264.【そ】 『袖(そで)振り合うも多生(たしょう)の縁(えん)』 (2004.12.27)
『袖振り合うも多生の縁』[=触り合うも〜・擦り合うも〜・触れ合うも〜]・[=他生の縁]
見知らぬ人と袖が触れ合う程度の些細なことも、(または振り合うような間柄も、)前世からの因縁に依(よ)るものである。どんな小さな事、ちょっとした人との交渉も、全て深い宿縁に基づくものである。
参考:多生の縁
類:●一樹の陰一河の流れも多生の縁躓く石も縁の端
反:●兄弟は他人の始まり
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「大名が関わっているらしい」というのは、厳密には、正しい情報ではなかった。
上州高崎藩主「輝▲」の、四番目の弟の「輝■」というのがそれだったらしい。
内房老人の説明によると、亡(な)き先代が「輝●」で、初代藩主が「輝○」なのだと言う。
熊五郎や八兵衛には、武家の名前など、とても覚えられるものではない。

>八:名前なんかどうだっていいんですよ、ご隠居。そんなことより、材木の値は下がるんですか下がらないんですか?
>内:下がりますよ。百屋(ももや)は随分とたくさん隠し持っていましたからね。
>熊:するってえと、もう荷はこっちへ向かってるんですかい?
>内:明日か明後日(あさって)には出ると思いますよ。でも、その前に、主立(おもだ)った材木問屋の皆さんには連絡が行っていますから、遅かれ早かれ値も元に戻るでしょう。
>五六:有り難(がて)え。これで半次もどうにかなりやすね?
>熊:ああ、そうだとも。早速(さっそく)知らせに行ってやっちゃどうだ? 序(つい)でに、菜々ちゃんとこに寄って、お津留(つる)坊の頭でも撫(な)でてきてやれ。
>五六:へい。そうしやす。

>内:ああ、五六蔵さん。そういうことなら、鮭(しゃけ)を折りに詰めさせますから持って行ってお上げなさい。
>五六:良いんですかい? まだ"走り"ですぜ。
>内:走りだろうと旬(しゅん)だろうと、鮭自体の味は違いないでしょう? 捕(つか)まってしまったのが、他の鮭より半月ばかり早かったというだけなのですからね。
>五六:はあ、ご尤(もっと)もで。・・・ですが、値は随分と違いますぜ。
>内:希少(きしょう)であるというその1点で値を吊り上げる輩(やから)がいるということです。私はそういうことは嫌いですから。
>八:でも、その高い奴を買ってきてるんでしょう?
>内:そうではないのですよ。買いに行かせてる訳ではありません。送ってくださる人がいるのです。
>八:へえ。そりゃあまた、酷(ひど)く奇特(きとく)なお人ですねえ。
>内:そうですね。旅籠銭(はたごせん)をほんの少しお負けしただけなのにね。もう、かれこれ15年にもなりますか。
>八:15年? そりゃあ凄(すげ)え。・・・ご隠居、その人、おいらにも引き合わせてくださいよ。
>内:越後のお人ですが、会いに行ってみますか?
>八:そ、そりゃまた遠い。・・・へへ。お、おいら、熊と一緒で、この江戸から外へ出たことなんか一遍もねえんですよ。そんな遠くまで歩いてったら、却(かえ)って腹が減っちまうじゃありませんか。

百屋の件は、斉(なり)ちゃんが出向くまでもなく、高崎藩の江戸留守居役(るすいやく)を呼び付けただけで片付いてしまった。
ほんの少しの口止め料で丸め込まれていたというのである。
斉ちゃんが、「輝▲殿が気付く前になんとかするというのであれば、不問に伏す。然(さ)もなければ・・・」と言っただけで、紙のように蒼白になり、「早急(さっきゅう)に」とだけ言い置いて辞去(じきょ)していったという。

>八:それだけで終わっちまったんですか? 町人だと手も足も出ねえってことなんですぜ。
>内:武家の世の中というものは、そういうものなのです。上から言われると楯突くことができない。下からだと、何を仕掛けても蛙の面に水ですがね。
>八:なんだか拍子抜けだな。百屋を引き出してきて、頭をぽかりとやりたかったのにな。
>熊:またそれかよ。お前ぇがぽかりとやったくらいで江戸の職人全部が助かる訳がねえだろう?
>八:そんなの分かるかよ。あの斉ちゃんが二言三言で片付けちまったんだぜ。ぽかりとやる方が力が要(い)る分、大事(おおごと)じゃねえか。
>熊:そういうことを言ってるんじゃねえの。あっちは天下の将軍様で、お前ぇは一介(いっかい)の薄らとんかちなんだからよ。
>八:おいらのどこがとんかちだってんだ。言うんだったらな、鑿(のみ)のように鋭くって鋸(のこ)のように切れる男って言って貰いてえな。
>熊:そういうことじゃねえだろ。・・・まあ良いや。頓痴気(とんちき)を相手にしてても始まらねえ
>八:だからとんかちじゃねえっての。
>熊:切りがねえじゃねえか。そのくらいにしとけ。
>八:今度は錐(きり)か? うーん、まあ、それなら良いや。

