79.【え】 『縁(えん)の下(した)の力持(ちからも)ち』 (2001/05/28)
『縁の下の力持ち』
人に知られないで、陰で苦労すること。陰で怒力すること。または、その人。
類:●内助の功
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熊五郎は、お咲のことが心配で、仕事を休もうかまで考えていた。
松吉が、何かあったら現場まで報(しら)せに行くよと言ったので、渋々ながら出掛けてきた。
八兵衛は、案の定二日酔いで、休ませて貰いたいと思ったが、自業自得と窘(たしな)められ、渋々長屋を後にした。

>熊:だから言ったじゃねえか、幾らなんでも飲み過ぎだって。
>八:可笑(おか)しいな。あの位の酒なら、別腹に納まってる筈なのにな。
>熊:そもそも、別腹なんかありゃあしないの。
>八:そうなのか? 誰かの腹を裂(さ)いて見てみたことでもあるのか?
>熊:そんなことある筈ねえだろってんだ。・・・それにしてもよ、英二の野郎、今日やらかす積もりなのかな?
>八:明日にして呉れって頼んできちゃあどうだ?
>熊:何を寝惚けたこと言ってやがる。事が起こっちまったら駆け付けなきゃならねえんだからな、少しでも余計に仕事をこなしとかなきゃならねえぞ。
>八:どうでも良いから、もう少し小さい声で喋(しゃべ)って呉れねえか? 頭ん中でがんがん響きやがる。
>熊:いっそのこと、迎え酒でも呷(あお)って、景気を付けちゃあどうだ?
>八:そうか。それじゃあ姐(あね)さんにでも頼んでみるかな?
>熊:お前ぇ、本気で言ってる訳じゃねえだろうな。

熊五郎は、使い物にならない八兵衛をさて置き、五六蔵たちの尻を叩いて、仕事を急がせた。
傍(そば)で様子を見ていた源五郎が、どうかしたのか? と、八兵衛に尋ねたほどである。

>八:ああ親方。もしかすると、今日お咲坊が勾引(かどわか)されるかも知れねえもんで。
>源:尋常な話じゃあねえな。ちょいと詳(くわ)しく話してみろ。
>八:はあ。あの絵草紙が元なんですよ。
>源:そうと聞いちゃ聞き捨てに出来ねえな。それで? 誰が勾引すってんだ?

八兵衛は源五郎に経緯(いきさつ)を掻い摘んで話した。
話が所々抜けるので、正確には伝わらなかったが、英二という上方(かみがた)から来たやくざ者が張本人らしく、堺屋と園部屋の身代(しんだい)も絡(から)んでいるらしいということは、理解したようだった。

>源:こいつは仕事どころじゃねえな。松吉が報せに来たら俺にも教えろ。良いな。
>八:へい。・・・でも、親方も来て頂けるんで?
>源:あの絵が関わってるんじゃ、見過ごしには出来ねえだろう。それに、堺屋の倅(せがれ)とも話してみてえと思ってたことだしな。
>八:そりゃあ良いや。蛸の野郎を、塩で絞めるみてえに、きゅうっと言わせてやっておくんなさい。
>源:なんだその蛸の野郎ってのは?

八つ(14時)のころ、慌てふためいて松吉が報せに来た。英二の手下2人が六之進のところに来たという。
源五郎は、「片付けは後で良い」と言い、熊五郎と五六蔵を先に走らせた。
熊五郎たちが堺屋の店先に着いたとき、英二たちは、のんびり構えているのか、まだ来ていなかった。
鴨太郎も、何を考えているのか、その場にいなかった。

>熊:鴨太郎はどうした?
>伝:与太郎さんが呼びに行ってます。偶々(たまたま)長屋に居たから良いようなもんで、居なかったらどうしてたんでしょうね?
>熊:その辺の段取りはなんにもしてなかったのか? まったく、鴨太郎の奴、抜けてやがるな。
>伝:まあそう仰(おっしゃ)らずに。直(じき)に来ますから。

そう話しているところに、お咲を連れた英二一行が現れた。
熊五郎たちは、辻に隠れて事の成り行きを見守った。

>英:若旦那は居てはりますやろか。ご注文の品をお届けに上がらせて貰(もろ)たんやけど。
>徹:お前さんたちは何者だい? お前さんたちに物を注文なんかした覚えはありませんが。
>英:まあ、そない仰(おっしゃ)らんと。見てみたら分かりますさかい。
>徹:なんだね、こっちは忙し・・・
>英:どないだす? あの絵にそっくり、瓜二つでっしゃろ?
>徹:こ、こいつは・・・。もし、お前さん、あたしと会ったことはないかい?
>咲:あるわよ。
>徹:え? 本当かい? で、どこで?
>咲:後楽園の九八屋っていう店のお座敷。
>徹:何? ほんとかい? じゃあ、本当に本物の天女様なのかい?
>咲:天女かどうかは別にして、あたしが本物のあたしよ。
>英:はあ、こいつは驚いた。こりゃ、棚ぼただ。・・・若旦那。褒美(ほうび)、頂けるんですやろな?
>徹:ああ、良いとも良いとも。幾ら欲しいんだい?
>英:10両(=約80万円)。びた一文負(ま)かりまへん。
>徹:良いですとも。事と次第によっては、50両出そうかと思ってた位ですから。
>英:な、なんやて?

