第19章「俊才お夏の諸事情@(仮題)」

171.【け】 『挂冠(けいかん)』
 
(2003/03/10)
『挂冠・掛冠』
冠(かんむり)を脱いで柱などに掛けるという意味で、官職を辞(や)めること。辞職すること。
類:●骸骨を乞う
故事:後漢書−逸民伝・逢萌」 中国、後漢の逢萌がv(おうもう)に仕えることを潔しとしないで、その役職の冠を都の城門に掛けて斛東に去った。
出典:後漢書(ごかんじょ) 中国の正史。二十四史の一つ。120巻。本紀10巻、列伝80巻は南朝宋の范曄(はんよう)、志30巻は晋の司馬彪(しばひょう)の撰。1022年成立。後漢(25〜220)の歴史を記したもの。紀伝の部には唐の李賢の注、志の部には南朝梁の劉昭の注を付記する。注釈書に、清の王先謙の「後漢書集解」120巻がある。
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桃の節句(せっく)に雛人形を飾るのだと、棟梁の源蔵は大張り切りである。
去年初節句をしたのだからもう良いだろうという、源五郎の言葉など何処吹く風である。

>源:なあ親父、こんなご時世(じせい)に贅沢(ぜいたく)は止(よ)そうぜ。
>棟梁:可愛い孫娘の厄(やく)を払うためだ。何が贅沢なもんか。
>源:そんなの去年やったから良いじゃねえか。
>棟:去年は安っぽい紙人形で、大川に流しちまったじゃねえか。だから、今年こそ立派なのを飾ってやりてえのさ。
>源:そんな暇があったら、俺の「本厄」の方を何とかするのが筋ってもんじゃねえのか?
>棟:馬鹿も休み休み言いやがれ。自分のことを守れる好い大人にゃ厄払いなんか要るかってんだ。年端も行かねえ幼子(おさなご)だからこそ必要なんじゃねえか。そうだろ?
>源:分かるさ。俺だって静(しずか)の親だぜ。・・・だがよ、まだ丸2年にもなってねえんだぜ。紙とか藁(わら)で作っときゃ十分だろ。
>棟:藁だと? 巫山戯(ふざけ)るのは顔だけにしとけよ。初孫に藁のお雛様なんかやれるかったんだ。
>源:こんな顔になったのは誰のお陰だと思ってやがるんだ。
>棟:知るか。どうしても知りたかったら婆さんにでも聞いてみろ。
>お雅:朝っぱらからなんてくだらないことを話してんの。とっとと稼(かせ)ぎに行っといで。
>源:どこで聞いてやがったんだ?
>雅:どこにいたって悪口だけは聞こえてくるのさ。便利な耳だろ?
>源:止せやい。あやにまで移(うつ)ったらどうするんだよ。
>あや:移って困ることなんかしてるんですか?
>源:あや、お前ぇもか・・・

熊五郎や八兵衛が来る前に、雛人形の件を片付けてしまおうと思ったが、とてもそんな状況じゃなくなってしまった。
そんな時、「御免」と、訪れた者があった。普請方の役人、小豆内海(しょうどうつみ)であった。

>小:源五郎殿はご在宅か?
>あや:はーい。・・・まあ、小豆様。ご無沙汰をしておりまして。
>小:おう、ご内儀。相も変わられずお綺麗なことで。小豆、朝から良い目の保養をさせていただきましたぞ。
>あや:ま。お上手ですこと。・・・どうぞ、むさ苦しいところですけど、お上がりになってくださいませ。
>小:朝早くに押し掛けてしまい申して、相済まぬことです。少しばかり、込み入った頼みごとがあり申して・・・
>あや:頼みごとですか?
>小:筋違いは承知の上なのですが、他に相応(ふさわ)しい知人を持ちませぬので・・・
>あや:兎に角、お上がりくださいませ。すぐに呼んで参りますので。

お役人から頼まれごと? 取り次がれた源五郎は、朝食もそこそこに、居間へ向かった。

>小:いつぞやは、お恥ずかしいところばかりお目に掛け申し、面目次第も御座いませぬ
>源:なあに、そういう固いことは抜きにしてくださいやし。あっしも厄だとしとか言って、頭から布団を引っ被って寝てただけなんでやすから。
>小:八つぁんや熊さんは、まだお見えでないようですな?
>源:寒いせいか、ぎりぎりまで寝てるんでやしょう。さもなきゃ、昨夜(ゆうべ)飲み過ぎたかのどっちかでやすよ。
>小:はは。良いですな、お酒が強い人たちは。拙者なぞ、嫌いではない癖に、下戸(げこ)同然の弱さときてる。
>源:量さえ弁(わきま)えてれば良いんですよ、小豆様。程好く酔うから酒は楽しいんです。あいつらみてえに、酔い潰れぎりぎりまで飲むこたあねえってことでやすよ。
>小:然(さ)もありなんですな。程々、程々ですな。
>源:それで? お話というのはどういったことでやすかい?
>小:あ、これは申し訳ない。朝の忙しい中、刻(とき)を割いて貰ってるのでしたな。
>源:そんなこたあ済まなくもなんともありませんや。それより、特に八の野郎が来たら、四半刻(約30分)で済む話が3倍くらいになっちまいやすからね。
>小:一々ご尤(もっと)もですな。・・・では、お話します。

