198.【こ】 『鼓腹撃壌(こふくげきじょう)』 (2003/09/16)
『鼓腹撃壌』
腹を叩き土を打つということで、太平を謳歌する様子を意味する。政治が行き届き人々が太平を楽しんでいる状態のこと。 例:「鼓腹撃壌の世(民)」
類:●鼓腹を打つ
故事:帝王世紀」・「十八史略」など 中国、堯帝(ぎょうてい)の時、一老人が腹鼓(はらつづみ)を打ち、大地を叩いて太平を謳歌したという。 
出典@:帝王世紀(ていおうせいき) 列伝。中国西晋。皇甫謐(こうほひつ)。上古以来の帝王の事跡を記録したもの。
出典A:
十八史略(じゅうはっしりゃく) 中国の史書。2巻。元の曾先之(そうせんし)撰。西暦1300年前後か。太古から宋代に至る歴史を「史記」以下17の正史と宋関係の史料によって記述。編年史で、逸話風に書かれている。現行のものは、明の陳殷が注解を付けて7巻にしたもので、日本では室町末期から江戸時代にかけて盛んに読まれた。
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いつもなら酒に呑まれることなどない筈の半次が、半時(約1時間)もしないうちにへべれけ
になっていた。
止せば良いのに八兵衛は、箸(はし)で器を叩いて、流行(はや)りの小唄まで歌い始めていた。

>八:♪下駄履(は)いて杖衝(つ)いて、絞(しぼ)りの浴衣(ゆかた)で来るもんかー、ときた。
>半:誰が寝取られ男だと?
>八:そんな文句どこにも出てきやしねえじゃねえか。
>半:だってよ、その唄はよ、女房んとこに来た間男(まおとこ)のやつだろ? 丸っきりおいらのことみてえじゃねえか。
>八:間男じゃねえだろ。見合い話なんだろ? 寝取られたってのとは、違うわな。
>半:どっちにしたって、取られちまったのには違いはねえ。
>八:そう自棄(やけ)になるなってんだ。その見合いが駄目になっちまえば良いんだろ? なんなら、おいらが打(ぶ)ち壊してやろうか?
>熊:おいおい、そんなこと言い出すなってんだ。本人の気持ちってもんもあるだろ。
>八:それじゃあ何か? その娘さんが半次のことを嫌いになったってのか?
>熊:そうは言い切れねえがよ。
>八:男のおいらが言うのもなんだが、半次ほど男らしい奴は、そうはいねえぞ。どこの女が半次を振ったりするかってんだ。
>半:八公、お前ぇ、案外良い奴だな。おいら、そう言って貰っただけで十分だ。もう良い。きっぱり忘れることにするよ。
>八:まあ待てったら。見合いの相手がどんな野郎だか、一遍見てからだって遅くねえだろ?
>熊:・・・そうだな。ま、どういう事情なのか、聞いてきてやるとするかね。
>咲:なら、あたしが聞いてきてあげる。女同士の方が話し易いでしょ?
>熊:良いのか?
>咲:半次さんがどういう人に惚れたのかも見ておきたいしね。将来の参考に。
>熊:なんだよ、只の野次馬根性かよ。

