268.【た】 『大賢(たいけん)は愚(ぐ)なるが如(ごと)し』 (2005.01.25)
『大賢は愚なるが如し』
非常に賢い人は、知識をひけらかさないから、ちょっと見たところでは愚かな人のように見える。
類:●大智は愚のごとし大巧は拙なるが若し●大賢は愚に似たり●能ある鷹は爪を隠す●大巧は巧術なし●大弁は訥(とつ)なるが若し
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一方、根塚厳ノ輔(ねづかごんのすけ)の家に向かった源五郎たちは、厳ノ輔本人と会っていた。
金持ち喧嘩せずとは良く言ったもので、不意の訪問にも目くじらを立てることなく、大人数をにこにこと持て成して呉れた。

>源:明日っからってことだったんですが、来ちまいました。お邪魔をしてしまって申し訳ありません
>厳:なあに、厄介(やっかい)なことを頼んだのはこっちですからな。それに、期限のあるものじゃなし、1日早かろうと遅かろうと、こっちはちっとも気にしません。
>源:痛み入ります。元締めの筆談(ひつだん)じゃ、どうにもこうにも要領を得ませんで。
>厳:はっは、相馬屋さんですか。耳が遠いですからね。あたしも話を付けるのに手間取りましたよ。
>源:2つの座敷をぶち抜くんだってことでやすが・・・
>厳:はい。とても好く描(か)けた絵ですから、あたし独りで楽しむのが勿体ないと思えましてね。
>源:どこをどんな風にするのか、見せていただいても良いですかい?
>厳:良いですとも。とっくりと部屋も絵も見てってください。
>源:絵の方は、とんと分かりませんからね。見せていただいても感懐(かんかい)も何も言えませんぜ。
>厳:絵の見方なぞ、人それぞれで良いのです。こういう褒(ほ)め言葉じゃなきゃいけないというものではありません。勿論、気に入らなければそう言っても良いんです。
>源:見せていただくのに、
そういう訳にゃいきませんや。
>厳:いやいや、褒め言葉などというものは、お追従(ついしょう)ではないのですからね。その場の流れだとか、人の権威だとかで変わるものじゃないのです。本当に「あまり好かないな」と思ったらそれを言っていただければ、絵師の先生にその旨を伝えて、次の作の糧(かて)にしていただくようにします。そうすれば、絵師の方でも為になるというもの。
>源:そういうもんですか?
>厳:そういうものです。
>八:ご隠居さん、そういうことでしたら、おいらがびしっと申し上げましょうかね。
>源:こら、八。出過ぎるんじゃねえ。
>厳:構いませんとも。それで良いのです。他の皆さんも忌憚(きたん)のないところを言ってください。
>八:任(まか)しといてください。

八兵衛は、妙なところで張り切っている。
(そっちじゃなくて、敷居のことを考えやがれ)と、源五郎は内心お冠(かんむり)である。

>三:うひょう、こりゃあ、10畳間じゃねえですか。ってことは、20畳にするってことですかい?
>厳:そういうことになりますかな。
>源:ご隠居様。2座敷をぶち抜くってことは、間に敷居と鴨居(かもい)が残るってことなんですが、どうしますか? 残しますか? それとも、取っ払いますか?
>厳:あ、そうですな。すっかり忘れていましたよ。そうですねえ、鴨居はまだしも、ど真ん中に敷居があるというのはいただけませんねえ。
>源:どうすりゃ良いか、とかのご指示はありやすかい?
>厳:お任せしますよ。
>源:任せると言われましてもねえ。
>厳:難しいことなんですか?
>源:へい。敷居を取っちまうのはなんてこともねえんです。ですが、その3寸(=約9センチ)分、畳を奥へずらさなきゃならねえでしょう? するってえと、こっちの端が3寸空いちまうんです。
>厳:成る程。ちょっとばかしみっともないですねえ。
>八:板っぱちで埋めるってのはどうです?
>厳:見た目はどうです? あまり宜しくないですよねえ?
>三:じゃあ、幅(はば)3寸の畳でも作って埋めますか?
>厳:それならそれで、その方が様になりますな。そうしちゃいましょうか?
>源:ちょ、ちょっと待ってくださいやし。3寸の畳を作って貰えるかどうかも分かったもんじゃねえんです。仮に作れるとしたって、様になるかとなると、ちょいと疑わしいです。
>厳:そうですねえ。それじゃあこうしましょう。親しい畳職の方と話してみてくださいな。その方が様になるようにすると請け合って呉れるならお任せしましょう。少々の費(つい)えは気にしなくても構いません。
>源:そうでなかったら?
>厳:あなた方だけで考えてみてください。できないとは言わせませんよ。なんと言っても相馬屋さんのお墨付きですからね。
>源:やっぱり。

