217.【し】 『死児(しじ)の齢(よわい)を数(かぞ)える』 (2004/02/02)
『死児の齢を数える』
死んだ子が生きていたら今ごろは何歳になっていると嘆(なげ)くように、過ぎ去ってどうにもならないことに愚痴を零(こぼ)すこと。
類:●死んだ子の歳勘定
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「一黒屋」の隠居所に集まることになったと聞かされて、熊五郎は源五郎に噛み付いた。

>熊:この状況を見てくださいよ。そんな暇があるんだったら、材木の1本も運んでください。
>源:まあそう熱くなるなって。八の野郎は小躍りして喜んでたぞ。なあ熊よ、いくら忙しいってったって、夜の息抜きもできねえほどじゃねえだろう。
>熊:そりゃあ、滅(め)り張りってのも肝心なんでしょうが、ここは1人でやってるんですぜ。益々遅れちまうじゃないですか。
>源:そのことなら大丈夫だ。八たちんとこも五六蔵たちんとこも、似たり寄ったりだからよ。
>熊:なんですって? あいつら手を抜いてやがるんでやすか?
>源:そうじゃねえよ。それなりにちゃんと仕上がってるさ。
>熊:それにしたって・・・。
>源:まあ、お前ぇの働きはあいつら2人分だってことは分かったよ。
>熊:そんなこと分かって貰ったって、仕方がないじゃねえですか。
>源:そうでもねえさ。明日っからはちゃんと手伝ってやる。それに、友助も付けてやるぞ。どうだ?
>熊:本当でやすか? 本当に、明日からは来て呉れるんですね?
>源:おおともよ。男に二言はねえ。
>熊:そういうことなら、喜んで伺いましょう。・・・さて、そうと決まったら、今日のうちに独り仕事はやっ付けちまうとしますか。
>源:お前ぇはそういう風だから助かるぜ。八の野郎は、ちょいと目を離すと、手より口の方が忙(せわ)しくなりやがる。

源五郎と友助は、五六蔵たちの現場へと向かった。
進み具合いとしては一番なのだが、出来栄えはというと、決して誉められたものではない。

>五六:親方ぁ、来てくだすったんでやすか?
>源:ああ。目算より遅くなっちまったがな。
>五六:なんかあったんですかい?
>源:ちょいとな。細かいことは後で話すとして、お前ぇたち、今夜は帰りが遅くなっても構わねえか?
>五六:へい。構(かま)やしませんが・・・
>源:身重(みおも)の嫁を抱えてるとこ済まねえんだが、ちょいとばかし飲みの席に付き合って呉れ。
>五六:親方の命令とあれば、一も二もなく従いまさぁ。なあ、四郎。
>四:偶(たま)には息抜きさせて貰わないと持ちませんから。
>源:お前ぇも言うようになったな。
>四:それほどでも・・・
>五六:それで親方、もしかして、八兄いの話でやすか?
>源:まあ、似たようなもんだが、友助じゃあねえ。そこんとこが大きな違いだな。
>五六:そうでやすか。ちょっと、ほっとしやした。
>源:そうか。・・・今日はそんな訳だから、早めに上がってこい。
>五六:承知しやした。

それから友助は「両毛屋」へと向かい、数次にことの顛末(てんまつ)を語って聞かせた。
数次の働き先が決まったと漏れ聞いた番頭は、諸手(もろて)を上げて大喜びし、「それで、どこに決まったのかね」と尋ねた。

>友:「一黒屋」さんです。
>番頭:なんですって? あの「一黒屋」さんなのかい?
>友:そうです。あの、評判の「一黒屋」さんです。喜んでやってください。
>番:そ、そうか。そうだな。

番頭は慌てて両毛屋善蔵のところへ行き、お伺(うかが)いを立てた。
「幸(さいわ)い、呉服商には取引がない。仕方がなかろう」という答えを得た。
「しかし・・・」という番頭の言葉は、尻すぼみのまま消えた。

>善蔵:条件の良いところへ行って呉れるのなら、それに越したことはない。喜んであげようじゃないか。
>番:数次との縁を伝手(つて)に、取引をお願いするということはできませんか?
>善:確かに、「一黒屋」さんは伸びているお店(たな)だ。誰が見たって頷(うなず)くだろう。咽喉(のど)から手が出るほどではある。
>番:当たってみる価値はあるのじゃないですか?
>善:しかし。もう遅いのだよ。うちは呉服商と関わりを持たない。・・・これが儂(わし)の出した結論だ。今更覆(くつがえ)す訳にはいかない。
>番:今は形(なり)振りに構っているときではないのですよ。
>善:そういうことではない。もし掌(てのひら)を返すようなことをしてみなさい。手を差し伸べて呉れている同業の皆さんに嘘を吐くことになる。今、あの人たちにそっぽを向かれたら、
一溜まりもない
>番:「一黒屋」さんから多めに預けていただければ、持ち堪(こた)えることもできます。
>善:仮にそうだとしても、儂の心が許さない。一度決めてしまったことは変えない方が良いのだ。
>番:そうですか・・・
>善:数次には、何も言わず、温(あたた)かく見送るとしよう。それに、良い話を持ってきて呉れた友助にも、懇(ねんご)ろに礼を言っておいてお呉れ。

