207.【さ】 『去(さ)る者(もの)は日々(ひび)に疎(うと)し』 (2003/11/17)
『去る者は日々に疎し』
1.親しかった者でも、離れていると次第に交情(こうじょう)が薄くなっていくものだということ。
2.死んだ人は月日が経つにつれて、段々と忘れられていくということ。
類:●Out of sight, out of mind.目に見えなくなれば心から消えて行く<「英⇔日」対照・名言ことわざ辞典
出典:「文選−古詩十九首・一四」 「去者日以疎、生者日以親」
出典:
文選(もんぜん) 中国の詩文集。30巻。梁の昭明太子蕭統(しょうとう)ら撰。6世紀前半に成立。唐の李善注本60巻が伝わる。周から梁に至る約千年間の美文の粋、約800編を文体別・時代順に並べたもの。中国現存最古の選集。日本への伝来は古く、「白氏文集」とともに文集・文選と併称された。
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八兵衛は、おからに使った食材に傷(いた)んだものでも入っていたのではないかと、「だるま」の親爺に食って掛かっていた。
親爺の方は、「お夏ちゃんの餞別(せんべつ)だってのに、腐ったもんなんか仕入れてられるか」と言い張ったが、前日の残り物だということを口に出せる訳がない。
「お前ぇも衰(おとろ)えてきたってことなんじゃねえのか?」と、空惚(そらとぼ)けて言った。

>八:おかしいよな。おからぐれえで腹を壊すおいらじゃねえのにな。・・・親爺が言うように、年を食ってるってことかな?
>熊:季節の変わり目だからな。調子が悪いときだってあるだろう。
>八:それが、年を食ったってことなんじゃねえのか? こんなこと滅多(めった)にあるもんじゃねえぞ。
>熊:半年くらい前だって、あっただろ?
>八:梅雨(つゆ)の頃のだろ? 母ちゃんが捨て忘れた卵焼きのことじゃねえか。あんときは、食う前から危ねえかなって、分かってたから良いのよ。
>伝:お前ぇの食い意地ときたら、野良猫並みだな? しかしよ、腐ってりゃ、猫も跨(また)いで通るって言うぜ。
>八:放(ほ)っとけ。
>熊:まあ、今日のところはちびちびやって終(しま)いにしとくんだな。
>八:物を食わずに指を咥(くわ)えてろってのか? 冗談じゃねえや。
>熊:だって、まだ具合いが悪いんだろ?
>八:そんなもん、1合も飲みゃあ治(なお)る。・・・おーい、親爺い、温(ぬる)めの燗(かん)で2本付けて呉れ。
>熊:まったく、懲(こ)りねえ野郎だな、お前ぇは。

3人が烏賊(いか)と大根の煮物を突付き始めた頃、お咲とお花が立て続けにやってきた。

>花:熊さんに八つぁん、いらっしゃい、ませ。
>咲:「ませ」もいらないのよ、お花さん。そう教えたでしょ?
>花:でも、年上の殿方に向かうと、つい。・・・それに、良いんですか? 「熊さん」とか「八つぁん」とか、馴れ馴れし過ぎやしません?
>咲:良いの良いの。慣れてる呼ばれ方の方が、ご当人たちにとっても気楽なの。ねえ、そうでしょう?
>熊:あ? まあ、そうだな。最初のうちは照れ臭いけどな。
>咲:照れ臭いのなんか、3日も呼ばれりゃ、なくなるって。
>花:はあ。それじゃあ、そういう風にしてみます。
>咲:「してみます」じゃなくて、「してみるわ」でしょ?
>花:あ、そうだったわね。あたしったら、とっても愚図(ぐず)ね。・・・あたし、支度(したく)してくるわね。
>八:よう、お咲坊。お前ぇ、お花ちゃんに厳し過ぎるんじゃねえのか? まるで、寺子屋の先生かなんかみてえじゃねえか。
>咲:良いの。お夏ちゃんから任(まか)されたんだから、あたしのやりたいようにさせて貰うわ。
>八:それにしても、なんだか可哀想(かわいそう)に見えるぜ。
>咲:あら。八つぁんはやけにお花さんの
肩を持つのね?
>八:そ、そんなんじゃねえよ。・・・親爺の親戚でもねえ小娘から、そうまで厳しくされちゃ、誰だって可哀想だって思うだろうよ。なあ、そうだろ、熊?
>熊:そうだな。ほどほどにしてやれよ、お咲坊。
>咲:当たり前じゃない。お節介(せっかい)は明日まででお終い。3日も我慢できればもう大丈夫だから。

暫(しばら)く、大人しく様子を窺(うかが)っていた伝六が口を挟んだ。

>伝:あの娘は、お花っていうのかい?
>熊:なんだよ。お前ぇまで肩を持ちたくなりやがったのか?
>伝:そうじゃあねえんだよ。どっかで見たような気がするんだよな。
>熊:他人の空似だろ。
>伝:そうかなあ。・・・どこに住んでるのか聞いてねえのか?
>熊:そこまでは知らねえよ。お咲坊は聞いてねえか?
>咲:知らない。知ってても教えてあげない。女の年とか家のことなんか無闇に教えちゃ駄目(だめ)なのよ。
>熊:別に、下心があって聞いてる訳じゃねえだろ?
>咲:そんなの分かるもんですか。
>伝:熊さんは、お咲ちゃんには信用がねえんだな。
>熊:放っとけ。

