156.【き】 『金時(きんとき)の火事見舞(みま)い』 (2002/11/25)
『金時の火事見舞い』
元々顔の赤い金時(金太郎)が火事見舞いに行ったら、益々顔が赤くなるというところから、顔が非常に赤いことの喩え。主に、酒を飲んで赤くなった顔などを指す。 
例:「ビール一杯で金時の火事見舞いになる」
類:●朱を注ぐ如し
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少しばかり色っぽい絵草子を禁止したり、婦人の髪飾りを制限するなど、お上(かみ)が出す政策は、庶民の娯楽を奪うものばかりであった。
稼(かせ)ぎの少ない家庭ほど、食事に懸かる費用の割合が高くなるという
。娯楽も贅沢(ぜいたく)もなく、食うために只管(ひたすら)働けと、そういうことである。

>八:なあ、鴨の字。札差しやら両替商から銭を分捕ったらよ、運上(うんじょう)とかも安くなるのかな?
>鴨:ならねえさ。竹上っていう先生が考えたのは、干上がった幕府(ばくふ)の蔵を潤沢(じゅんたく)にすることだけだからな。庶民のことなんざ二の次よ。
>八:なんだ、そうなのか? その先生を応援する気も失せちまうよな。
>熊:だから止(や)めとけって言ってるんだ。大工が余計なことに口を挟むもんじゃねえんだって。
>八:でもよ、古狸を引っ叩(ぱた)く気の方はまったく失せねえんだけどな。
>熊:好い加減にしろってんだ。
>八:良いじゃねえか。「老いては子に従え」って良い言葉があるってのに、知らねえんなら、おいらが教えてきてやろうってんだからよ。親切心だよ、親切心。
>熊:ぽかりとやりてえだけの癖しやがって。
>鴨:・・・できるもんなら、やらせてやっても良いんじゃねえか?
>熊:こら鴨太郎。なんてことを言い出しやがる。役人がそんなこと言って良いと思ってるのか?
>鴨:役人だろうと商人だろうと構わねえさ。ねちねちやってるだけで、前向きな話をしたがらねえ爺さんなら、とっとと退(しりぞ)いて貰うのが良いに決まってる。・・・但し、できるもんならだがな
>八:できるから言ってるんじゃねえか、なあ?
>熊:おいらは、万が一お許しが出ても、やらねえ方が良いんじゃねえかと思うがな。
>八:冗談じゃねえ。こんな美味しい話、誰が逃(のが)すかってんだ。

八兵衛はすっかり乗り気になっている。
しかし、果たして、たった1人の老閣僚を失脚させることくらいで、庶民は豊かになるのかという疑問は残っている。

>男:あの、横合いから済いません。
>八:誰だい、お前ぇさんは?
>男:はあ。あたしは太市(たいち)っていうけちな文士崩れで御座んす。
>八:「我孫子藤吉郎浩丸」の仲間かい?
>太:とんでも御座んせん。あんなちんけなのと一緒にしないでくださいまし。もっと志(こころざし)が高いものを物(もの)そうとしているんで御座いますから。
>熊:なんだいその志が高いものってのは?
>太:はあ、ご政道を真っ直ぐに正すのにはどうすれば良いものかってことで御座います。
>八:なんだか詰まらなそうだな。おいら、よっぽどあの三文文士の方が好きだな。
>太:そんな方ばっかりだから、世の中が曲がっちまったんで御座いますよ。先ほどお話に出ていた竹上太蔵の言い成りになんかしてご覧なさい。真っ直ぐになるどころか一層曲がってしまいますとも。
>八:そうなのか?
>鴨:それでは、太市とやら、お主も金回りのことで一家言(いっかげん)あるというのか?
>太:御座いますとも。・・・でも、その前に、少しご馳走に与(あず)かっても宜しゅう御座いますか?

