38. 【い】  『一刻千秋(いっこくせんしゅう)』 (2000/08/07)
『一刻千秋』
時間の経つのが非常に長く思われること。
類:●一日千秋一日三秋
★「詩経−王風・采葛」「彼采蕭兮。一日不見如三秋兮」
からできた言葉。「一日三秋」→「一日千秋」→「一刻千秋」。
出典:詩経(しきょう) 中国最古の詩集で、経書の一つ。305編。撰者未詳。孔子が約3000の古詩から選んだものと言われる。風・雅・頌の三部から成る。風は国風とも言い、黄河流域の諸国の民謡で15に分かれ、雅は周王朝の宮廷歌で大雅・小雅の2つに分かれ、頌は祖先神を祀(まつ)る歌で周頌・魯頌・商頌の3つに分かれる。ほぼ紀元前10〜6世紀間の歌と推定され、四言の詩型を中心として、繰り返しが多い。漢の毛亨(もうこう)が伝えた書が唯一の完本であるため「毛詩」とも呼ばれる。「詩(し)」。
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源五郎から、「くれぐれも早まった行動はするなよ」と言い含められて返された5人だったが、そのまま大人しく長屋へ帰れるものではない。
特に、熊五郎は釈然としない。
お咲に個人的な感情があるからというのじゃない。いや、それもある。
唯(ただ)それよりも、同じ長屋の住人であるという人道的な意識が、待つだけという消極性を責めるのである。

>八:五六蔵よ、お前ぇ腹具合いはもう良いのか?
>五六:良いも何も、碌(ろく)に食うものを食ってねえんですからね、腹が減ってくらくらしそうですよ。
>八:腹が減ってるならもう大丈夫だな。
>五六:今のありさまなら、「だるま」の親爺が拵(こさ)えたものだって丼(どんぶり)一杯食えますよ。
>八:ほんと、頑丈(がんじょう)だねお前ぇは。二助の代わりに締め上げて貰ってたら良かったのにな。
>熊:それを言うんならお咲坊の方だろう。
>八:そうだな。お咲坊は言ってみりゃ身代わりの人質(ひとじち)だもんな、五六蔵だって訳は一緒だ。
>三:そりゃあどうですかねえ。娘だったら人質になるでしょうが、むさ苦しい兄貴じゃあ用を成さないんじゃねえですか?
>八:ほう。こいつも尤(もっと)もだ。
>五六:好い加減にしてくださいな、笑わされると空きっ腹に響くじゃありやせんか。
>八:そうだな。早いとこ行って食いもんにありつくとするか。

だるまには、まだ刻限が早いせいか、客は1人も来ていなかった。

>八:親爺、相変わらず閑古鳥だな。
>亭主:お前らねえ、ご無沙汰しといて何を抜かしやがる。知らないだろうが、近頃はとんでもなく繁盛してるんだよ。
>八:おや、大きく出たねえ。このどこが繁盛だ? 人っ子一人いねえじゃねえか。
>亭:6つ半(19時半頃)の頃になりゃあ分かるさ。
>八:なんでも良いから酒を出しと呉れ。それと、腹に溜(た)まりそうなもの。
>亭:あいよ。

>八:熊よ、どうしたい、さっきから神妙になっちまってよ。そんなにお咲坊のことが心配か?
>熊:そりゃあ心配もするだろう。まだ小娘だぞ、おいらたちみてえに下り坂じゃねえんだ。
>八:心配しねえで良いって親方も仰(おっしゃ)ってたじゃねえか。気を揉(も)むだけ無駄だよ、な。
>熊:そうなんだろうがな、どうも落ち着かねえ。確かに無事だっていう証(あかし)が見てえんだ。
>八:真逆(まさか)お前ぇ、確かめに行こうなんて気を起こしてんじゃねえだろうな。
>熊:そこまではしねえけどな。なんか方法はねえかなと思って。
>八:良いじゃねえか、たった3日、いや、2日半の辛抱だ。
>熊:お前は、2日半もじっとして待っていられるのか?
>八:あたぼうよ。じっとなんかしてられる道理がある訳ねえ。
>熊:なんでえ、お前だって待てねえんじゃねえか。
>八:大丈夫だよ、きっと明日辺りなんか起こるに決まってる。
>五六:なんかってなんでやすか?
>八:さあ。そこまでは分からねえがよ。
>五六:好い加減ですねえ、八兄い。
>八:おいらはずっとこうやって生きてきてるの。