小豆の話はこういうものであった。
弟の家島網綱(いえじまあみつな)の仲介で、養子を取ることになった。小豆の家名を思ってのことと感謝している。
唯(ただ)、問題があって、その母親まで付いてくるという。体裁(ていさい)こそ養子縁組であるが、誰がどう見ても子持ちの嫁を貰ったと言われる。
百歩譲(ゆず)って、そういう風評にも甘んじよう。しかし、一度も会ったことのない女性を家に入れるのは、殊(こと)の外(ほか)不安だ。
どういう人で、前のご亭主とどういう経緯(いきさつ)だったのかを調べては呉れないだろうか?

>源:そういうことは、ご自分で直接お聞きになった方が宜しいんじゃありませんか?
>小:網綱のやつ、教えて呉れんのだ。一体どういう魂胆があるのやら、拙者ごときには、推(お)し量(はか)るべくもないのだ。
>源:困ったご兄弟ですね。
>小:磯次郎、養子の名だが、その居所は分かって居るのだ。三崎町の「分教場」という寺子屋に居るらしい。
>源:お年は?
>小:16、7だと言って居った。場合によっては、拙者の隠居と入れ違いに普請方に押し込めるやも知れぬ。
>源:隠居などという年じゃあねえでしょうに。
>小:いや。今となっては出世も望めないし、却(かえ)って将来のある養子に任せてしまった方が良いような気がするのだ。
>源:そうは仰っても・・・
>小:家名さえ繋(つな)がれば、拙者は本望(ほんもう)。何も思い残すことはない。
>八:そりゃあ、あんまり勿体ねえですぜ、小豆の旦那。
>小:おう、八つぁん、来て居ったのか?
>八:来てたかじゃありやせんぜ。相談ごとにこの八兵衛抜きってのは、どうかと思いやすよ。
>源:こら、八、盗み聞きなんかするんじゃねえ。
>八:盗み聞きだなんて、人聞きが悪いですぜ。勝手に耳に入ってきちまったんで、おいらの責任じゃありませんや。
>源:屁理屈を捏(こ)ねるんじゃねえ。・・・でもま、聞かれちまったんじゃ仕様がねえな。まあ、ことの序(つい)でだ。お前ぇと熊とで、小豆様の頼みを聞いてやりな。俺は女の人が絡(から)む話は、てんで駄目だからな。
>八:任(まか)しといてください。小豆の旦那、この八兵衛がきたからには、もう安心ですぜ。大船に乗った気でいでお呉んなさい。
>源:大丈夫かよ?

小豆は、くれぐれも当人たちには気付かれぬようにと、念を押して帰っていった。

>熊:お前ぇ、また安請け合いしちまったが、大丈夫なのか?
>八:決まってんだろ? 16、7なんだろ? こっちにゃ顔の広いお咲坊と、頭の良いお夏ちゃんがいるんだからよ。
>熊:結局人任せか。そんなことだろうと思ったぜ。
>八:何を言いいやがる。「使えるものは猫でも使え」って言うじゃねえか。
>熊:言わねえよ。それを言うなら、「立ってるものは親でも使え」だ。
>八:それそれ。余計な刻なんか使わずに、手っ取り早く済ませちまえってことよ。
>熊:いくら顔が広いってったって、お咲坊の付き合いにも限りってもんがあるんだからな。そのときは手前ぇで出張らなきゃならねえんだからな。
>八:そんときゃ、三吉にでも行かせりゃ良い。
>熊:それこそ手抜きだろう。まったく、請け負ったら最後まで面倒(めんどう)を見ろよな。
>八:兄弟子の役得ってやつよ。使わなきゃ損だろ?
>熊:自分に都合良いことばっかり言いやがって。良い死に方なんかできねえぞ。
>八:そんなの知ったこっちゃねえさ。適当な年になったら適当に隠居してよ、適当な毎日を送れりゃそれで良いの。死んだ後のことなんかどうとでもなれだっての。
>熊:だから、良い死に方をしねえってのはだな、誰も焼香(しょうこう)に来て呉れねえほど嫌われて死ぬってことだ。そんなやつが適当な隠居生活なんかできる訳ねえだろ?
>八:そりゃあ困るな。・・・じゃあ、どうしろってんだ?
>熊:人任せになんかしねえで、自分の足で探し回れってことだ。
>八:それじゃあ、腹ばっかり減るだけで、おいらのためになることなんか1つもねえじゃねえか。
>熊:請け負うってのはそういうことなの。お礼の言葉が何よりの報酬ってとこだ。
>八:おいら、「お礼の品」の方が有り難えんだがな。
>熊:今説明したばっかりだってのに、お前ぇ、なんにも聞いてなかったのか?
>八:へへーんだ。おいらにとっちゃ、人から嫌われることより、食い物の方が大事なことなの。
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