167.【く】 『君子(くんし)危(あや)うきに近寄らず』 (2003/02/10)
『君子危うきに近寄らず』
人格者は身を慎(つつし)む者であるから、危険な所には初めから近付かない。
類:●The wise man never courts danger.(賢者は決して危険を求めない)  ●Better be safe than sorry.(後で悔いるより最初から安全でいるのが良い)<英語ことわざ教訓事典
反:■虎穴に入らずんば虎子を得ず盲蛇に怖じず■Fools rush in where angels fear to tread.(天使が踏み込むのを恐れる場所へ愚者は飛び込む)
出典:「春秋公羊伝−襄公二十九年」「君子不近刑人、近刑人則軽死之道也」
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見合いの相手は、「お三千(みち)」といい、畳職(たたみしょく)の三女だという。
五六蔵が部屋に入るなり「きゃっ」と小さな声を上げ、すぐさま恥ずかしげに下を向いた。
出会い頭(がしら)から怖がられていては見通しも暗いなと、五六蔵は居た堪れなくなった。

>源:本来なら、相馬屋の元締めに仕切って貰わなきゃならねえんだが、質(たち)の悪い風邪にやられちまったってことで、元締め抜きってことにさせて呉れ。
>あや:その方が肩肘張らなくて良いでしょ? ね、お三っちゃん。
>三千:は、はい。・・・あの、三千と申します。24になりました。
>五六:あ、あっしは、五六蔵でやす。30にもなってまだまだ見習いでやす。そんなんじゃ、お気に召しやせんよね?
>源:何もそんなに結論を急ぐこともあるめえ。人間、一遍会ったくらいじゃ良し悪しは分かるもんじゃねえしな。そうじゃねえか、五六蔵。
>五六:なんですかい? 「だるま」で初めて会ったときのことを言ってるんでやすか? そりゃあ・・・
>源:ああそうだ。まるっきりちんぴらみてえだったっけな。
>五六:お恥ずかしい。若気の至りでやして。
>源:そんな年じゃあねえだろう。・・・まあ良いや。兎に角、言いたかったことは初めの印象なんてものは、そのうち変わっちまうもんだってことさ。なあお三っちゃん、こいつは見た目こそ荒っぽそうだが、案外真面目(まじめ)なやつなんだぜ。
>三千:親方のところのお弟子さんでしたら間違いないって、皆さん口を揃えて仰(おっしゃ)います。
>源:そりゃあ誉(ほ)め過ぎだろう。
>三千:いえ、皆さんが仰ったことは間違いじゃないと思います。現に、五六蔵さんは、あたしの好みにぴったりで・・・

源五郎と五六蔵は、自分の耳を疑い、互いに顔を見合わせた。

>源:お三っちゃん、なんかの間違いだろ? こんなごついのが良いなんて話そうそうあるもんじゃねえぞ。
>三千:親方には詳しく話してなかったですが、あたし、小さい頃に怪我をして、右足をちょこっと引き摺るんです。お父つぁんもそんなあたしに遠慮して、力の要る仕事をさせても呉れないんです。可笑しいでしょ? 畳屋の娘が畳の持ち運びもさせて貰えないなんて。
>源:それで、「逞(たくま)しいの」なんて変わった条件が付いてきたのかい?
>三千:ええ。・・・あたしって、変わってますか? そうですよね、やっぱり。
>あや:そうでもないわよ。わたしだって、こんなごつくて腕っ節が強い人と一緒になってるんだもの。お三っちゃんが変わってるんなら、わたしも同じ、変わり者ね。
>三千:ま。お内儀(かみ)さんって、口がお上手ね。なんだか一遍に気が楽になっちゃったみたい。
>五六:で、でもよ、「きゃ」って言ったじゃねえか。怖いんと違うのかい?
>三千:とんでもない。あんまりごついもんだから、嬉しくなっちゃって。
>五六:なんだって?

>源:五六蔵、お前ぇのことを怖がらねえ娘がここにも1人いたじゃねえか。なあ?
>五六:へ、へい。・・・でも、本当に真に受けちまっていいことなんだかどうか、どうも、信じられやせんで・・・
>源:そんなの、何回か会ってるうちに段々実感が沸いてくるさ。・・・なあお三っちゃん、こいつ、ちょいと卑屈になってるとこがあるみてえなんだ。お三っちゃんの力で、その捻(ひね)くれたとこを直してやっちゃあ呉れねえかい?
>三千:良いんですか?
>源:頼むよ。
>三千:ああ、誰かからものを頼まれたのって初めて。俄然やる気が出てきちゃう。
>五六:あの、あっしの気持ちっていうやつは・・・
>源:この際、細かいことは気にするな。俺の命令だ。分かったな。
>五六:そ、そりゃあ、そこまで言われちまったら従わねえ訳にもいかねえですが。・・・あ、姐さん、こんなことで良いんですかい?
>あや:五六蔵さんらしくって良いじゃない。きっと見事に尻に敷かれちゃうわよ。
>三千:ま、お内儀さんったら。

初めてそこに座ったときには、唯(ただ)の気の弱そうな町娘だったが、話してみると、存外お転婆娘なのかもしれない。
雰囲気に慣れてきたせいか、その表情もくるくると良く変わる。

