第28章「調子者八兵衛の本心A(仮題)」

245.【せ】 『青眼(せいがん)』
 (2004.08.23)
『青眼』
自分が好ましいと思う人を迎える時の、嬉しい心が現れた目元。訪れた人を歓迎する目付き。
類:●青顧
反:●白眼
出典:「晋書−阮籍伝」 「籍大悦、乃見青眼
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箱根への温泉旅行から帰るなり、お雅は愚痴を零(こぼ)しっ放(ぱな)しである。
やれ「今年の夏は暑過ぎる」だ、やれ「雨が降らなきゃ趣(おもむき)もへったくれもありゃしない」だと、源五郎に当たったってどうにもならないことばかり言う。

>雅:その上、あの旅籠(はたご)はなんだい。効能書きには「関節の痛み・五十肩」とか書いておきながら、ちっとも効(き)きゃしない。こっちは行く前より肩が凝っちまったよ。
>源:はしゃぎ盛りの孫を抱えてちゃ肩凝りも酷(ひど)くなるだろうよ。
>雅:いや違うね。あたしの勘だけどね、ありゃあ雨水かなんかを貯めて沸(わ)かしてるだけだね。
>源:そんなことがあるかってんだ。ちゃんと硫黄(いおう)の臭いだってしてたんだろう?
>雅:臭いなんか野天(のてん)じゃ分からないじゃないか。そこいら中そういう臭いなんだからね。
>源:それなら態々(わざわざ)雨水を沸かす必要なんかねえじゃねえか。湧(わ)き出たときから熱いんなら薪(まき)をくべることもねえ。
>雅:そんじゃあ、熱い湯を温(ぬる)めるのに雨水を使ってるんだね、きっと。・・・どこが「看板に偽りなし」だよ。牛頭を懸けて狗肉を売るってんだよ、まったく。
>源:勘繰り過ぎだっての。飲み薬じゃねえんだから効果覿面(てきめん)とはいかねえさ。
>雅:冗談じゃない。こっちは高い宿料(しゅくりょう)を払ってるんだ。碌(ろく)なもんを食わせもしないで、効き目なしじゃ割りに合わないね。
>源:親父(おやじ)はなんだって?
>雅:あれは鈍(にぶ)いからね。「なんだか肩が軽くなったような気がするぜ」だってよ。なんにも分かってないのさ。
>源:鈍いのはどっちだかね。
>雅:なんだって?

機嫌の悪いお雅を刺激するのは上策ではない。源五郎はさっさと話題を変えた。

>源:それはそうと、親父の奴、朝っぱらからどこへ出掛けたんだ?
>雅:相馬屋から呼び出しが来たとか言ってたねえ。大方(おおかた)、縁台将棋か何かの話だろうよ。
>源:朝からか? そりゃあねえだろう。
>雅:相馬屋の爺さんときたら、すっかり耳が遠くなっちまって、碁(ご)とか将棋しか楽しみがなくなってるんだよ。
>源:それにしたって、そんなことのために呼び出したりはしねえだろう?
>雅:するに決まってるじゃないか。碁と将棋を抜いたら、あとは死ぬのを待つくらいしか楽しみがないんだからね。
>源:なんてえ言い種(ぐさ)だよ。

>雅:・・・あ、1つあったわ。
>源:なんだい?
>雅:縁結びだとさ。
>源:仲人(なこうど)ってことか?
>雅:どうもそうらしいんだよ。あの爺さん、どこぞの碁会所に行ってるそうなんだが、横好き仲間が自慢たらたらに言うんだとさ。「あたしはもうざっと30組は纏(まと)めましたかな、ほっほっほ」とかよ。下手は下手なりに碁だけで競っときゃ良いのに、それ以外のとこでばっかり競いたくなる。下手の横好きの見本だね、ありゃ。
>源:碁会所でそんな話をしてるのか? 羨ましいもんだね、隠居暮らしっていうのも。
>雅:それがさ、耳が良く聞こえないから、世間話も筆談でやるんだってよ。考えただけでも笑えるじゃないか。
>源:いやはや。そういうのが元締めかと思うと、ここいらの職人の1人として、情けねえな。
>雅:仕方がないじゃないか。隠居同士には隠居同士の付き合い方ってもんがあるんだからさ。
>源:それにしたって、みんなの目もあるだろう? 恥ずかしくないのかね。
>雅:年を取るとね、恥ずかしいなんてえ感情は磨り減ってなくなっちまうのさ。
>源:そういうもんかね。・・・さてと、出掛けるとするかな。

