40. 【い】  『一寸(いっすん)先(さき)は闇(やみ)』 (2000/08/21)
『一寸先は闇』[=闇の夜]
行く道の一寸先には何が転(ころ)がっているか分からない。将来のことは予測できない。
類:●Who can read the future?(未来が読める奴なんかいない)<「英⇔日」対照・名言ことわざ辞典
出典:「毛吹草」・「東海道名所記
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田ノ助ともう1人は、しゅんとなって、権太のところへ戻っていった。
何も報告することがなくて、こってり絞(しぼ)られることだろう。

>夏:お咲ちゃんはなんにも関係ないんじゃない。その親分相当とち狂ってるんじゃないの?
>熊:ものには成り行きってもんがあるだろう。
>夏:でも、関係ない人間を、それも、うら若き乙女(おとめ)をよ、勾引(かどわか)すとは何事よ。あたし、ちょっと行って意見してくる。
>六:まあまあ、待ちなさい。何もそこまですることは・・・
>熊:そうだよ。人質(ひとじち)が倍になっちゃ却(かえ)って面倒(めんどう)なことになる。
>夏:あら、あたしそこまで向こう見ずじゃないわよ。行くんなら皆さんと一緒。人海(じんかい)戦術よ。

>熊:まあ待ちなよ。親方が待てと言ってるんだ。あと2日待てば無事帰ってくるんだから。
>夏:ほんとに無事だって言えるの?
>熊:ああ無事だ。
>夏:その親方って信用できるの? 当てずっぽうで言ってるんじゃないでしょうね。
>熊:大丈夫だ。
>夏:この世の中に確かだって言えることなんか何一つ在りはしないわよ。
>熊:そんな情けないことを言うもんじゃない。少なくとも、親方は信頼できるお人だ。
>五六:そうそう。
>八:熊の野郎は信用できなくても、親方は信用して大丈夫だ。それに姐(あね)さんも絡(から)んでることだしな。
>夏:親方のお内儀(かみ)さん? 関係あるの?
>八:大有り。なあ親爺?
>亭主:お夏っちゃんにお願いする前にここを手伝って貰ってた人なんだがね・・・
>夏:あ、お咲ちゃんから聞いたことある。あやさんって人?
>熊:お咲坊がなんか言ってたのか?
>夏:お咲ちゃんには珍しくべた褒(ぼ)めだった。凄い人だ、あの人には敵(かな)わないって。
>八:まるで化け物か怪力女だな。
>四:八兄い、言い付けちまいますよ。
>八:構(かま)わねえよ。おいらと姐さんの仲が、お前ごときに裂(さ)けるもんか。
>夏:ふうん。

お夏も、あやには興味を持ったらしい。

>夏:・・・ねえ、明日、親方も連れてきてよ。
>熊:なんだよ藪から棒に。
>夏:会ってみたいじゃない。熊お兄ちゃんの親方に。
>熊:別にお夏坊に会わせたからって、事がどう変わる訳でもねえ。
>夏:できればお内儀さんにも会いたいな。
>熊:人の話、聞いてんのか?
>夏:あたしだってお咲ちゃんのこと心配してるのよ。安心させてやろうくらいの思い遣りはないの?
>熊:そんなこと親方の責任でもなんでもないじゃねえか。
>夏:良いじゃない。どうせ明日は何も進まない訳でしょう? 唯(ただ)待っているくらいなら、ここで打ち合わせと行きましょうよ。
>熊:お前ぇ、本気で関わる積もりなのか?
>夏:当たり前じゃない。こう見えてもあたしって結構役に立つのよ。田ノちゃんのことだって、あたしがいなかったらどうなってたか分からないじゃないの。
>八:違ぇねえ。駄目(だめ)は元々で聞いてみちゃあどうだ? なんだったらおいらが聞いてやっても良いんだぜ。
>夏:八兵衛さんって話せるぅ。分からず屋の熊お兄ちゃんとは大違い。
>八:なんてったって、親方と姐さんの仲を取り持ったのは他でもねえおいらだからな。
>夏:頼(たよ)りになりそう。
>三:八兄い、言い過ぎじゃねえですか?
>四:でも、強(あなが)ち間違いじゃありませんよ。
>熊:姐さんも偶(たま)には顔を出したいって言ってたしな、聞いてみるのも良かろうよ。
>夏:やったあ。
>熊:来て呉れるかどうかなんて、分からねえんだからな。
>夏:案外馬が合っちゃったりしてお咲ちゃんと3人で姦(かしま)しくはしゃぐ、なんてことになるかどうかだって分からないのよ。
>熊:そんなことある訳は・・・
>夏:無いって言い切れる?
>熊:そう問い詰められると断言はできねえよ。姐さんって、ああ見えて、結構茶目っ気(け)もありなさるから。
>夏:それじゃあ、明日の晩ね。楽しみだわ。