飲み始めが早かったせいか、お夏がやってくる刻限には、宴も酣(たけなわ)になっていた。
「なんの騒ぎ?」と、お夏は入ってくるなり目を丸くした。

>夏:ありゃ、お咲ちゃんまで酔っ払っちゃってるじゃないの。
>咲:あたしはまだ素面(しらふ)よ。このくらい、飲んだうちに入らないわよ。
>夏:ねえ、知ってた? 自分のことを素面だって言い張る人ってのが一番の酔っ払いなんだって。
>咲:それなら、半次さんと八つぁんに言ってよ。もう5合以上飲んじゃってるんだから。
>夏:ほんと? たくさん飲んで呉れるのは有り難いんだけど、まだ6つ半(19時ころ)よ。ついさっきまで日が出てたんじゃないの。
>咲:明るいうちから飲んでるんだもの。
>夏:仕事は?
>咲:くさくさすることがあったからって早めに切り上げちゃったんだって。ね、熊さん?
>熊:検分にきた家主ってのが物凄くねちねちしていやがったもんだからよ。こちとら、昼飯も抜きだったんだぜ。暑い盛りに腹を空かしたまま突っ立っててみろよ。もう働きたくなくなるのも分かるだろ?
>夏:ふうん。・・・でも、八兵衛さんだけがなんだか楽しそうなのはなんで?
>咲:親方がね、八つぁんのお嫁さん探しに本腰を入れたんだってさ。
>夏:ほんと? それは良かったじゃない、八兵衛さん。
>八:どういうことになるのか、あんまり期待できやしねえけどな。なんせ、空っ穴(けつ)の親方だからな。
>熊:それを言うんなら「からっきし」だろ? 空っ穴が飲み代(しろ)を呉れたりするかってんだ。
>八:ははは。そうそう、その空っ穴だ。
>熊:てんで聞いちゃいねえ。
>夏:そういうことなの。じゃあ、今夜はいつもより余計に飲んじゃっても良いって訳だ。よーし、ぱーっと行っちゃいましょ。

とは言いながら、半次1人だけが沈んでいるように見える。相当悪い飲み方をしているようだ。

>夏:ねえお咲ちゃん。半次さん、何かあったの?
>咲:それがね、コレに嫌われちゃったんですって。
>夏:コレって。・・・え? お八重(やえ)さんに?
>咲:あんた知ってたの?
>夏:何よ、あんた、おんなじ長屋に住んでてそんなことも気が付かなかったの? この辺りじゃ有名な話よ。
>咲:全然知らなかった。・・・で? そのお八重さんってどんな人?
>夏:櫛引きの弥兵衛さんって人の娘さんでね、器量も良い方なんだけど、それより、家事全般が得意で、お料理なんかとっても上手って評判よ。半次さんのところに時々お弁当を持ってきてるって言ってたわ。それがねえ・・・
>咲:もう5日も顔を合わせてないんですって。
>夏:そうなの。熱々だって聞いてたんだけどな。
>咲:それどころか、今日の昼間、「見合いの話がある」っていう報(しら)せが来たんだって。
>夏:あちゃあ。そりゃあ堪(こた)えるわね。
>半:・・・その話はもうしねえで呉れ。おいら、きっぱり諦(あきら)めることにしたんだからよ。
>夏:あ、あら、聞いてたの、半次さん?
>半:八公のとこの話が巧くいったらよ、次はおいらの見合いを世話して貰うかな、源五郎親方に。
>八:それが良い。おいらからも頼んどいてやるよ。やっぱりなんだな、女房にするんだったら、料理が巧い娘が一番だな。なあ、そう思うだろ、半次。
>半:あ、ああ。まあな。

「お八重より美味い飯を作って呉れる娘なんかいるかよ」と、ぼそり呟いて、半次は銚子から直接酒を飲んだ。

>熊:「きっぱり忘れる」が聞いて呆れるぜ。反対に益々深入りしちまってるじゃねえか。
>三:罪な娘ですねえ、そのお八重って人は。
>咲:きっと事情があったのよ。本気でお見合いする気になったのかどうかだって、分かったものじゃないでしょう?
>熊:なあ、お夏坊、その櫛引きの弥兵衛って親爺さんはどういうお人なんだい?
>夏:仕事一筋っていう感じかな? 物静かな人よ。でも、お八重さんのこととなると、頑固親爺になっちゃうんだって。
>熊:親馬鹿ってやつか?
>夏:そうじゃないわよ。おかみさんを早くに亡くしちゃったからって、お八重さんに対して、物凄く厳しいらしいの。「そんなぐうたらじゃ、嫁の貰い手がねえ」っていうのが、口癖だって。
>咲:ひゃあ、怖そう。あたしだったら逃げ出しちゃうかも。
>熊:それにしちゃあ、良く頑張ってるんじゃねえか、お八重さんってのはよ?
>夏:だから、半次さんと巧くいけば良いって、周りのみんなは思ってたみたいなのよね。
>熊:ふうん。それが今度みたいなことになっちまったって訳か。
>夏:・・・でも、変ね?
>熊:何がだ?
>夏:それほど我慢強いお八重さんが、なんで半次さんと喧嘩なんかしちゃったのかしら?
>咲:「大喧嘩」よ。
>熊:ふむ。先ずは、その辺から質(ただ)してみねえといけねえな。