>熊:ときに、ご隠居様。太郎兵衛の方はどうなったんですかい?
>内:また、ですよ。また取り逃がしてしまいました。捕(と)り方が行ったときには蛻(もぬ)けの空(から)でした。
>熊:またですかい? 太郎兵衛の野郎、一体全体どうやってばれちまったことを知るんでしょうかねえ?
>内:あちこちに賂(まいな)いをばら撒(ま)いているのでしょう。
>熊:捕り方にもですかい?
>内:こんなご時勢ですから、捕り方だろうが、町奉行所だろうが、貰える銭は貰っておくのでしょう。
>熊:お奉行様は大丈夫なんでしょうね?
>内:根岸様ですか? はっは。あのお方は臍(へそ)曲がりですからね。美味しい話は大嫌いで、辛(から)いお小言(こごと)が大好きと来ているのです。
>八:へえ。お奉行様ってのは、味加減がてんで駄目なんでやすね?
>内:流石(さすが)に、大鋸屑(おがくず)と昆布の違いくらいは分かるようですがね。
>八:そりゃあ良かった。大鋸屑の昆布巻きじゃ、半日煮込んだって固そうですからね。歯でも欠けちまったら、お裁(さば)きするのに格好が付かねえもんな。
>熊:それくらいにしとけ。・・・それでご隠居様、太郎兵衛の行き先はさっぱりなんですか?
>内:ええ。さっぱりです。霞(かすみ)のように跡形もなく消えてしまいました。
>熊:これに懲(こ)りて大人しくなれば良いんですけどね。
>八:無理無理。手癖の悪いのは一生もんだって言うじゃねえか。きっと、今度は違う悪さを考えてくるんだぜ。
>熊:手を易(か)え品を易えって奴か・・・

熊五郎たちは源五郎の家に戻って、そのままを報告したが、源五郎も心配顔である。
心為(こころな)しかも知れないが、大工や職人に狙(ねら)いを絞(しぼ)っているように思えてならない。
「まあ、熱(ほとぼ)りが冷めるまで、暫(しばら)くは隠れているだろうがな」とは言ったものの、もやもやは消えない。

>八:ねえ親方ぁ。偶(たま)には「だるま」にでも行ってきませんか? 家(うち)に居っ放しじゃ、鈍(なま)るでしょう?
>源:ああ、そうだな。静(しずか)のお守(も)りも楽じゃねえからな。偶には良いか。
>八:そう来なくっちゃ。・・・おい、三吉、四郎、それに友さんも。ひとつぱーっと行きやしょう。
>源:五六蔵はどうした?
>八:半次を安心させるんだって、うちの長屋に行ってます。菜々ちゃんとこのお津留坊と遊んでる頃でしょう。
>源:遊んでるってことはねえだろう。まだ半年しか経っちゃいねえんだからよ。呼びに行っちゃどうだ?
>八:そういうことなら、三吉。お前ぇの役回りだ。
>三:八兄い、「役回り」って言う割にはおいらばっかりなんですがね。せめて3回に1回は四郎に回してくださいよ。
>八:うん? そうか? そんじゃ言い直すわ。・・・三吉、お前ぇの「役目」だ。
>三:酷(ひで)え話だね。独(ひと)り身の哀(あわ)れな弟子に、もうちっと優しい言葉を掛けられないんですかねえ?
>八:こちとら気が短(みじけ)えの。御託なんか並べてねえでとっとと駆けていきやがれ。
>三:行きますよ。行きゃあいいんでしょ?

>源:あいつにしちゃ珍しく食い下がったもんだな? 何かあったのか?
>八:「だるま」に好い娘がいるんですよ。
>源:それってのはお町って名前の娘か? 例の、元締めから貰った紙切れの最後に書いてあった?
>八:あれ? 親方、もうご存知だったんで?
>源:知ってるも何も、午之助(うまのすけ)さんの娘だろう? 知ってるさ。
>八:だって、そんなこと一言も言ってなかったじゃねえですか。
>源:10人目までじっくり見てなかっただけだ。あやから名前を聞いたときに、「おや?」と思って確かめたんだ。よくよく見たらあのお町坊じゃねえか。びっくら扱(こ)いたぜ。
>熊:どういったお知り合いなんですか?
>源:どういったって言っても、話すような立派な経緯(いきさつ)がある訳じゃねえよ。唯(ただ)の顔見知りだ。
>八:唯の顔見知りにしちゃ、結構親しそうですけど。
>源:まあ、なんてのか、懐(なつ)かれちまったのさ。午之助さんに。

源五郎を連れて卓に着くと、お町が気付いて飛んできた。

>町:えーっ? 熊さんたちって、源五郎小父(おじ)ちゃんのお弟子さんだったの?
>源:ん? まあな。中々どうして有望な弟子どもだろう?
>町:うん。皆さんとっても銭離(ぜにばな)れが良いわ。
>源:そういう言い方ってのはねえだろう。
>町:だって、それって、あたしの手柄(てがら)ってことなんだもん。
>源:そんなこと言ってると、我利我利亡者って呼ばれるぞ。
>町:良いもん。そしたら、あたしずーっとここで働かせて貰うんだもん。
>三:・・・あの、お町ちゃん。親方とはどういう間柄なんだい?
>町:どうって、端折(はしょ)って言っちゃうと、一緒の布団で寝た仲よね。ねえ、源五郎小父ちゃん?
>三:そ、それって・・・
>源:妙な言い方をするなってんだ。
>町:だってそういうことなんだもん。
>源:お前なあ。そんなのもう10年以上前の話じゃねえか。
>町:なあんだ。もうばらしちゃうのか。つまんない
>三:脅かさないでくださいよ。婚期が5年遅れるかと思いましたよ。
>熊:そういうのは、寿命が5年縮むかと思ったって言うもんだ。あんまり露骨(ろこつ)に言うと、お町ちゃんに嫌われるぞ。
(第30章の完・つづく)−−−≪HOME