116.【か】 『鼎(かなえ)の軽重(けいちょう)を問(と)う』 (2002/02/18)
『鼎の軽重を問う』
1.統治者を軽んじ、これを滅ぼして天下を取ろうとすること。転じて、上位の人の実力を疑って地位を覆(くつがえ)し奪おうとすること。
2.また単に、その人の価値や能力を疑うこと。
故事:春秋左伝−宣公3年」 周の定王の時、楚の荘王が周室の伝国の宝器である九鼎の大小、軽重を問うた。
出典:春秋左氏伝(しゅんじゅうさしでん) 30巻。「春秋」の解説書。魯国の左丘明(さきゅうめい)の著というが明らかでない。単に「左氏伝」「左伝」とも呼ばれる。春秋の注釈書は3つあり、ほかに「公羊伝」「穀梁(こくりょう)伝」がある。
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源五郎は、「俺は寝正月(ねしょうがつ)にする」と言って、奥へ引っ込んでしまった。
三箇日(さんがにち)は寝て過ごすから、飲みたい者は勝手に来て手酌(てじゃく)で飲めということである。
五六蔵たちにとっては、願ってもない申し出であった。できることなら、泊まり込んでしまいたいくらいである。

>五六:親方ったら、ちょっと心配し過ぎじゃねえですか?
>八:厄年(やくどし)のことをか?
>五六:坊様のことですよ。坊さんなんてものは盆と正月にしか縁のねえものでやすからね。
>三:そうですよ。お咲ちゃんが心配するほどのことじゃねえですよ。誰が好んで大工と坊主を結び付けたりしますかってんですよ、ねえ?
>四:それを言うなら、坊主と普請方(ふしんかた)だって結び付かないんだけどね。
>三:一体(いったい)どういうところで、結び付くんでやすかねえ?
>四:やっぱり、双方に利害が見込める何かがあったんでしょうね。
>八:・・・なるほど、そういうことか。
>五六:何か思い当たりやしたか?
>八:坊様たちってのは、盆と正月以外はやることがねえんだろ? 暇な間の食い扶持(ぶち)をなんとかしなきゃならねえ。だから、普請方の役人に頼んで、力仕事を世話して貰ってるんだ。どうだ、どんぴしゃだろう?
>三:八兄い、なんだか違うような気がするんですけど。
>八:なんだ? 違うのか?
>五六:へい。まったく頓珍漢(とんちんかん)でやす。

>四:そもそもお坊様たちが、盆暮れ以外暇だっていう考え方からして間違ってます。
>八:なんだ四郎、お前ぇ、坊主に親戚でも居るのか?
>四:いいえ、とんでもない。親戚一同揃いも揃って干瓢(かんぴょう)で食ってます。・・・ですが、近所に寺がありましたから、どんなに大変か分かってますよ。
>八:大変な訳はねえだろう。木魚(もくぎょ)叩いて、ごにょごにょ唱えてるだけだろ?
>四:それだけじゃありませんよ。先ず、朝は寅の刻(4時頃)に起きて、朝食の前に掃除とか座禅をするんです。
>八:寅の刻だと? まだ暗い中じゃねえか。うちの母ちゃんがいくら早起きだってったって、そんな頃にゃあ起きねえぞ。・・・それに、朝飯の前に掃除するなんて、どうかしてるんじゃねえのか? 人間はな、物を食わなきゃ動けねえものなんだぞ。
>四:それは八兄いだけですよ。
>八:それで? 朝飯は何時(なんどき)に食うんだ?
>四:辰の刻(8時頃)でしょうか?
>八:寅、卯、辰・・・、起きてから2刻(約4時間)の間なんにも食わねえってことか? 拷問(ごうもん)だな。
>四:朝食が済んだら、掃き掃除に拭き掃除、それに畑仕事。そして、お昼御飯を食べてから、座禅に読経(どきょう)、写経する人もいるそうです。
>八:なんだか全然自由が利かねえんだな。
>四:毎日が修行ですから。

>八:あの撫道(ぶどう)とかいう坊様もそうやって修行してるのかね。そんなんじゃあ、銭とか色とかに逃げ込みたくもならあな。
>四:でも、それをしないと、偉いお坊さんにはなれません。一切(いっさい)の欲を忘れることが「解脱(げだつ)」なんですから。
>八:なんだその「げだつ」ってのは? 「
シ(うだつ)が上がらねえ」の仲間か?
>四:「煩悩(ぼんのう)」から解放されることです。
>八:益々分からなくなっちまったじゃねえか。まあ、そんなことはどうでも良いや。それじゃあよ、その、撫道って坊様は、銭への欲が残ってるから、偉い坊様じゃねえってことだよな?
>四:そういうことでしょうね。
>八:じゃあよ。懲(こ)らしめちゃっても良いってことだよな?
>熊:お前ぇ、また余計なことを遣らかそうってんじゃねえだろうな?
>八:当ったりぃっ。

五六蔵は、ぶつけられた豆の恨みとばかり、大乗り気である。
お咲も面白がり、「あたしも混ざる」と言い始めた。

>八:それで、お咲坊? 相手の普請方の役人ってのは、何処(どこ)のどいつなんだ?
>咲:そこまでは知らないわよ。あたしだって太助さんから聞いたばかりなんだから。
>八:太助か・・・。おい三吉。お前ぇ、太助を呼びに行ってこい。
>三:またおいらですかい?
>八:お前ぇは、(ざる)みたいに飲みやがるから、酒が勿体ねえんだよ。
>三:分かりましたよ。行ってくりゃ良いんでしょ?
>五六:いくらなんでも、長屋までなら迷わねえだろうな?
>三:当たり前ですよ。まあ、任しといてお呉んなさい。