>厳:そんなことより、襖絵(ふすまえ)を見てくださいよ。会心(かいしん)の出来だそうですから。
>八:どれどれ、お邪魔しますよ。
>源:八、無闇(むやみ)に触ったりするなよ。
>八:分かってますって。・・・ほう、竹に虎でやすね? こりゃあ良い取り合わせだ。
>厳:分かりますか?
>八:分かるも何も、虎と来りゃ竹、竹と言やぁ虎か雀(すずめ)って相場が決まってまさ。
>厳:おお、良くご存知ですね。縁起の良い画題です。
>八:そりゃあそうでしょうとも。なんてったって、日本橋は和泉町の「とらや」の売り子が言ってやしたからね。食いもんのこととなりゃなんでも聞いてお呉んなさい。
>厳:はっはっは。饅頭(まんじゅう)の「とらや」ですか。あたしもあそこの饅頭は好きですよ。
>八:竹に虎となりゃ、貶(けな)す訳にゃいきませんね。こりゃあ評判になりやすぜ。この八兵衛さんが太鼓判を捺(お)しますよ。
>厳:それは益々以って結構。大工の方の口から「虎に竹」などと言われるとは思いませんでしたがね。
>八:ご隠居さん、本当に賢い奴ってのはですね、隠れたところにいるもんですよ。遠慮して、ちまちまとやってるもんなんです。
>厳:ほう。「珠玉の瓦礫に在るが如し」。『晋書(しんじょ)』ですか。八兵衛さんとやらは、物識(ものし)りなんですねえ。
>八:なんでやすか、その「真薯(しんじょ)食うにゃガリがあると嬉しい」ってのは?
>厳:あっはっはっは。こりゃあ面白い。・・・成る程、洒落(しゃれ)も巧(うま)いですな。

源五郎は、八兵衛の首根っこを引っ掴(つか)み、「明日改めて伺(うかが)います」と言って、逃げるように根塚屋敷を後にした。
問題は、やはり敷居のことである。はてさて、困ったものである。
熊五郎たちの方に何か収穫でもあって呉れたらと、祈(いの)るような気持ちである。

その熊五郎たちは、先に戻っていた。
熊五郎は、藺平(いへい)から聞いた話をそのまま話してみせた。

>源:ほう。藺平の父つぁんがね。意外だねえ。普段は八みたいに惚(とぼ)けてるってのにな。
>八:親方、その言い方はねえでしょう。
>源:まあ良いじゃねえか。人は見掛けに依(よ)らねえってことの引き合いに出してやったんだからよ。
>八:そういうことでやしたか。そんなら良いです。
>熊:軽い奴だね、まったく。
>源:まあ良いじゃねえか。
・・・3尺2寸(=約97センチ)縮めるか。流石(さすが)は畳職だな。それに、気が利いてる。
>熊:板の間を広げちまっても良さそうな造りでしたかい?
>源:そいつは大丈夫だ。いや、寧(むし)ろ、そうしちまった方が合ってる。
>熊:と、申しますと?
>源:外からだと、ちょいと上がり込み辛いんだ。草履(ぞうり)置き場みたいのを付けて、上がり易くしてやった方が良い。それに、ご隠居さんにしたって、一々居間を素通りされるよりは面倒がねえだろうしな。
>八:流石親方だ。良いとこに目を付けやしたねえ。

>源:お前ぇに褒められたって嬉しかねえや。
>八:なにを仰(おっしゃ)いますやら。なんてったっておいらは、ご隠居さんも認めなすった物識りなんですぜ。
>熊:お前ぇが物識りだと? 冗談は面(つら)だけにしやがれってんだ。
>八:信じねえのか?
>熊:誰が信じるかっての。
>八:何をぅ?

>源:それくらいにしておけ。・・・友助、お前ぇはどう思う?
>友:大方、その遣り方で良いと思います。
>源:なんだよ、歯切れが悪いな。
>友:ちょいと在り来たりのような気がするんです。
>源:いけねえのか?
>友:いえ。そうじゃないんです。唯(ただ)、根塚厳ノ輔という人は、ああ見えて結構細かいところに拘(こだわ)りますから。
>源:そうか? そういう風には見えなかったぞ。
>友:あれは、人を安心させる手なんです。私も騙(だま)されました。
>源:それじゃあ何か? 仕事が終わって「はい出来上がりました」って言ったところに難癖を付けてくるってのか?
>友:値切(ねぎ)ってくるとかそういうことじゃないんです。例えば、「ここのところはもう少しこういう風にした方が良かったんじゃないかね」なんてことを言う訳です。
>源:ははあ、そういうことか。道理で「絵師の次の作への糧」だなんてことを言ってたんだな。・・・それはそれで仕方ないとしてだ。どういうことをすれば良いと思う?
>友:そうですね。その襖絵は何を描いたものでしたか?
>八:「竹に虎」に決まってんじゃないですか。
>熊:決まってるもんか。
>八:だってよ、一番縁起が良いじゃねえか。
>熊:どこが一番だっての。

>友:・・・例えばですが、絵に因(ちな)んで、上がり框(がまち)を竹で作ってみてはどうでしょう?
>源:ほう。良いかも知れねえな。
>八:それじゃあ、序(つい)でに、欄間(らんま)も何か別のもんにしちまったらどうです? 笹に雀とか。
>源:まあ、そういうのも良いかも知れねえが、余計なことじゃねえのか?
>八:何を言ってるんですか。銭に糸目は付けねえって言ってたじゃねえですか。
>源:どっちにしろ、お伺いを立ててからの方が良さそうだな。
>八:欄間のことも聞いてくださるんでしょ?
>源:ああ。一応な。
>八:きっと喜んでくださいますって。なんてったって、おいらが物識りだってのを見抜いたお人ですからね。

>源:勝手に言ってろ。
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