、遊説。聖王の道を総合大成し、「仁」を理想とする道徳主義を説いて、徳治政治を強調した。晩年は教育と著述に専念し、六経(、楽、春秋)を選択編定したとされる。後世、文宣王と諡(おくりな)され、至聖として孔子廟(文廟ともいう)に祀られた。