6つを過ぎた頃、半次と松吉が六之進を連れて入ってきた。
六之進は、心ここに在らずという様子で、たった半日なのに随分窶(やつ)れてしまったように見える。
熊五郎も、不安に苛(さいな)まれてばかりはいられない。今度は慰(なぐさ)め役に回らなければならないのだ。

>六:熊さん、八つぁん、源五郎親方はなんと言ってた?
>八:結論から言うけど、3日後の昼にお咲坊は無事帰って来るってよ。
>六:3日後? どうしてだ。なあ熊さん、なんで今すぐじゃ駄目なんだ?
>熊:順を追って話すから、少し飲んで、気を楽にして呉れねえか。

六之進は強くはない筈の酒を一気に呷(あお)り、どっかりと腰を下ろした。

さて話し始めようとした矢先、3組の客が入ってきて、3つの卓を埋めた。
どうなってるんだと、顔を見合わせていると、今度は7人もの団体が入ってきて、奥の小上がりを占領した。
瞬(またた)く間に店は満席になり、しまいには、遅れてきた数組を断(ことわ)るほどである。
亭主は八兵衛に向かってにんまりして、「ほうら見てみろ」という手振りをした。

>八:一体どうなってるんだ?
>半:さあ。おいらも久し振りだからな。
>松:なんだ、お前ぇら知らねえのか? 6つ半になるとな、手伝いの娘が来るんだ。
>八:手伝い? うちの姐さんの後釜か?
>松:まあ、そんなようなもんだな。
>半:いつの間に。
>松:実はおいらもつい3日前に初めて知ったんだがよ、こいつがまた、可愛いのなんのって。好い年扱(こ)いたおっさんたちが夢中になるのも無理ないってくらいなんだ。
>八:だから、どういう風に可愛いんだか説明しろよ。
>松:口じゃあ説明できねえよ。もうすぐ来るから、自分の目で確かめろ。

>五六:なんだか楽しみですね。
>三:だけど、可愛いったって、好き好きですからね。
>四:眉唾ものですね。
>松:この捻(ひね)くれ者どもめが。実際に見てからほざけ
>八:松つぁんがそこまで言うんだから、よっぽどなんだろうな。待ち遠しいな。早く来ないかな。
>六:おいおい、お前さんたちねえ、うちの咲の話はどうなってるんだ?
>八:無事(ぶじ)なのは間違いねえから、後回し後回し。
>六:酷(ひど)いやつらだなぁ、まったく。うちの長屋には情のあるやつはいないのかい。・・・熊さん。あんたは違うだろう?
>熊:勿論(もちろん)ですとも。それじゃあ、まず、淡路屋太郎兵衛というやくざもののことから話しやしょう・・・

熊五郎の声を掻き消すほどの大声で、八兵衛が亭主に声を掛けた。

>八:おーい親爺、もう6つ半だぞ。手伝いの娘はどうしたい? 待ち切れねえぞ。今日は休みだなんて言ったら絞め殺すぞ。
>亭:物騒(ぶっそう)なこと言うもんじゃない。大丈夫だよ、ちゃあんと来るから。せいぜい
鼻の下を長くして待ってろ。
>八:首を長くしてじゃなくって、鼻の下だとよ。上手いこと言いやがる。

と、噂をすれば、影が射す

>娘:ご免なさい、遅くなっちゃった。あら、今日も大盛況(だいせいきょう)ね。皆さん、今日もよろしくお願いしまあす。

飲んだくれ連中のどよめきが巻き起こった。
つづく)−−−≪HOME