>咲:話は付いたのね。それじゃあ、あたしは帰る。
>徹:ま、待ってお呉れよ。それじゃあ何のために褒美を出すのか分からないじゃないか。
>咲:そもそもあたしはここに来たかった訳じゃないんだからね。脅かされて無理矢理連れてこられたんだから。
>徹:あなたたち、天女様を、手荒なやり方で連れてきたんですか?
>咲:勾引されたのよ、こいつらに。
>徹:なんて酷(ひど)い。おーい、誰かいるかい? お役人さんを呼びに行ってお呉れでないか?
>英:ちょいと待ってんか。俺らは、連れてきたったんやないか。それを・・・
>徹:それはそれです。お礼はちゃんとお渡しします。お礼はお礼、これはこれです。
>英:なんやて? ほなら、こっちにも考えがあるで。おい、手前ぇら。
>常:娘さんが傷ものになっても知らへんでぇ。
>徹:お、お待ちなさいよ。お役人を呼ぶのは止(や)めにしますから、天女様をお放しなさい。
>英:分かりゃあええのや。ほな、頂くものを頂いたら帰りますよって。

そこへ、源五郎を伴って、八兵衛たちがやってきた。

>八:やい、上方の厠男。お咲坊を放しやがれ。
>英:誰が厠男やて?
>八:手前ぇだよ。用を足しながら独り言でも言ってろってんだ。
>英:なんやとぉ? こいつ、只は置かれへん。いてこましたれ。

英二の手下が八兵衛に飛び掛かろうとした次の瞬間、3人は3方に投げ飛ばされ、匕首(あいくち)を持っていた英二の手首は捻(ひね)り上げられていた。

>咲:親方ぁ。来て呉れたんですか?
>源:怪我(けが)はないかい?
>咲:はい。
>源:英二さんとやら。好い年を扱(こ)いて、大それたことを企(たくら)んでなさるそうじゃねえか?
>英:手を、手を放さんかい。
>源:お前さんが厠で喋ったことは俺の耳にも入ってるんだ。お前さんの考えたことは人の道を外れてる。それに、お前さんたちにはちょいと過ぎた企みだったな。そもそも、堺屋さんと園部屋さんになんで恨みを持つのか、俺にはさっぱり分からねえ。誰がどう見たって、逆恨み以外の何物でもねえ。そうは思わないかね。
>英:な、何を?
>源:それに、そんな下らないことに、年端(としは)も行かねえ娘を使うなんて、どうかしてるんじゃねえか?
>英:五月蝿(うるせ)ぇや。
>源:お前さんに子供がいるとしたら、丁度この娘くらいなのと違うのかい?
>英:娘・・・、しほ・・・
>源:親御(おやご)さんだって、もう好い年なんだろ? お前さんが面倒を見なくてどうするね?
>英:おっかぁ・・・
>源:ここは、俺が預るから。役人が来る前に、田舎(いなか)へ帰っちゃあどうだ? ・・・それから、若旦那。
>徹:は、はい。
>源:あんたもあんただ。天女でもなんでも良いが、銭を使えば自分のものになるなんて思ったら大間違いだぞ。そんなことに現(うつつ)を抜かすようじゃ、商(あきな)いの方だって生半可だろう。
>徹:はあ。確かに。
>源:「商いは牛の涎(よだれ)」って言うんじゃねえのか? こつこつやって、少しずつお客の信を得て、少しずつ大きくしていくもんだろう? 
>轍:そのようです。
>源:親父さんが暖簾(のれん)を預けても大丈夫だって思える程の商人(あきんど)になってからでも、そっちの方は遅くねえんじゃねえのかい?
>徹:はあ。

英:・・・あの、お見受けしたとこ、淡路屋はんよりご立派そうやけど、あんたはんは、どこぞの親分はんで?
>源:俺がか? 冗談だろ。人様の前へ出るような、大層なもんじゃねえよ。・・・さて。熊五郎、いつまで隠れてやがるんだ、さっさと帰って道具の片付けするぞ。

そう言われて、やっと、伝六や熊五郎たちが辻から出てきた。
半(なか)ば見蕩(みと)れていて、足が出なかったのである。
(第8章の完・つづく)−−−≪HOME