第22章「べらんめえ半次の動揺(仮題)」

195.【こ】 『五十歩百歩(ごじっぽひゃっぽ)』
 (2003/08/25)
『五十歩百歩』
自分と大差がないのに人の言動を笑うこと。小さな差はあるが、本質的に違いはないことの喩え。 ★「五十歩を以って百歩を笑う」の略。
類:●目糞が鼻糞を笑う●樽抜き渋柿を笑う●団栗の背比べ似たり寄ったり●The pot calls the kettle black.鍋はやかんを黒いと笑う<「英⇔日」対照・名言ことわざ辞典
故事:孟子−梁恵王上」 「以五十歩笑百歩、則如何」 梁(りょう)の国の恵王(けいおう)が、良い政治を行なっているのに隣国の人口とあまり変わらず、人口が増えないのはなぜかと孟子に尋ねた。孟子は、「戦場で50歩逃げた者が、100歩逃げた者を臆病者と笑ったとしたらどうですか?」と言った。恵王は、どちらも逃げたことには変わりないと答えた。すると孟子は、「王が言うところの民のための良い政治も、隣の国とあまり変わりがないということです」と諭(さと)した。
出典:孟子(もうし) 中国、儒教の経典。四書の一つ。7編。孟子の言行をその弟子が編纂したもの。宋代の朱子によって四書(『大学』『中庸』『論語』『孟子』)に列せられてから特に盛行。仁義の道を強調し、やがて仁義礼智の四端の説を確立した。日本では、易姓革命の主張と我が国体とが相容れないとして忌避傾向もあったが、江戸時代に入って朱子学の流行と共に必読の書となった。
人物:孟子(もうし) 戦国時代の儒家。魯(=山東省)の鄒(すう)の人。名は軻(か)、字は子輿(しよ)。前372〜前289。孔子が唱えた仁に加えて義を説き、巧みに比喩を用いた優れた議論によって、戦国諸子百家の説の中に儒教思想の基礎を確立した。性善説に立ち、人は修養によって仁義礼智の四徳を成就する可能性を持つと主張し、富国強兵を覇道として斥(しりぞ)け、仁政徳治による王道政治を提唱した。亜聖と呼ばれる。著に『孟子』がある。
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孫の源太の汗疹(あせも)が、見るからに痒(かゆ)そうだからと、棟梁・源蔵は、「どうにかしてやれ」と源五郎に命令する。
壊(こわ)れ物を弄(いじ)るようで、どうにも気安く手を出せないのである。
源五郎が「痛みや痒みじゃ死にゃあしねえよ」と答えると、「その言い種(ぐさ)はなんだ」と難癖(なんくせ)を付ける揚げ足取りも良いところである。

>源:静(しずか)のときは、汗疹程度じゃ大騒ぎしなかった癖しやがって。
>棟:静は汗疹なんか拵(こさ)えことなんかねえじゃねえか。
>源:汗疹ができねえ赤ん坊なんか、いるかってんだ。夏は暑いから誰だって汗を掻(か)くの。汗を掻かなかったら心配だろうよ。・・・兎も角だ、汗疹だとか、そんな下(くだ)らねえことで、がたがた大騒ぎするなってんだ。弟子どもに聞こえたら恥ずかしいじゃねえか。
>棟:下らねえだと? お前ぇには血も涙もねえのか? 源太はな、冬に生まれたから特に、暑さが身に堪(こた)えてるんだって、そういう風には思い当たらねえのか? 嗚呼(ああ)情けねえ
>源:まだ半年くらいしか経ってねえ赤ん坊に、情けなんか掛けたって、本人は覚えちゃいねえ。
>棟:その言い様が冷血漢だってんだ。晒(さら)しかなんかでこまめに汗を拭ってやるとか、粉を叩いてやるとか、なんでも良いからしてやれってんだ。
>源:そんなに言うんなら、親父(おやじ)がすれば良いだろう?
>棟:手前ぇの倅(せがれ)だろう?
>源:親父の孫だろう?