>八:なんだと? お前ぇさん、端(はな)っからそのつもりだってんじゃねえだろうな?
>太:め、滅相も御座いません。こういう話ができる人たちが、そうそういないから話し掛けただけで御座いますとも。決して、卑(いや)しい下心からでは御座いません。
>八:ほんとかよ? なんだか疑わしいぞ。
>熊:それよりも、あんたもう茹(ゆ)でた蛸みてえな顔になってるぜ。これ以上飲んで大丈夫なのかよ?
>太:顔に出る質(たち)なんで御座いますよ。あたしはまだ銚子1本しかやっていないんで御座んすからね。なんならお夏さんに聞いて見て呉れても良う御座んすよ。
>八:お前ぇさん、ここの馴染(なじ)みじゃねえだろ? お夏さんだなんて、馴れ馴れしく呼ぶ間柄か?
>太:だって、一度名を告げただけで覚えて呉れましたよ。余程あたしのことが気に入ってるんじゃないんですかねえ?
>八:こいつ、とんだ自惚(うぬぼ)れだな。・・・あのな、お夏ちゃんはな、誰の名前でも一遍聞いただけで覚えちまうの。そこいらの尻軽娘とは全然違うんだからな。
>太:そうなんですか? あたしはまた、てっきり・・・
>熊:で、太市さんとやら、お前ぇさん「だるま」に来たのは、今晩で何度目なんだ?
>太:はあ、昨夜(ゆうべ)初めて伺(うかが)いました。
>八:なんだ、まだ駆け出し者も同然だな。今後、お夏ちゃんに話し掛けるのは、この八兵衛様に断(ことわ)ってからにして呉れよな。
>熊:何を言ってやがる。お前ぇだって相手になんかされてねえの。なあ、鴨太郎?
>鴨:俺に振るなってんだ。

太市は、赤い耳朶(みみたぶ)を更に赤くして恥じ入った。結構初心(うぶ)なようである。

>鴨:それで? お主が持っているっていうお説は、聞かせて貰えるのかい?
>太:お付き合い願えますか?
>八:構わねえよ。どうせ大した用がある訳でもなし。なあ熊?
>熊:聞かなくたって分かるだろ、まだ宵の口だぞ。
>八:それによ、おいらたちは高々大工をやってるもんだがよ、案外そういうことには詳(くわ)しいんだぜ。
>熊:どこがだよ。ついさっきまでは運上金のことも知らなかった癖によ。
>八:今は知ってるんだから良いだろ。もう一端(いっぱし)の景気通よ。・・・さ、何でも言ってみな。おいらがびしっと判断を下してやるからよ。
>太:そうですか。それはどうも恐れ入りまして御座います。では早速(さっそく)・・・

太市のご高説(こうせつ)は、八兵衛には理解の域を越えたものばかりだった。
絵草紙や芝居への弾圧は止めて好きなものを見聞きできるようにすべきだ。・・・八兵衛にも、ここまでは理解できた。
その後からがいけない。
租税の率を無闇に上げ過ぎると思わぬところで破綻(はたん)を来たす。渡来の文化を見習って新しい商(あきな)いの形を確立すべきである。離職者の雇用を図(はか)るため、幕府が主導して大掛かりな普請(ふしん)を始めるべきである。
・・・珍紛漢紛である。

>太:いかがなもんで御座いましょう? これなら、両替商だけを苛(いじ)めるようなものでなく、万遍なく潤(うるお)うのではないでしょうか?
>八:ま、まあ良いところに目を付けているみたいではあるようだな。ははは。
>熊:お前ぇにどこまで分かったってんだ? からっきしだろ?
>八:はは、済まん。
>鴨:だがよ、それじゃあお上は首を縦に振るまいよ。幕府の蔵はもう空っぽなんだぜ? 誰が新しい商いだの大掛かりな普請だのの銭を出すかってんだ。
>太:それはですね、「借財手形」のようなものを出して、期限までにこれこれこういう返済をすると約束すれば良いのです。
>鴨:お上が約束するにしても、そんなのどこが引き受けるかってんだ。今時はどこの藩だって、幕府以上にぴいぴいしてら。
>太:貧しい藩ばかりでもないでしょう? それに、大手の材木問屋のように余裕のあるお店(たな)はたくさんあります。
>鴨:お上が商家に頭を下げるってのか? 有り得ねえな。それによ、商家の方だって、話を持ってくる老中や若年寄が約束を守るかどうかなんて信じやしねえ。そうだろ?
>太:流石(さすが)はお役人の方ですねえ、鴨太郎さんは。
>鴨:馴れ馴れしく呼ぶんじゃねえ。
>太:これは失礼しました。つい調子に乗ってしまいました。

