293.【た】 『玉(たま)に瑕(きず)』 (2005.07.19)
『玉に瑕』
殆(ほとん)ど完全であるが、たまたま一つだけ僅(わず)かな欠点があること。また、立派なもの、善美なものにある一つの惜しい欠点。
類:●白璧の微瑕
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八兵衛は、手薬煉(てぐすね)引いて熊五郎を待っていた。
五六蔵や三吉・四郎ばかりでなく、友助までも、どういう話になるのかと、目を輝かせて待っていた。

>八:いよっ。待ってました
>熊:歌舞伎役者じゃねえってんだ。妙な掛け声なんか掛けるな。
>八:良いじゃねえかよ。こっちはもう半時(はんとき=約1時間)も待たされてるんだ。危うく寝ちまうとこだったんだぞ。
>熊:いっそのこと寝てりゃ良かったじゃねえか。
>八:そういう言い方はねえと思うぞ。お前ぇが「厄介(やっかい)なことだから大人しくしてろ」って言うから、静かに待っててやってるんじゃねえか。そうじゃなきゃ、盗み聞きに行ってるとこだぞ。
>熊:そういう端(はし)たねえことはしなかったろうな?
>八:あたぼうよ。姐(あね)さんと親方が妙な掛け合いをしたなんてこと、これっぽっちも知らねえ。
>熊:お前ぇなあ・・・

相変わらずである。
そういうことなら、大方、大体の内容は知ってしまっているということであろう。
もしかすると、その後の、お咲との内緒(ないしょ)話まで聞かれたのではないか?

>熊:全部聞いてたのか?
>八:なんのことだ? おいら、なんのことだか分からねえがな。
>熊:もう良いってんだ。話の中身を知ってるってんなら話が早い。五六蔵と四郎で、太郎兵衛の昔の知り合いかなんかのところへ聞き込みに行ってみちゃ呉れねえか?
>五六:へい。承知しやした。序(つい)でに、谷中の方まで足を延ばして来やす。
>熊:気を付けろよ。権太が戻ってきてるらしいからな。
>五六:重々(じゅうじゅう)気を付けやす。それで、熊兄いたちは?
>八:おいら、その八卦見とかいう親爺(おやじ)を追っ掛ける。
>熊:お前ぇがか?
>八:そうよ。今度の話の中で、一等、捕(つか)まえ易そうだもんな。ぽかりとやれそうってことだがよ。
>熊:そういう了見(りょうけん)かよ。・・・まあ、なんでも良いや。でも独りじゃ無理じゃねえか?
>八:そうさな。まあ、独りでも構わねえんだけど、頭数が一杯あるから、三吉でも連れてってやろうかな?
>三:おいらはものの序でですか?
>八:序ででも余計(よけい)なくらいだ。精々(せいぜい)おいらの足を引っ張らねえようにしろよ。
>三:へーい。
>熊:それじゃあ、友さん。お咲坊と一緒に、伝六と合流して貰えますかい?
>友:はい。分かりました。
>咲:えーっ? あたし、万ちゃん千ちゃんと一緒の方が良いな。
>熊:遊びじゃねえんだぞ。
>咲:はーい。

>熊:八、お前ぇたちも、友さんと一緒に伝六のところへ寄ってから回ってみて呉れ。
>八:伝六だと? あいつぁ、どうも調子が良くてよ。どっちかってえと、おいらはおいらの遣りようで回らして貰いてえもんだな。
>熊:何を言ってやがる。お前ぇとどっこいどっこいじゃねえか。
>八:なんだと? おいらのどこが伝六と一緒だってんだよ。
>熊:何から何までとは言わねえが、似たり寄ったりってとこだろうってことだ。
>八:まあ良いや。時がねえしな。・・・だがな、見てやがれよ。目覚しい働きをして、伝六ごときとは全然違うんだってことを見せ付けてやるからよ。そのときんなって、言い過ぎでやしたなんて吠え面掻くなよ。
>熊:分かったって。精々伝六の邪魔をしねえようにしろよ。
>八:けっ。口の減らねえ野郎だな、まったく。・・・そんで、お前ぇは何をするんだ?
>熊:おいらか? そうさな。・・・なあ、多作(たさく)っていう元目明かしがいたよな?
>咲:ああ、伝六さんと梨元とかいう盆暗(ぼんくら)同心で捕まえたっていう?
>熊:多作が調べ上げたっていう年寄りの家(うち)を虱(しらみ)潰(つぶ)しに当たってみるさ。
>八:そんなことしてどうするってんだ? ・・・あ、分かったぞ。おいらより先に八卦見を捕まえてぽかりとやろうってんだな?
>熊:そんな訳があるかってんだ。壷(つぼ)を買わされちまってたら経緯(いきさつ)を話してやるし、まだだったら、騙(だま)されるなって教えといてやるのさ。
>八:なんだ、それだけか。それじゃあ、太郎兵衛は捕まえらんねえぞ。
>熊:そうかも知れねえ。でもな。騙されるもんが少なくなりゃ、幻祥(げんしょう)の野郎だって、焦(あせ)って襤褸(ぼろ)を出すかも知れねえ。
>八:「かも知れねえ」かよ。まったくお前ぇはのんびりしてやがるな。
>熊:良いんだ。太郎兵衛の方は、親方と姐さんが追い込んで呉れなさる。おいらたちは、却(かえ)って慌ててやらねえ方が良いのさ。
>八:そういうもんかね。
>熊:幻祥の奴なら、すぐにでもふん縛(じば)っちまって良いぜ。どうせ小物だ。
>八:そうか? そうとなりゃ張り切っちまうかな。ようし、そんじゃ、伝六んとこへ行こうぜ、お咲坊。