両毛屋善蔵は、肩で大きく溜め息を吐いた。
友助と数次の2人の、将来の目処(めど)が付いただけでも、気が休まる。
それにしても、返す返す悔やまれるのは、去っていくときの我が子の、あの目である。

暮れ6つ(18時頃)、一黒屋与志兵衛は、最近になく浮き浮きしていた。
2・3残っていた客にもお引き取り願い、早々に暖簾(のれん)を下ろした。
裏手にある料理茶屋の女将(おかみ)・さちも駆り出されて、宴会の準備が整えられていた。
源五郎一行は、途中で友助たちと落ち合い、総勢8人で押し掛けた。

>八:うっひょう。こりゃあ、いつにも況(ま)して凄(すげ)えですね、ご隠居様。
>与志:あたしとしましても久し振りなもので、ちょいと気張ってしまいました。そちらが数次さんですか?
>友:何分(なにぶん)にも不束(ふつつか)者で御座いますが、ご面倒の程、宜しくお願い致します。
>数:数次で御座います。粗忽(そこつ)ながら、お引き立てくださいませ。
>与志:そんな堅苦しい挨拶は抜き抜き。ささ、皆さんも、車座(くるまざ)になってください。
>八:いっただきまーす。
>源:慌てるな、八。数次さんがどういう人なのかもうちょっと喋って貰わねえと、ご隠居様だって安心して雇(やと)えねえだろ。
>与志:良いんですよ、親方。飲みっ振りを見ていれば大方は分かります。緊張していては、却(かえ)って飾ってしまって、分からなくなってしまいます。
>八:流石(さすが)ご隠居、年の功だね。目が肥えてる人の言うことは違うね、ほんとに。
>与志:八つぁんは酒が入ってなくても同じだから良いですね。
>八:そうでしょう? おいらくらい裏表のねえ奴もそうはいねえですからね。
>熊:単純なだけだろ。

>与志:友助さんと数次さんは、行ける口ですか?
>友:そこそこにはお付き合いできます。
>数:酒が強いのだけは、親譲りでして、そっちで失敗したことは御座いません。
>与志:ほう。そいつは頼もしい。
>数:意地汚さまで受け継いでしまいまして、甚(はなは)だ下品な者ではありますが。
>与志:酒飲みはそのくらいの方が良い。酒の席は無礼講(ぶれいこう)、たくさん飲み食いした方が勝ちですからね。
>八:そうこなくっちゃ。そんじゃ、ご隠居様。もう良いですかい?
>与志:まあまあ。そう慌てなさんな、八つぁん。ものには順序というものがありますからね。
>八:ここにきてまだお預けですか? ・・・しょうがねえなあ、そんじゃ、早速(さっそく)能書きを垂れてくださいやし。
>与志:はっは。慣れたもんですね、八つぁんは。・・・それでは、今日のお酒から説明させていただきましょうか。・・・

与志兵衛が、酒の銘柄や刺身の産地などについて滔々(とうとう)と話し始める。いかにも至上の一時といった風情(ふぜい)である。
その間、八兵衛は目の前のお造りの皿を見詰めて、生唾(なまつば)ばかり飲み込んでいた。

>与志:長々と済みませんでしたね。・・・数次さんや、隠居はこういう親爺(おやじ)です。1日も早く馴染んでくださいね。
>数:こちらこそ、小間使い同然にびしびしやってくださいませ。
>与志:とんでもない。そんなことしますか。
>数:と、申しますと?
>与志:そう遠くない将来に、倅(せがれ)として入っていただきます。
>数:そ、そんな大それたこと・・・
>与志:そんな大仰(おおぎょう)なことじゃありませんよ。あたしも、早々に隠居したいのです。あらかた仕事を理解して貰ったら、お店(たな)の切り盛りを任せます。
>数:そんな、私みたいなどこの馬の骨とも分からぬ者を・・・
>与志:そんなことはありませんよ。現に、こちらの源五郎親方と、友助さんが後見(うしろみ)役になってくだすっています。あたしには、それで十分です。必要でしたら、ちゃんと、然(しか)るべきお嫁さんもご紹介します。

>八:ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいよ、ご隠居。おいらには嫁は宛がって呉れねえんでやすか?
>与志:八つぁんはあたしんとこの養子の話を断わったじゃないですか。そんな義理はありません。
>八:そう言わずに、ね、ご隠居。頼みますよ。
>与志:駄目ですよ。それとも、もう一度考えますか、養子の話?
>八:そいつは困りやすが、でも、ねえご隠居、後生(ごしょう)だから・・・
>源:見苦しいぞ、八。嫁くらい手前ぇで探しやがれ。
>与志:そうですよ。源五郎親方のように、お綺麗なお嫁さんを探すことです。
>八:だって、うちの親方なんざ、向こうの方から来て呉れたなんていう、物凄く珍しい相手なんですからね。そんなことそう何遍もある訳ないでしょう?
>源:手前ぇ、喧嘩を売ってやがるのか? 俺の下にいたくねえってんなら、とっとと帰りやがれ。
>八:そりゃあねえですよ、親方。嫁の話は当分しませんから、このご馳走をおいらから取り上げるのだけは勘弁してくださいよ。
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