その頃、田ノ助たちの報告を耳にした太郎兵衛は、直々(じきじき)に源五郎のところへ出向くしかないなと、決心していた。
あやへの祝儀(しゅうぎ)という建て前があれば、無下(むげ)に追い返されることもあるまい。
権太を寄越(よこ)して角を立てるより、自分が行って誠意を見せれば、敵の心の内を探れもするだろう。
一番望ましいのは銭で動く人間であって呉れることだが、あのあやの亭主である以上、まずそれはあり得ない。
とは言っても一介の町人。手荒なことは望まないだろうから、必ず、折り合う条件を見付け出せる筈だ。

>太:権太、明日その大工のところへ行ってくるから、上等な反物(たんもの)でも用意しといて呉れないか。
>権:お独りでですか?
>太:その方が良さそうだね。お前が一緒だと、あやの奴が嫌がるだろうから。
>権:承知しやした。ですが、若い衆を1人くらい連れてった方が良いんじゃねえですか? 念のために。
>太:牛込(うしごめ)の界隈(かいわい)はそう物騒(ぶっそう)なところじゃないが、まあ、そうだね。一見(いっけん)抜けていそうなのを1人見繕(みつくろ)っておいてお呉れ。
>権:それじゃあ、田ノ助でも連れてってください。ちょいと呆(とぼ)けてますが威勢だけは一端(いっぱし)ですから。
>太:分かった。行くのは朝のうちの方が良いだろう。
>権:雨になるかも知れませんね。
>太:いよいよ梅雨(つゆ)か。嫌な季節になるねえ。
>権:先行きも雨勝ち、なんてことにならなきゃ良いですね。
>太:先がどうなるかなんて誰にも分からないけど、意外と正念場かもしれないね。舐(な)めて掛かる痛い目を見るかもな。
>権:それ程のもんですかねぇ?
>太:妙な話だが、あのあやという女が絡(から)むと、どうも良くないことになる。
>権:まだ1回きりじゃねえですか。気にするようなことじゃありませんよ。
>太:だがね、段取りを間違うと、町方が介入してくる事態にだってなり得るからね。
>権:確かに。それだけはなんとしても避けておかないといけませんね。
>太:なんとしてもね。

乾の刻(9時)、「だるま」ではお夏が帰り支度(じたく)を始めていた。
それが合図か何かであったように、殆(ほとん)どの客が一斉に卓の片付けに取り掛かった。

>八:ここに来る客は揃(そろ)いも揃っ現金だねえ。お目当てがいなくなるともう仕舞いかよ。
>松:そう言うお前ぇだってご馳走(ちそう)様って顔してやがるぜ。
>八:おいらは、なんだ、明日の仕事に差し障(さわ)りがねえようにと思ってだな・・・
>四:あのう、明日は昼過ぎからでも十分間に合っちまいますが。
>八:あん? そうだったか? まあ良いじゃねえか、細かいことはよ。
>松:お前ぇもそこいらの助平親爺と一緒だな。
>八:失礼な。まだ三十路(みそじ)前だぞ。夢も希望もなくしちまってる親爺どもと一緒にして欲しくないね。おいらにはまだまだ明るい未来が残されてるんだからよ。
>四:明るいと決まったもんじゃないですよ。
>八:決まってるのよ、おいらにとってはな。辛(つら)いことがあったってよ、そいつを見なかったことにしちまえば良いんだ。なんてことねえだろ?
>熊:まったく分かり易い奴だね、お前ぇは。
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