>雅:ちょいとお待ちよ。
>源:なんだよ。愚痴は聞いてやったし、親父の用事も分かったんだから、もう聞きたいことはねえぜ。
>雅:お前、相変わらずお頭(つむ)の回りが鈍(にぶ)いねえ。
>源:なんだよ、藪から棒に。
>雅:見合い話とくりゃお前の出番だってことさ。
>源:なんでだよ。親父が頼まれたんなら親父が何とかすれば良いだろう?
>雅:そんなことができる玉かってんだ。
>源:おいらは知らねえよ。そこまで面倒を見てられるかってんだ。勝手にやって呉れ。
>雅:ほう、そうかい。お前も随分と言うようになったじゃないか。・・・分かったよ。お前がそういうだろうと思って、当たりは付けてあるのさ。
>源:ま、真逆(まさか)。
>雅:その真逆さ。・・・そんじゃ、行っといで。
>源:待って呉れよ。あやの奴はこの間の友助の一件で、十分満足してるんじゃねえか。
>雅:何を言ってるんだい。寝た子を起こしちまったのはお前なんだからね。好きなようにさせてお上げ。
>源:あやの奴がそんなことを言ってるってのか?
>雅:決まってるじゃないか。尤(もっと)も、嫌だなんて言わせやしないけどね。

面倒なことにならないで呉れよと、それだけを願って、源五郎は仕事場へ向かった。

>八:親方、おはよう御座います。・・・あの、例の件はそれから進展してやせんか?
>源:してねえ。そんなことより、さっさと出掛けるぞ。
>三:・・・なんかあったんですかねえ?
>八:おいらの方が聞きてえや。
>熊:棟梁が出掛けてったのと関わりがあるんじゃねえのか?
>八:棟梁とおいらとは関わりなんかねえぜ。
>熊:お前ぇになくても親方にとってはあるの。・・・多分な。
>八:何もおいらにあたることはねえと思うんだがな。
>熊:そりゃあそうだ。

その頃棟梁の源蔵は、相馬屋から過分(かぶん)な持て成しを受けていた。
元々細い目が糸柳のように細く垂れ下がり、一方的に労(ねぎら)いの言葉を浴び掛けた。

>相:やあやあ良く来なすったな源蔵どん。細(ささ)やかだがな、歓待(かんたい)の膳も用意してある。ま、景気付けに一献(いっこん)やっと呉れ。大したものはないが、酢で〆(しめ)た鯖(さば)なんてものもある。ささ、どんどんやっと呉れ。
>棟:しかし元締め、俺は、朝飯を・・・
>相:何? 朝っぱらから赤い顔じゃ世間体(せけんてい)がかい? 構(かま)うもんかね。寄り合いに酒は付き物だ。
>棟:そうですかい? でも、酸っぱいもんはあんまり好きじゃねえんですよ。
>相:そうかい、喜んで呉れるか。朝取りの胡瓜(きゅうり)もあるぞ。味噌は、信州からの取り寄せだ。
>棟:それじゃあ、胡瓜の方を少しだけいただきやす。
>相:相変わらず遠慮深いな、源蔵どんは。鯖なんぞそう高いもんでもなし、なんなら3、4本土産(みやげ)に持って帰るかい?
>棟:・・・はあ。耳が遠い年寄りってのはどうも扱(あつか)い難(にく)いな。
>相:そうかい? それじゃあ、用件は紙に書くことにするからね。
>棟:聞こえてるんですかい?
>相:なんだって? ちょっと待ってお呉れよ。紙に書いて貰わないと良く分からないんだよ。

相馬屋は、懐(ふところ)から分厚い紙の束(たば)と矢立(やた)てを取り出した。
1枚の紙には、既に文章が書かれてあり、名前のところに落款(らっかん)まで捺(お)してある。

>相:まあ、これを読んでみて呉れないか?
>棟:へい。なになに、「以下の町娘らに相応な男子を探し居り候(そうろう)。一ツ、箪笥町(たんすまち)建具師(たてぐし)乙松の娘、お雪。一ツ、同(どう)紙漉(す)き五郎の娘、蛍(ほたる)・・・」 なんですかい、こりゃ?
>相:10人ほど見繕(みつくろ)ってある。どれでも良いから3組くらい纏め上げて呉れ。
>棟:3組くらいですって? そりゃあ幾らなんでも・・・
>相:そうか。請(う)けて呉れるか。これは助かる。さ、手打ちの酒だ。ぐいっと干して呉れ。
>棟:そりゃあ無理ってもんですよ。
>相:なんだね? なんか言ったかい? なんならこれに書いてみて呉れないか?
>棟:いやあ、それほどのことでもねえですから。
>相:なんだ。手間賃とかそういうことじゃないのか? 欲のない奴だな。・・・まあ、そういうことは、目出度いことだから、銭惜しみはしないだろうよ。楽しみにしとくんだな。

結局、丸め込まれてしまった。
(源五郎に丸投げしとくか、なんとかなるだろう) 結局は人任せ、である。
無理矢理押し付けられた〆鯖の折(おり)が臭ってきそうで、そちらの方が後ろめたかった。
つづく)−−−≪HOME