>八:養生所で知り合ったって、お夏ちゃんは言ってたっけな。
>伝:養生所か。・・・小石川の辺りだよな。うーん・・・
>熊:そんなこと考えてたって仕方ねえだろ。そんな暇があるんだったら、普請奉行のことを話そうじゃねえか。そうだろ?
>伝:そうだな。・・・でも、桃山の旦那もお夏ちゃんもいねえとなると、なんだか締まりのねえ顔触れだな。
>熊:なんてことを言いやがる。お夏坊から「頼りにしてる」って言われたのは、このおいらなんだからな。
>八:おいらだって。
>咲:猪ノ吉さんと鹿之助さんもだけどね。
>熊:あいつらはいつ来るか分かったもんじゃねえからな。
>伝:猪ノ吉さんってのは、旦那の昔馴染みだったよな?
>熊:ああ。剣術道場の師範代をしてる。
>伝:そいつは心強いな。鹿之助さんってのは?
>熊:やっぱり鴨太郎の昔馴染みで、お夏坊の兄貴だ。一応な。
>伝:それじゃあ、相当な切れ者なんだろう? そりゃあ心強い。
>熊:「一応」って言ったじゃねえか。あんまり期待し過ぎるなってんだ。・・・下手をすると、与太郎の方がよっぽど役に立つぜ。
>伝:なんだ、そうなのか。与太郎程度じゃ、高が知れてるな。
>熊:だから、ここにいる4人でやるしかねえんだよ。・・・そのうちの1人は、二日酔いが抜けてねえから、今日のところは半人前だけどな。
>八:もう大丈夫だぞ。見てみろ、1本目の銚子を空けたからよ。こうなりゃこっちのもんだ。矢でも鉄砲でも持ってきやがれってんだ。
>伝:駄目だなこりゃ。・・・仕方がねえな。心許ないけど、この面子(めんつ)で始めるとするか。

そんなところに、猪ノ吉が現れた。
「よう」と、結構気楽そうに挨拶(あいさつ)を寄越(よこ)した。

>熊:連日だってのに、よく出さして貰えたな。
>猪:嘉剛(よしたけ)のことで気が塞(ふさ)いでるんでって言ったら、喜んで送り出して呉れたよ。
>熊:まだ来てやがるのか、やっぱり?
>猪:まあな。唯(ただ)、大工に叩きのめされたのが悔しかったのか、今日は大人しく素振りだけを続けてたよ。格段の進歩だな。まあ、先は知れてるけどな。
>熊:そうか。幾らか役に立った訳だな。
>猪:大いに役に立ったさ。
>熊:・・・ああ、そうだ。猪ノ吉、こいつが、鴨太郎の下で岡引きをしてた伝六だ。普請奉行のことは、半年も前から調べてるそうだ。
>猪:おおそうか。これは心強い。宜しく頼むぜ。
>伝:こっちこそ、宜しくお願いいたしやす。
>猪:それにしても、半年前とはな。鴨太郎の奴も隅に置けねえな。
>熊:鼻が利くんだか、運が悪いんだか。
>猪:はっは、あいつらしいよな。やっちゃいけねえことにばっかり関わりたがる。

>伝:そんなことだから、用心棒紛(まが)いの役目をやらされるんでさ。1年も2年も行ってるとなりゃ、与力とかお奉行とかからの覚えだって、悪くなっちまうに決まってる。どうしようってのかね、まったく。
>熊:2年じゃねえよ。5年だとよ。
>伝:なんだと? そんなになのか? ・・・こりゃあ駄目だな。こりゃ、本気になって別の旦那を探さなきゃならねえかな?
>熊:そうした方が良さそうだな。・・・まあ、鴨太郎本人にとっちゃ、良いことだったのかも知れねえがな。
>伝:良い訳ねえじゃねえか。戻ってきたって、食い扶持(ぶち)がねえんだぞ。
>熊:まあ、そんときゃ、お夏坊がやる医者で小間使いでもするしかねえな。
>伝:小間使いだと? あの旦那が小間使い? ・・・嗚呼、情けねえ

>猪:遠くに行っちまったら、その遠さの分だけ情も薄くなる。役人たちってのはそういうもんだな。
>熊:そうと決まったら見送りもしねえっていう、変わり身の早さも役人らしさってことか?
>猪:そういうことだ。
>熊:まったく、血も涙もねえのか役人どもには?
>猪:ねえんだろうよ。・・・尤(もっと)も、俺たちだって、5年も会わねえとなりゃ、自然にそんな風になっちまうのかも知れねえがな。
>熊:そんな寂しいこと言うなよ。
>猪:毎日の暮らしってのはよ、段々同じようなものになっていって、鴨太郎のことなんてのは、後回し後回しにされてるうちに「非日常」になっちまうのさ。
>熊:まあな。そういうもんなのかも、知れねえな。
>八:おいらは違うぞ。お夏ちゃんのこと、忘れたりなんかするもんか。絶対にだ。
>熊:お前ぇの「絶対に」ほど確かじゃねえもんはねえだろ?
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