弘法も筆の誤まり(こうぼうもふでのあやまり)

ことわざの意味
弘法大師のような書道の名人でも書き損じをすることがある。その道に長じた人でも時には失敗を犯すことがあるという喩え。

類似のことわざ

類似の英語のことわざ

  • Even Homer sometimes nods.(ホーマーすら時に居眠り[失策]をする)

ことわざの由来

空海は勅命を受け、京の都の応天門の額を書いたが、門に掲げてから「応」の字の初めの点を書くのを忘れたことに気付いた。 しかし慌てず、墨を含んだ筆を投げて点を足し、「応」の字を完成させた。

ことわざに関連する人物の詳細

空海(くうかい) 平安初期の僧。真言宗の開祖。774~835。俗姓佐伯氏。幼名真魚(まお)。諡号(しごう)弘法大師(こうぼうだいし)。讚岐の人。延暦23年(804)入唐して長安青竜寺の恵果(けいか)に真言密教を学ぶ。大同元年(806)帰国、高野山に金剛峯寺を建立。弘仁14年(823)には東寺を与えられ、これを国家鎮護の祈祷道場とした。綜芸(しゅげい)種智院を設立して子弟を教育。承和2年(835)真言宗年分度者三人の設置が勅許された。書に優れ、三筆の一人といわれる。死後、大僧正、法印大和尚位を贈られた。著に「三教指帰」「文鏡秘府論」「文筆眼心抄」「篆隷万象名義」「性霊集」「十住心論」「秘蔵宝鑰」「即身成仏義」、書簡「風信帖」など。