>源:ときに、お三っちゃん。藺平(いへい)父つぁんはどう言ってるんだい?
>三千:お父つぁんは良いのよ。あたしが嫌がるような見合い話しか持ってこないんだもの。今回のだって、おっ母さんと2人で相馬屋さんへ頼みに行ったんだもの。
>源:でもな、藺平父つぁんは父つぁんはなりに、お三っちゃんのためを思ってのことだろう?
>三千:そんなの分かったもんじゃないわよ。もしかすると、あたしがいつまでも身近にいるのが嫌なもんだから、次々と見合い話を持ってきてただけかも知れないし。
>源:娘がいて嫌だなんて思う父(てて)親なんかいやしねえさ。そりゃあ、勘違いか勘繰り過ぎってもんだ。
>三千:そうかしら? それなら、もっと「あれを運べ」だの「ちょっと手伝え」だのって言って貰いたかったわ。
>源:言葉に出すのが下手(へた)な人だっているさ。それが、偶々(たまたま)親娘だったから余計に、言わないで済ませちまうんじゃねえのかい?
>三千:そう思います、親方?
>源:大方そんなところだろうってことさ。こればっかりはご当人に聞いてみなきゃ分かりゃしねえ。・・・まあ、一度じっくり話してみるこったな。
>三千:そうね。こんな状態じゃ晴れ晴れとした気分でお嫁に行けないものね。
>源:そういうこった。・・・と、そんなことで五六蔵、お三っちゃんを送り届けがてら、藺平父つぁんに顔だけでも見せてこい。

>五六:そ、そんなこと言ったって、まだ嫁に貰うとも貰わねえとも決まった訳じゃねえんですぜ。
>源:そうさ。決まっちゃあいねえさ。だがな、この見合いはあと何回か会うっていう条件なんだから、そういう意味で顔を見せとかなきゃならねえだろ?
>五六:そんなのも条件だったんでやすか?
>源:そんな見合いなんかあるか。今回のが特別で、そういう条件なのさ。
>五六:なにもそんな特別なことにしなくったって・・・
>源:黙らっしゃい。お前ぇ、顔だけじゃなくって耳まで悪くなったのか? お三っちゃんが、お前ぇの卑屈なところを治して呉れるって言ってるんだ。俺はな、お前ぇが引け目を感じながらじゃなく、構えねえで人様の前に出られるようになるまで、お三っちゃんに預けるつもりでいる。・・・お三っちゃん、構わねえかい?
>三千:はい、引き受けさせていただきます。・・・なんだか、とっても楽しそう。
>五六:姐さん、親方の横暴だとは思いやせんか?
>あや:あらどうしてわたしに聞くの? あたしは従順な妻ですもの、親方の決定に異を唱える訳なんかないじゃありませんか。それに、2人のどっちのためにもなりそうなことなんだもの。反対する方が間違ってるくらい、いくら能天気でも分かりますよ。
>五六:姐さーん・・・

>源:でも、気を付けとけよ。藺平父つぁんは怒り出すと手が付けられねえっていうからな。
>五六:冗談は止してくださいよ。
>源:お前ぇも見たことあるだろう? あの千枚通しのでかいやつ、待ち針っていうのか?
>五六:脅かさないでくださいよ。真逆(まさか)そんなもの振り回したりなんかしやしませんよね? ・・・なあ、どうなんだい?
>三千:どうかしら? あたし本気で怒ったところなんか見たことないし。
>五六:親方も付いてきてくださいよ。
>源:馬鹿なことを言うな。ものごとを弁(わきま)えている男は、そんな危なっかしいとこへは行かないものなの。
>五六:弟子なら行かせてもいいって言うんですかい?
>源:そういうこった。はっはっは。

五六蔵は渋々、お三千の家まで付いていった。
源五郎は、堅苦しい装束を早々に脱ぎ、普段の格好に着替えてから、一息入れながらあやに尋ねた。

>源:最初「きゃっ」とか言われたときにゃ、肝を冷やしたぜ。ああこれでまた五六蔵が捻くれちまうんじゃねえかってよ。
>あや:でも、良い娘さんですね。五六蔵さんのこと真っ直ぐ見て呉れる人ってそうそういませんからね。
>源:瓢箪から駒かも知れねえな。
>あや:あなたとか八兵衛さんが絡むと、なんだか知らないうちにそんな風になるみたいですね。
>源:冗談みたいな生き方をしてるからなんて言うなよ。
>あや:八兵衛さんなら、そうかも知れませんね。でも、あなたの場合はそうじゃないでしょう?
>源:神様とか仏様が気に入ってくだすってるのかな?
>あや:怖がってるから、逆らわないようにしてるのかも知れませんわね。
>源:止せやい。俺がそんなご立派なもんじゃねえことくらいお前ぇが一番知ってるじゃねえか。
>あや:あら、わたしが一番知っているから、こんなことを言うんじゃありませんか。
>源:まったく、敵わねえよ、お前ぇには。

>あや:でも、藺平さんって、本当に怒ると怖い人なんですか?
>源:昔の話さ。それも、酒が度を越したときだけだ。あるときを境にぴたりと止んだってことだぜ。
>あや:あるとき?
>源:人の話じゃあ、娘の誰かに怪我をさせちまったときからだってんだが。
>あや:真逆、お三っちゃんに手を掛けたってことじゃあ・・・
>源:そうじゃねえ、飲んで注意が散漫になってたせいで、駆けてくる暴れ馬に気付くのが遅れただけよ。それを、全部自分のせいだって、勝手に思い込んじまってるらしい。
>あや:そういうことだったんですか。それで、用を言い付けるのを遠慮しちゃってたんですね。
>源:なんだかな。・・・そんなところも、五六蔵がなんとかして呉れると良いんだがな。
>あや:なんとかなりますよ。お三っちゃんが幸せになれば、全部「過ぎたこと」になっちゃいますから。

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