熊五郎と万吉・千吉は、皆が一斉(いっせい)に腰を上げて、意気揚々と出掛けていく姿を見送った。
万吉と千吉は、熊五郎を、尊敬の眼差(まなざ)しで見ていた。

>熊:さぁて、おいらたちも出掛けるとするか。
>万:それで、その多作っていう人はどこにいるんですか?
>熊:確か、1年の間神妙(しんみょう)にしてたってことで、元の家に返されてた筈だ。本郷の辺りだ。
>万:それじゃあ、早速(さっそく)本郷へ出掛けましょうか。
>熊:いや、その前に寄る所がある。
>万:それはどこなんですか?
>熊:ちょいとこの先の伝蔵っていう絵師のところだ。箪笥町だからすぐだ。
>千:絵師にも手伝って貰うんですか?
>熊:そうじゃねえんだよ。・・・実はな、おいら、多作の家がどこなのか知らねえのさ。
>千:知らないんですか?
>熊:あいつらの前では言わなかったがな。
>万:それで、その伝蔵さんがいなかったらどうするんですか?
>熊:どうしような。おいらもそこまでは考えてなかったぜ。

熊五郎の兄(にい)さんも、時には間の抜けたところも見せるものであるということに、2人は気が付いた。
それはそうである。すべてにおいて完璧などという人はいないものであるから。

運の良いことに、伝蔵は自宅にいて、ご丁寧(ていねい)にも、多作の家の地図をこと細かに書いて呉れた。
さあ、これから、地道(じみち)な仕事が待っている。
耳の遠い年寄りに、幻祥という騙(かた)りの八卦見について、説明を繰り返さなければならない。
既に騙された者にも、まだ騙されていない者にも、同じような話をしなければならないのだ。

その日の夕方、源五郎とあやは根塚(ねづか)老人の隠居所を訪(おとず)れていた。
源五郎は、どうもこの根塚厳ノ輔(ごんのすけ)という老人が得意ではない。話すのは、専(もっぱ)らあやに任せ切りである。

>あや:そういう次第(しだい)で、焼き物の目利きという方を、半日ばかりお貸し願えたらと思いまして。
>厳:ほう、それは中々見上げた心意気ですな。・・・承知しました。お貸しいたしましょう。
>あや:どうも有り難う御座います。これで、太郎兵衛の立ち回り先でも分かれば目っけ物です。
>厳:太郎兵衛には痛い目に遭わされていますからね。上手(うま)く運ぶと良いですね。
>あや:恐れ入ります
>厳:それはそうと、1つ、お願いが御座います。
>あや:と、申しますと?
>厳:その壷、2つ3つ欲しいんですが、いかがなものでしょう?
>源:で、ですが、ご隠居さん。二束三文ですぜ。ご隠居さんのお屋敷に置くと、折角(せっかく)集めた絵や焼き物にけちが付くんじゃねえんですかい?
>厳:あたしとて馬鹿ではありません。九仞(きゅうじん)の功を一簣(いっき)に虧(か)くような真似(まね)はしませんよ。そりゃ、名品ですと言って飾ればそうなるでしょうな。そんなことはしませんとも。騙りに使われた壷として、後世の皆さんが二度と騙されないようにと掲げておくのです。戒(いまし)めとして置くのですよ。
>源:そういうことでしたら、頼んでみましょう。
>厳:そうですか。それは良かった。

にっこりと笑ったその笑顔の奥で、一体(いったい)どういう考えを巡らせているのか分かったものではない。
しかし、陶器の目利きを貸して呉れたことへの返礼はしておかなければならない。
妙なもやもやは残るが、丁寧に礼を述べて、根塚の隠居所を辞去した。

>源:どう思った?
>あや:何か企(たくら)んでいるようでしたね。
>源:良からぬことかな?
>あや:そうかも知れませんが、大方、商(あきな)いのことでしょう。太郎兵衛ほど阿漕(あこぎ)なことではないと思いますよ。
>源:まあ、そうだろうがな。
>あや:世のためにならないことをするようなら、そのときには、親方が懲らしめれば良いんじゃないですか?
>源:お前ぇも軽く言うね。
>あや:あら。だって、親方と親方のお弟子さんたちとに掛かったら、大概の悪人は尻に帆掛けて逃げ出しますもの。
>源:そう持ち上げるなって。できりゃ、こんなことに関わりたくないんだからよ。
>あや:そうですね。こんなことに駆り出されなければ、何一つ文句のない、立派な親方なんですけどね。
>源:熊と八が拾ってきちまうんだから仕方ねえだろう?
>あや:それだけとは思えませんけど。
>源:お前ぇだって、人のこと言えねえよ。
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