第21章「廉潔金太楼の新商品(仮題)」

185.【こ】 『後悔(こうかい)先(さき)に立(た)たず』 
(2003/06/16)
『後悔先に立たず』
既にしてしまったことは、後から悔いても、もう取り返しが付かない。
類:●覆水盆に反らず●It is too late to lock the stable when the horse has been stolen.馬が盗まれてから馬屋に鍵を下ろしても遅過ぎる●A good thing is known when it is lost.なくして初めてその価値が分かる<「英⇔日」対照・名言ことわざ辞典
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「まったくよく降りやがる」と、つい愚痴(ぐち)ってしまいたくなるほど連日の雨である。
「大工殺すにゃ刃物は要(い)らぬ」などという軽口(かるくち)が、合い言葉のように口にされる始末である。

>八:なあ五六蔵、今年は例のやつやらねえのか?
>五六:例のやつって言いやすと?
>八:梅だよ梅。青いやつ。
>五六:そんなことするもんですか。お三千が卒倒(そっとう)しやすぜ。
>八:なんだ、詰まらねえ。お前ぇみてえな頑丈なやつは、偶(たま)に寝込むくらいのが良いんだがな。
>五六:手前勝手なことばっかり言わねえでお呉んなさいよ。そうでなくたって、近頃は、お三千に小言を言われっ放しなんでやすから。
>熊:なんだ? お三っちゃんでも小言なんか言うのか?
>五六:気が付かなかったんでやすかい? 足が不自由な分、輪を掛けて口が達者ときてやす。「むさ苦しい男ばかりが集まって井戸端会議みたいなことしてるんじゃないでしょうね」なんて言われるこっちの身にもなってくださいよ。
>熊:こいつは耳が痛(いて)えな。
>五六:早く帰りゃあ「道具が泣いてるわよ」でやすよ。そんでもって、飲んで遅くなったら「お銚子2本分くらいの働きしかしてないんでしょう」ですぜ。
>熊:止して呉れよ。まるでおいらが言われてるみてえじゃねえか。
>五六:そんなつもりじゃあ・・・
>熊:分かっちゃいるさ。こんなことをやって、無駄話してるって訳にもいかねえなってことよ。せめて飯代分くらいのことはしねえといけねえな。
>八:何をしろってんだ? 人足(にんそく)仕事でも探せって言うのか? ・・・おいらは ご免を蒙(こうむ)るぜ。
>熊:誰がそんなことしろって言うかよ。そんなことしたら親方の顔を潰し兼ねねえじゃねえか。修繕仕事かなんかがねえか聞いて回るとか・・・
>八:御用聞きしろってのか? 冗談も程々にしろってんだ。
>熊:それじゃあ、今日もこのまんまここ油を売ってろって言うのか?

八兵衛は最後まで渋っていたが、三吉と四郎が率先して聞いて回るというので、「お目付け役としてなら」と条件を付けて、重い腰を上げた。

>八:なんでも良いからどっかに揉(も)めごとでも落っこちてねえかなあ。
>熊:止せってんだ。いつかだってほんとに揉めごとが起こっちまったじゃねえか。おいらはもう懲り懲りだからな。
>八:そんなにしょっちゅう起こって堪(たま)るかってんだ。そんな面白い世の中だったら、大欠伸(あくび)しながら三吉の後なんかくっ付いちゃいねえ。
>熊:そうあって呉れりゃ良いんだがな。

