292.【た】 『卵(たまご)に目鼻(めはな)』 (2005.07.11)
『卵に目鼻』
卵に目と鼻を描いたような、色白で可愛らしい顔立ち。主に、少女などの容貌を誉めて言う。
反:●炭団に目鼻
*********

六之進のところに集まった話を並べ直すと、どう考えても、淡路屋太郎兵衛が絡(から)んでいる。
甲斐国(かいのくに)辺りで繋(つな)がりができた小森幻祥(げんしょう)を使って、年寄りを言葉巧みに誑(たら)し込み、法外な値(ね)で二束三文の壷(つぼ)を売り付けているらしい。
騙(だま)せる者はとことん騙すとでもいうことであろう、空き家転(ころ)がしのようなことまでしているようだ。

>六:なあ熊さん。話がここまで大きくなってしまうと、儂(わし)らの手には負えないのじゃないか?
>熊:そうだな。ここまで大掛かりになっちまうと、10人からの大捕(と)り物になっちまうかも知れねえな。
>咲:谷中までなら行けるけど、甲斐国までなんかとても行けないしね。
>六:それは奉行所の仕事であろう。お前の知り合いの伝六とかいう者に言って、奉行所かどこかに話を持って行かせれば良い。
>咲:駄目よ。初めっからそうしちゃったら、あたしたちのすることが無くなっちゃうじゃない。それじゃ駄目よ。
>六:どうしてだ? 一介(いっかい)の大工ごときが危ない橋を渡ることもあるまい。
>咲:そりゃそうだけど、それじゃ、なんだかつまらないじゃない。
>六:やはり、魂胆(こんたん)はそんなところか。遊びじゃないのだぞ。
>咲:分かってるわよ。・・・でもね、うーん、役人かなんかから「幻祥は偽者(にせもの)で御座い」なんて言われて、 信じ込んじゃってる人たちが納得(なっとく)すると思う?
>六:そのための役人であろう。
>咲:役人だから駄目なんじゃない。
>六:うーむ。それも一理ある
>咲:でしょう? 大家(おおや)さんだってそうよ。「余計なことを言うでない。このへっぽこ役人めが」なんてことになっちゃうかも知れないじゃない。
>六:そんなものは、お奉行の下(くだ)し文(ぶみ)かなんかを出してだな、きちんと話せば聞くであろう。
>咲:今の大家さんが、話して聞くようなありよう?
>熊:少なくとも、おいらの話は聞いて呉れねえな、もう。
>六:うーむ。・・・そうか。騙(だま)されたお年寄りたちの、心持ちを逆撫(さかな)でしないような方策も、考えておかねばならんのだな?
>咲:そういうこと。だから、一先(ひとま)ず、あたしたちに任(まか)せといて。
>六:すると、儂の出番はここまでということ
か?
>咲:そういうこと。父上は傘作りに専心して良いわよ。
>六:なんだか、少しも頼りにされていないようで、寂しいな。
>咲:そんなことないわよ。父上がどっしりといて呉れるからあたしたちが動き回れるんだし、いざというときには、竹光(たけみつ)を持って大立ち回りをして貰うかも知れないんだからね。
>六:そう竹光竹光と言うな。
>咲:良いじゃない。もう大工の家の者みたいなもんなんだから。

六之進は、もう少し協力したそうだったが、要するに自分は足手纏いなのだと悟って、それ以上何も言わないことにした。
子が親の前をずんずん歩いていくことは、頼もしくもあるが、物寂しいものでもある。

熊五郎とお咲、そして万吉・千吉は、雨で腐り切っている八兵衛たちのところへ戻ってきた。

>八:おう、どうしたんだ、熊? 今度はお咲坊まで連れて。今から祝言(しゅうげん)でも挙げようってんじゃねえだろうな?
>熊:そんな筈があるかってんだ。・・・そんなことより、起こっちまったぞ。お前ぇの言う「面白そうなこと」ってのがよ。
>八:ほんとか? また誰かのお頭(つむ)をぽかりとやれるのか?
>熊:ああ。上手い具合いに事が運べばな。
>八:そりゃあ良い。早速(さっそく)話して聞かせろ。
>熊:まあ、そう慌(あわ)てるな。先ずは親方に話を通してからだ。
>八:そうか。そんじゃ待ってるからな。ささっと切り上げてこいよ。
>熊:ちょいと厄介(やっかい)なんだ。大人しく待ってろ。

お咲の要望もあって、話にはあやも加わった。
いつもべったり張り付いている静(しずか)と源太は、折り良く、昼寝の最中だという。

>熊:甚兵衛爺さんの件なんですが、糸を引いているのは、どうやら太郎兵衛らしいんで。
>源:なんだと? 性懲(しょうこ)りもなく江戸に舞い戻ってるってのか?
>熊:そうじゃねえらしいんです。小森っていう八卦見(はっけみ)と泉州屋(せんしゅうや)が仲立ちしてるようなんです。
>あや:泉州屋さんって、あの口入れ屋の?
>熊:そうです。生駒屋の白粉(おしろい)に難癖を付けたっていうあの婆(ばば)あです。
>咲:白粉にはなんにも悪いところがなくって、次の日には顔がつるつるのすべすべになっちゃったっていう婆さんでしょう? ちっとも懲りてないのね。
>熊:なんにせよ、太郎兵衛とは切れてなかったってことです。
>源:八卦見に泉州屋に太郎兵衛か。こりゃ見逃す訳にはいかねえな。・・・なあ?
>あや:今更泉州屋の女将(おかみ)さんを兎(と)や角(かく)言う筋合(すじあ)いじゃないですけど、第2第3の甚兵衛さんが生まれてしまうというのはいけませんね。
>源:そうだな。それで? 遣(や)りようはなんか考えてるのか?
>熊:いえ。まだ細かいことまでは。・・・唯(ただ)、岡っ引きの伝六が手伝って呉れることになってるそうなんで、そっちと上手く立ち回れば、八卦見と泉州屋くらいまでならなんとかできそうです。
>源:それじゃあ、またおんなじことの繰り返しになっちまうな。
>熊:そうなんですよ。一網打尽(いちもうだじん)が無理でも、太郎兵衛か権太のどっちか片方は捕まえておかないといけません。
>源:そうだな。