>雅:まったく、朝っぱらから五月蝿(うるさ)いねえ。源太が吃驚(びっくり)しちゃうじゃないか。・・・どうれ、貸してご覧よ。あたしがやってあげるから。
>源:母(かあ)ちゃん。何も母ちゃんがやることはねえよ。俺がやりゃ良いんだろ? 俺が。
>雅:何言ってるんだい。自分の子供も満足に抱けない癖して。
>源:そ、そんなことねえさ。
>雅:どうだかね。あんたの父親に似たんだろうよ。・・・誰かさんも、お前のことを上手(じょうず)に抱けなかったっけねえ。
>棟:な、何を今更。そんなこと、ここで出さなくったって良いじゃねえか。
>雅:はいはい、そうで御座いましたね。・・・でも、源五郎のことを「しようのない奴だ」なんてもう言えないわねえ、お前さん。まったく、下らないとこばっかり似るんだねえ、親子ってのは。

源蔵と源五郎は、その場に居た堪(たま)れなくなって、すごすごとそれぞれの部屋へ引き上げた。
源太は、汗疹の痒みなどまったく気にした風もなく、祖母の腕をぱしぱしと引っ叩(ぱた)いて遊んでいる。

>あや:棟梁もあなたと一緒だったんですってね。
>源:笑うなってんだ。日頃っから材木なんかばっかり相手にしてるから、柔らかいもんは扱(あつか)い辛いんだよ。
>あや:あら、大福餅とか豆腐なんかは、なんの抵抗もなく食べてるじゃないですか? なんだか可笑しいですね。
>源:生き物と食い物じゃあ、ものが違うだろう。
>あや:そうですね。確かに違います。・・・でも、だからって赤ん坊を巧く抱けない理由にはなりませんわね。
>源:そりゃあそうだが・・・
>あや:でも、わたしは構いませんよ。静くらいの年になればもう平気ですものね? あなたに、棟梁が抱いてくれなかったっていう記憶が残っると言うんなら、話は別ですけど。
>源:そんな小さいときのことなんか誰が覚えてるかってんだ。

静がどたどたと廊下を走ってきた。楽しい話でもしているのじゃないかと、見にきたのだ。
「おんも?」 どこか楽しいところへ出掛けるのかと聞いているのだ。

>源:父ちゃんはおしごと、だ。母ちゃんにどっかへ連れてって貰いな。
>静:オシゴト?
>源:そうだよ。とんてんかんだ。
>静:トンテンカン、トンテンカン。・・・ハチと?
>源:ああそうだ。八と一緒だ。・・・どういう訳か、八の名前だけは覚えちまったな?
>あや:子供あしらいが巧いんですね、八兵衛さんは。
>源:まあ、確かに、愛嬌はあるがな。
>あや:誰か良い娘さんがいたら、引き合わせてあげたいですねえ。
>源:ああ、そうだな。
>あや:あなたと違って、上手に稚児(やや)を抱くんでしょうね、きっと。
>源:嫌味か、それは。
>静:イヤミイヤミ・・・。はははっ。