と、小糠雨の中を傘も差さず、笠も被(かぶ)らず、思案顔で辻を曲がってきた者がある。
銚子1本の酒で赤くなるという、あの太市である。いや、坂田様と呼ぶべきか。

>八:おや、太市の旦那じゃねえですか?
>太:おお、これは八つぁんに熊さん、皆さんもお揃(そろ)いで。こんな雨の日に仕事ですか? 精が出ますねえ。
>熊:いえね、雨続きで、商売上がったりなもんで、御用聞きにでもと思いやして。
>八:太市の旦那こそ、雨だってのに笠もなしで、どうかしたんでやすかい?
>太:ああそうでしたね。ちょっとばかし考えごとをしてたもので、すっかり忘れてました。
>八:考えごとですかい? ・・・もしかして、面倒なことでやすかい?
>太:うーむ。事情はかなり込み入っているな、確かに。
>八:そうですかい。こりゃあ良い。・・・雨ん中、立ち話もなんですから、そこの団子屋で茶でもどうですかい?
>太:そうですな。考えてばかりでも埒(らち)が明きませんし、ちょっと息抜きしましょうか。
>八:序(つい)でに、どんな話だか聞かせてくださいよ。
>熊:こら八、そんな話をおいらたち下々のもんが聞いたって、仕方がねえじゃねえか。首を突っ込もうなんて魂胆なら止(や)めとけ。
>八:聞くだけだって。大工のおいらたちに何ができるってんだ? 相場だの金回りだのってことだろ? 勿論(もちろん)聞くだけに決まってんじゃねえか。うん、聞くだけだ。
>熊:お前ぇがそういう言い方をするときが、一番始末が悪いの。

五六蔵たちも、兄弟子に従うように団子屋へ入った。
閑古鳥が鳴いていたところへの6人もの客に、主(あるじ)はぱっと顔を輝かせた。前掛けごと揉み手しながら注文を聞きに来た。目指す相手は、一番身形(みなり)の良さそうな太市のところである。

>太:ちょっと長居するかもしれないから、一先(ひとま)ず1本ずつ持ってきてお呉れ。
>亭主:旦那、申し訳ありませんが、うちでは3本ずつしかお出ししてないんですよ。6人前で宜しゅう御座いますね?
>太:それでは、2人前いただこう。それなら良いですね?
>亭主:そ、そうですか? お茶も2人前ですよ。
>太:茶などいくらでもあるでしょう。人数分出してください。
>亭主:ですが、うちの決まりでして・・・
>太:そうか。折角座ったんですが、仕方がない。それでは河岸(かし)を替えるとしましょう。
>八:太市の旦那、団子を1本も食わずに出ちまうんですか? 食いてえなあ・・・。
>太:主(あるじ)、客の足下を見るようなことをすると、一文も儲(もう)からずに終わりますよ。2皿ずつくらい取ろうと思ったので、3×6(さぶろく)18の、倍の、36本分損という勘定です。生憎(あいにく)でしたね。でも、良いことを学びましたね。せいぜい稼(かせ)いでくださいね。・・・さ、余所(よそ)へ参りましょう。

団子屋の亭主は、ぞろぞろと出て行く6人を見送りながら、ぽかんと突っ立っていた。
一行は斜(はす)向かいの甘味処に入った。
こちらの店主は、予め人数を確認してから6つの湯飲みに茶を注いで持ってきた。脇の下に手拭いも6本抱えてきていた。

>店主:お出でなさいませ。まず、濡れたお召し物をお拭きください。・・・それにしても、良く降りますなあ。こう人通りが少ないと、唯でさえ客の少ないうちなんかは、逆に干上がってしまいますよ。・・・ええと、何になさいます?
>太:ちょっと長居になるかもしれないから、間の持ちそうなものはありますかね?
>店主:そうですね、一口大の大福餅なんてものを作ってみたんですが、いかがですか? さもなきゃ、一口大の薄皮饅頭もありますが。
>太:ほう、それは手間が掛かりそうですね。
>店主:へい。手間ばっかりで、その割りに儲けが少のう御座います。もう、かつかつです。
>太:幾らで売ってるんですか?
>店主:へい、2つで1文(約20円)です。普通の大きさのは1つ3文ということにしています。
>太:2つ1文では手間賃も出ないでしょう? 普通のにしたって3文では払い難(にく)かろう。どうせなら、どちらも波銭1枚(4文)ということにしてしまった方が、却(かえ)って良いのではないでしょうか?
>店主:1文銭1つ握り締めてくる子供たちのことを考えますと、中々・・・。商(あきな)いが下手(へた)なんでしょうかねえ?
>太:そうかも知れませんね。向かいの団子屋では3本1皿だそうです。幾らで出しているかは聞きませんでしたが。・・・まあ、お節介はこれくらいにして、小さい大福と小さい饅頭を18個ずつ2回に分けて出していただけますか?
>店主:そんなにたくさんで良う御座いますか? これは久方ぶりの大商いです。
>太:「大商い」がたったの18文ではねえ。うーむ。