>熊:親方、棟梁の知り合いかなんかで、焼き物に詳(くわ)しいって人はいませんかねえ?
>源:焼き物だと? なんの繋(つな)がりがあるんだ?
>熊:いえね、太郎兵衛の狙いは壷を法外な値で買わせるってことらしいんです。
>源:招き猫じゃなかったのか?
>咲:1つ5両の壺ですってよ。5両よ。・・・それも、月に20個ですって。
>源:そいつはまた酷(ひど)いな。月に20人が騙されてるってことだもんな。
>咲:それも、信心深いお年寄りばっかり。人でなしよね、ほんとに。
>熊:そんな訳で、どこの土を使ってるとか、釉薬(うわぐすり)がどうだとか、そんなことが分かりゃ、太郎兵衛の居所が掴(つか)めるんじゃないかと思うんですけど。
>源:そんな、見ただけで分かるなんて人がいるもんかねぇ?
>あや:それなら、1人いますよ。
>源:本当か?
>咲:あやさんの知り合いなの? 凄(すご)い人を知ってるのね?

>あや:そうじゃないのよ。忘れちゃった? 根塚(ねづか)のご隠居様のこと?
>熊:「竹に虎」の襖絵(ふすまえ)と魚拓(ぎょたく)のご隠居様でしょう? 焼き物のことなんか聞いてませんぜ。
>あや:前に五六蔵さんが「淡路屋に強請(ゆす)られたことがある」って言っちゃったことがあるの。それを覚えてて、わたしのところへ聞きにきたのよ。
>熊:へ? 五六蔵の野郎、そんなこと口走りやがったんですか? そんなこと一言も言ってませんでしたが・・・
>あや:ご隠居様も、そのときは聞き流しちゃってたって言ってましたから、大したことじゃないと思ったんでしょう。・・・でも、ほんとになんてことでもなかったのよ。お茶飲み話をしただけ。焼き物のこともね、そのときに出た話の1つなの。
>源:それで、なんだって?
>あや:あれ以来、書画とか骨董(こっとう)とかに興(きょう)を掻き立てられちゃったんですって。それで、そういう人を3人雇(やと)い入れたっていうの。
>熊:3人もですかい?
>あや:書画と刀剣と、もう1人が焼き物の目利きなんですってよ。
>熊:へえ。興も高(こう)ずるととんでもないことになりますねえ。ご隠居様ご当人もいくらか目が利きなさるんで?
>あや:ご隠居様も中々なものだと思いますけど。「今は専(もっぱ)ら生身の女子(おなご)の方です」なんて、惚(とぼ)けていらっしゃったわ。
>源:どうせ「内儀(ないぎ)もまだまだお美しい」とかなんとか言われて舞い上がってやがったんだろう?
>あや:あら。誉(ほ)められて悪い気のする女子はいませんよ。
>源:それは俺への当て付けか?
>あや:さあ、どうでしょう?
>熊:あ、あの親方、そういうことはおいらたちがいなくなった後にでもお2人でやってくださいやし。
>源:ん? そ、そんなんじゃねえや。・・・根塚のご隠居の方はこっちで頼んでみるから、お前ぇたちは、権太の足取りでも追っ掛けてみろ。
>熊:へい。分かりました。

あやが奥座敷に引っ込んでいくと、源五郎は「他の奴らには今の話だけはするなよ」と熊五郎たちに釘を刺し、しっしっとでもいうように、手で追い遣った。

>咲:あやさんが相手だと、親方も形無しね。
>熊:なんだ? お前ぇも根塚のご隠居から、「小町と見紛(みまご)うばかり」とかなんとか言われてみてえのか?
>咲:そりゃ、悪い気はしないでしょうね。・・・でも、そういうのって、下心が見えちゃって嫌だな。
>熊:年寄りに「下心」もねえもんだ。
>咲:そんなことで言ってるんじゃないの。下心は下心よ。取り入ろうっていう気持ちの現われでしょう? そういうところに付け込むのって、狡(ずる)いわ。親方なんて、口が腐ったってそんなこと言わないでしょう?
>熊:言えてたら、今頃、周(まわ)りに娘どもを侍(はべ)らせてるだろうよ。
>咲:その代わり、あやさんには逃げられちゃってるでしょうけど。
>熊:違(ちげ)えねえ。
>咲:だから、あんな言い方しちゃうのよね。
>熊:なんのことだ?
>咲:「内儀もまだまだお美しい」っていう奴よ。自分じゃ言えないけど、誰かが言った風になら言える訳。
>熊:するってえと何か? おいらはお前ぇのこと小町かなんかと見違えるってのか? ・・・けっ、そんなことあるかってんだ。
>咲:あらそう? そういうことだったら、ちょっと考えちゃおうかな?
>熊:何を考えるってんだよ。
>咲:口のお上手(じょうず)な殿御(とのご)でも探そうかなってこと。
>熊:お前ぇ、そりゃ、さっき言ったのとまるっきりあべこべじゃねえかよ。
>咲:祝言前ばかりは、ちょっとくらい歯の浮くようなことも言っとくものよ。そうじゃない?
つづく)−−−≪HOME