葉月初め(今の9月初旬)といえば、暦(こよみ)の上では中秋の筈なのだが、残暑はまだまだ厳しそうである。
朝だというのに、蝉(せみ)どもの大合奏が始まっていた。

>五六:おはよう御座いやす、親方。
>源:おう、五六蔵。いつもより早いじゃねえか。
>五六:暑くって寝てなんかいられませんや。あっしの生まれは信州でやしょう? 江戸の夏は辛いんでやすよ。
>源:うちに来たからって涼しくなる訳でもあるめえに。
>五六:そうでもねえですよ。狭苦しい長屋と違って、広い土間があるだけで、ひんやりと感じるもんでやす。
>源:ふうん。そういうもんかね。俺には分からねえがな。
>五六:そういうもんでやすって。・・・それとですね、親方。あの・・・
>源:なんだ? 里帰りの話か?
>五六:え? 知っていなすったんでやすかい?
>源:飲み屋での話だろうと、ちゃーんと聞こえてくるさ。・・・俺の耳へじゃあねえがな。
>五六:なるへそ。姐さんのところへでやすね? ・・・それですすね、その話は無しになりやして。
>源:なんでだ? お前ぇたちもなんだかんだいいながら、3年も勤め上げてきたんだ。半月くらいなら里帰りしたって構わねえぞ。
>五六:そうしたいのは山々なんでやすが、お三千の話だと、どうやらできちまったようなんで。
>源:できたって、稚児(ややこ)か?
>五六:へい。勘違いでなければ、でやすが。
>源:そりゃあ目出度えじゃねえか。・・・そりゃあ残暑じゃなくたって、寝てなんかいられねえ訳だな?
>五六:お恥ずかしい。
>源:恥ずかしいことなんかあるもんか。良かったじゃねえか。早速(さっそく)あやのやつを、お三っちゃんのとこへ遣らせるぜ。・・・そうだ、お前ぇは、菜々ちゃんのところへ報(しら)せにいってやれ。
>五六:良いんでやすかい?
>源:ああ構わねえ。菜々ちゃんが見て、間違いねえとなったら、みんなにも教えちまって構わねえな?
>五六:へい。そうしてお呉んなせえ。

源五郎は、五六蔵の背中を見送りながら、次はいよいよ八兵衛の番かと、溜め息を吐(つ)いた。
付き合いが長過ぎるせいであろうか、いざ相手を宛がう段になると、どうしてもぴったり合いそうには思えないのだ。
真逆(まさか)、八兵衛の身になって考えている訳でもあるまいにと、苦笑いをしていた。

>あや:あら、そうですか。なんだか、来年は重なりそうですね。
>源:なんだ? お前の勘か?
>あや:あら、知らなかったんですか? 松吉さんのところと四郎さんのところも、どうやらそうらしいんですってよ。
>源:なんだと? それじゃあ、五六蔵のところは、兄妹揃ってってことなのか?
>あや:産(うぶ)祝いも3つ重なると嵩(かさ)みますね?
>源:何を嬉しそうに・・・
>あや:だって、源太の弟や妹ができるんですもの。賑(にぎ)やかになりますわね。
>源:暢気(のんき)だな、お前ぇは。
>あや:嬉しくないんですか?
>源:そういうことじゃねえさ。何も示し合わせたように時期を重ねることもねえだろうってことだよ。
>あや:こればかりは、授(さず)かりものですからねえ。・・・もしかすると、梅雨が長かったことと関係があるかも知れませんわね。
>源:真逆な。そんなことでもあったら、どこもかしこもおんなじ生まれになっちまうじゃねえか。想像すると、ちょいと恐いようだな。周りのみんなが揃いも揃って稚児を抱いてるなんざ、まるで、八への当て付けだな。考え過ぎかな?
>あや:さあ? ・・・案外、もっと本気になって探してあげなさいっていう思(おぼ)し召しかも知れませんね。

>源:頭が痛え話だよな。好い加減(かげん)年を食った大人なんだからよ、自分でなんとでもしろってんだよな、まったく。
>あや:あら、わたしが甚兵衛さんから聞いた話だと、数年前のあなたもそう言われていたそうですけど?
>源:混ぜっ返すなってんだ。
>あや:八兵衛さんのことを晩生(おくて)だなんて笑えませんね。
>源:俺のことはこの際どうだって良いだろう?
>あや:都合が悪くなると、自分のことを棚に上げるところも、親譲りなのかしら?
>源:なんだよ。今朝はやけに絡(から)むな?
>あや:内緒の話なんですけど、もしかしたら、うちも同じころに生まれるかも知れないんです。
>源:なんだと? 本当なのか?
>あや:いけなかったかしら?
>源:そんな訳があるか。・・・しかし、どうなってやがるんだ? 八や熊には、一体どういう風に説明すりゃ良いんだよ?
>あや:事実をありのままにどうぞ。
>源:とほほほ・・・
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