今や八兵衛と折り重なるようにして、卓に突っ伏している半次を揺すり起こした。
半(なか)ば寝起き状態で、相当不機嫌そうである。

>熊:なあ半次。そもそも、喧嘩の原因はなんだったんだ?
>半:そんなこと言えるか。
>熊:言わなきゃ始まらねえじゃねえか。謝って済むことなら、こんな楽なことはねえ。
>半:だから、もう良いってんだ。
>咲:じゃあ、あたしにだけ教えて。どんなこと言ったら喧嘩になっちゃうの?
>半:椎茸(しいたけ)と占地(しめじ)のどっちが好きかって話だよ。
>咲:へ?
>熊:そんなことなのか?
>半:だってよ、お前ぇ、松茸かって聞くんなら「土瓶蒸しなんか美味そうだよな」って言えるじゃねえか。
>熊:そんなもの知ってるのか、お前ぇ?
>半:昔、然(さ)るお屋敷のお内儀さんに飲まして貰ったことがあるのさ。1遍だけな。
>八:ん、なんだと? なんでおいらのこと呼んで呉れなかったんだ? 酷(ひで)えじゃねえか。
>半:冷めちまったら勿体無えだろ? それに、あんな美味えもん、お前ぇなんかに分けたやれるかってんだ。
>八:何をーっ。
>熊:まあ、待てったら。今話してるのは松茸の話じゃねえだろ? 椎茸と占地で、なんで喧嘩になったのかってことだ。
>八:なんだそりゃ。なんでそんなので喧嘩することがある? どっちも美味いじゃねえか。醤油を一っ垂らしした焼き椎茸と、占地の澄まし汁で一杯やったら、天にも昇った心地になれるぜ。・・・でも、今日のとこはもう良いや。おからは食ったし、茄子は食ったし、酒もたんと飲んだしな。もう、腹一杯。明日にしと呉れ、明日に。むにゃむにゃ・・・

>半:寝言かよ。随分はっきりした寝言だね、こりゃ。
>熊:それで? お前ぇは、どっちだって答えたんだ?
>半:「椎茸の石突きだ」って言った。そしたらお前ぇ・・・
>熊:なんで石突きなんて答えたんだ?
>咲:そりゃ怒るわ。ちゃんと答えてあげてないじゃない。
>半:そんなことあるか。おいらはそこんところが一等好きなの。怒る方が可笑しいってんだ。
>咲:分かってないのね、半次さん。あのね、女はね、好きな男のために少しくらい手の込んだ料理をしてあげたいものなの。「椎茸の石突き」じゃあ、焼き椎茸の笠を切っただけじゃないの。「椎茸の笠に十字の切込みを入れて、甘辛く煮付けて貰いたい」くらい言わないと。
>半:そんなこと言われてもよ・・・
>夏:そういうことね。初めはそんなこと、後はもう売り言葉に買い言葉、気が付いたらもう取り返しが付かないところまできてたって訳よね。
>半:まあ、そういうこったな。
>夏:なら、まだ捨てたもんじゃないじゃないの。「同じ焼き椎茸の石突きでも、お前が焼いて呉れたもんじゃないと食った気がしない」とかって、頭を下げたらもう一発よ。ね?
>半:そ、そんなこと、口が裂けても言えるもんか。・・・そんなことより、見合い話となっちゃ、もう遅(おせ)えんだよ。

半次は、すっかり酔いが覚めてしまったらしく、お夏に白湯(さゆ)を所望した。
半次を背負って帰ると胸を叩いた八兵衛は、もう揺すろうが叩こうが起きやしなかった。

>半:まったく、幸せそうな顔をしてやがる。こいつだけは、何があっても面白おかしく生きていけるんだろうな。
>熊:まったくな。背負って帰るこっちの身にもなれってんだ。
>半:いや、今夜はおいらに負んぶさせてって呉れ。八公のお陰で、なんだかちょっとばかし、気が楽になったぜ。
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ご注意
「へべれけ」は、ギリシャ語の「ヘーベーエリュエケ」が語源とされていますので、この時代(1803)には相応ではありません。(上へ戻る