>鴨:それで? あんたは竹上なんとかのお説のことをどう思うね。
>太:大まかには、悪い考えではありませんね。でもちょっと乱暴過ぎます。一番手っ取り早い代わりに、たくさんの恨(うら)みを買いそうです。
>鴨:それで? やった方が良いか止した方が良いか、どっちだと思う?
>太:まあ、やるべきでしょうね。なんといっても、今の景気を悪くした原因が両替商ですからね。貸す方には高利を下げもしないのに、貸して呉れている商家には
雀の涙ほどの利子しか出さないで、手土産の一つも寄越さない。これでは商家は品物を値上げして儲(もう)けを出すしかなくなるじゃあありませんか。
>八:両替商も人から銭を借りてるのか?
>太:当たり前ですよ。大口の貸し付けが貸し倒れにでもなってみなさいな、自分のところの金蔵が空っぽじゃ、自分のところが潰れちまいます。
>八:はあ。おいらの知らねえとこで、そんな絡繰(からく)りになってるのか。それじゃあよ、両替商が問屋に十分な利子を払ってやってりゃ、物が安く買えるようになるのか?
>太:さあ、どうでしょうか?
>八:だって、物が高いのは利子が安いからだって言ったじゃねえか。
>太:ええ言いましたよ。・・・ですが、貰える利子が増えるからといって問屋たちが物の値段を下げるとは思えません。竹上太蔵の間違いはそこなんです。次は商家が太る番になるということを、予(あらかじ)め指摘しておかなけれいけないのです。
>八:ってことは、おいらたちは相変わらず目刺しと漬け物で我慢するしかねえってことなのか?
>熊:ここで高い粗煮(あらに)を食ってるだろ?
>八:なんだ熊、この上おいらのささやかな喜びまで奪(うば)おうってのか?
>熊:そうじゃねえって。・・・だがよ、ここで飲んでいられるってことはだ、まあおいらたちは、どうにかこうにか満足に生きていられるってことだ。そうだろ?
>八:ま、まあな。
>太:人間、贅沢さえ望まなければ、不自由なく生きていけるってことです。

>鴨:しかしな、贅沢を望む輩(やから)はどこにでも居る。
>太:その通りで御座いますとも。特に、贅沢の最中(さなか)にいるものほど、そこにしがみ付こうとする。それが、この体たらくの原因だとなぜ気付かない? ・・・大店の旦那が1日に1両貯め込むと、波銭1枚に喘(あえ)ぐ庶民千人が苦しむ。それが積み重なって今があるのです。
>八:なあ鴨の字。その、貯め込んでるやつらってのは誰と誰なのか、役人は全部分かってるのか?
>熊:そんなの、全部は分かる筈ねえじゃねえか。何てこと聞きやがる。・・・というより、八、お前ぇ、それを聞いてどうしようってんだ? 真逆(まさか)・・・
>八:決まってんだろ? そいつらの頭をだな、ぽかりと・・・
>鴨:無駄だ。役人は賂(まいない)を握(にぎ)らされてる。一番殴りたいやつほど、炙(あぶ)り出されてこねえようになってるのさ。
>八:なんだよ。それじゃあ先ず、役人の取り締まりから始めなきゃならねえのか? そんならよ、その役人を取り締まる役人は一体(いったい)誰が取り締まるんだ?
>鴨:知るかっ。
>太:八兵衛さん、まあそんなに熱くならないでください。世の中には正面(まとも)なお役人様だってたくさんいらっしゃるんですから。何もそんなに顔を赤くして怒らなくても大丈夫ですよ。
>八:顔が赤いのはお前ぇさんだろ。

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※参考:エンゲルの法則 1875年に、ドイツの統計学者エンゲルが発表した家計費の統計的法則。所得が低い家族ほど家計の消費支出に占める食費の割合が大きくなる。(上へ戻る