それでも、店主はいそいそと奥へ引っ込んでいった。
暫(しばら)く考え込んでいた太市が、やっとお茶を啜り、徐(おもむろ)に思案の訳を語り始めた。
髪の毛はまだ濡れたままである。

>太:皆さんにはあまり関わりのない話かもしれませんが、加賀屋と岡部屋というのはご存知ですよね。
>八:当たり前じゃねえですか。どっちも立派な両替商でやしょう? そんなのそこいらの子供だって知ってますぜ。
>太:そうでしたな。聞くだけ野暮というものですね。・・・実はですね、今、どこの両替商も左前で危ないのです。
>八:だって、景気が悪けりゃ、みんな両替商に借りに行くんでやしょう? 儲かってるんじゃねえんですかい?
>太:借りたい人は沢山いますよ、確かに。ですが、貸し倒れが怖くて、おいそれとは貸せんのです。事実、両替商の帳簿には赤い線で消したところが山ほどあるのですよ。
>八:へえ、そいつは知らなかったな。
>五六:でもよ、旦那、大店なんだから、ちゃんと利子を払って呉れる大口のお客だって沢山あるでやしょう?
>太:それはそうです。それに、誰も好き好んで夜逃げする訳ではありませんからね。あとほんの10両借りられれば潰れずに済んだお店(たな)だって、少なくありません。
>八:なんだよ。そんなら、潰れそうなところに追加で貸してやりゃあ、踏み倒されずに済むんじゃねえか。
>太:それができんのです。
>八:なんででやすか?
>太:貸したからといって必ず持ち直すとは限らないからですよ。そうでしょう?
>八:そんなら、必ず持ち直すように、情けを掛けてやりゃあ良いじゃねえか。そうすりゃ、間違いなく銭を取りもでせるでやしょう?
>太:そうですな。まったく、八つぁんの言う通りです。・・・でも、肝心なときにそれができなかった。気が付いたときには、自分の尻に火が点(つ)いていたということです。もう取り返しは付きません
>八:まったくよ、算盤勘定が巧い癖に、情を持つことができねえなんてな。お天道(てんと)様も黙っちゃいねえってことでさあね。

>太:そういうことですね。それで、情のないそいつらが考えた苦肉の策というのが、2つのお店の合併ということなのです。
>八:駄目なとこが2つ併(あわ)さったからって、おんなじでやしょう?
>太:それがそうでもないのです。雇い人を大幅に辞めさせることができるんです。
>八:首ですかい? こりゃまた、一番情のねえことじゃあありやせんか。
>太:まったく。「相手方の店主の意向だから」とかなんとか言って、良心の呵責(かしゃく)もなくばっさりばさっさり辞めさせる訳です。
>八:そりゃあ酷(ひで)え。2人の店主は?
>太:そのままですよ。どっちかが上になってどっちかが下になる。それだけです。
>八:そんなのお上の力で、ぶっ潰しちまえば良いじゃねえですか。
>太:それが簡単にできないから困ってるんですよ。なにしろ、一番たくさん借りているのが、他でもない幕府なんですからね。そして幕府は、あわよくば踏み倒そうと、密かに目論(もくろ)んでいるのです。
>八:なんだそりゃ? それじゃあ、まるでお話にならないじゃあねえですか。
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