しかし、太助は長屋には居なかった。与太郎の話では、内房正道の旅籠(はたご)へ行ったという。
方向音痴の三吉が内房の家まで行くことは、無謀なことである。下手をすると、今日のうちに帰れないということにもなり兼ねない。
ということで、与太郎のところで、太助の帰りを待つことにした。

>三:なあ与太郎さん。お前ぇさん、あの撫道っていう坊さんのこと、前から知ってたのかい?
>与:ええ、聞いてましたよ。この頃特に羽振りを利かしてるって評判です。
>三:羽振りって、芸者を揚(あ)げたり、肉(しし)の鍋物を突付いたりするのか?
>与:ご本人は手を付けないそうですけど、お相手の方が・・・
>三:普請方の役人っていう人かい?
>与:小豆(しょうど)とかという人らしいんですけど、この人がまた無類(むるい)飛び切りの女好きときてるそうで。
>三:食い気より色気かね?
>与:尤(もっと)も、芸子さんたちからは相手にされてないそうですけど。満腹になると直(す)ぐ寝ちゃうんだそうです。
>三:食べなきゃ良いじゃねえか、なあ?
>与:それが、ちょっとでも酒が入ると、若い時分の飲み方に戻っちゃうらしいんです。酒に飲まれるっていうやつですね。
>三:ちっとも懲りんえのか?
>与:ええ、全然。
>三:そんなんじゃあ、飲ませてる方の坊さんだって、何のためにご接待してるんだか分からねえんじゃねえのか?

>与:そう思うでしょ? ところが違うんです。裏には裏があるんですよ。
>三:なんだいその裏ってのは?
>与:小豆内海(うつみ)というお人の弟に、家島網綱(いえじまあみつな)という方がいらしてですね・・・
>三:なんだなんだ? 姓が違うじゃねえかよ。
>与:ええ、3男坊とかで、小さい時分に養子に出されてたらしいんです。そいで、その家島さんってのが、兄とは月と鼈(すっぽん)の良くできた方で、賄賂(わいろ)は取らない妻女以外の女には見向きもしないというから不思議なもんですね。
>三:へえ、「氏より育ち」か・・・。それで?
>与:弟さんの役職が、寺社奉行所の与力(よりき)だそうなんです。

>三:ははあ、読めたぞ。お寺への見回りとかの日取りを前もって聞いといて、寺の中で賭博(とばく)でもやろうってんだろ。
>与:そうじゃないみたいです。いくら銭金に卑(いや)しいといっても、賭博をするとなればやくざ者が首を突っ込んできますからね。
>三:そうか、成る程(なるほど)。美味しいところを全部持っていかれちまうもんな。
>与:そういうことです。それに、撫道というお坊様は銭金以外のことは、結構正面(まとも)な人らしいですよ。
>三:そうか? それじゃあ、なんでそうまでして寺社方の与力に近付こうとするんだ?
>与:さあ? そこまでは、あたいには分かりません。

与太郎のところで1刻(とき)ほど待ったろうか。やっと太助が戻ってきて、与太郎の部屋の戸を開けた。

>太:あれえ、三吉さんじゃあありませんか。どうして与太郎さんのところに?
>三:お前さんを迎えに来たんだよ。そんで、ご隠居さんのところに行ってるって聞いたんだけど、ほれ、知っての通りおいら相当な方向音痴だろ? ここで待たせて貰ってたって訳よ。
>太:なあるほど。それで? おいらにどんな御用で?
>三:あの撫道って坊さんのことだよ。普通の坊さんがどうして寺社方の与力に近付こうって訳なんだ? ご隠居さんからなんか聞いてきたんだろ? 教えて呉れよ。
>太:はあ。ご隠居さんの言うことにゃあ、ご住職が本山(ほんざん)から大層な額の布施(ふせ)を要求されてるみたいなんです。人伝(ひとづて)なんですが、ご隠居のところへも相談があったそうです。
>三:するってえと何かい? 撫道って坊さんは、住職のために金の工面(くめん)とか、然(さ)もなきゃ、本山への口添えとか、そういう善意から役人を抱き込もうとしてるってのか?

>太:一見そう受け取れますね。
>与:太助どん、「一見」ってどういうことです? 本当のところは違うんですか?
>太:ご隠居さんは違うだろうって言ってました。その辺のところは、与太郎さんやお咲さんに力を借りて確かめなくちゃならないかなって言ってました。
>三:何をどう確かめるってんだい?
>太:ご住職をね、追い出そうっていう魂胆(こんたん)らしいんです。
>三:自分が住職に取って代わるってことか?
>太:はい。ご住職に布施を要求してるのは本山なんじゃなく、撫道さんの息が掛かったごく少数の人のようなんです。
>三:寺が建て替えられるような額を、ごく少数の人でってことか? そりゃあ凄(すげ)え。・・・成る程、それに比べたら、直ぐに酔い潰れちゃう人への酒代なんて高が知れてるわな。
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