342.【と】 『年(とし))には勝(か)てぬ』 (2006.08.07)
『年には勝てぬ』
年を取ると、気力はあっても身体が言うことを聞かない。健康や体力が気力に伴(ともな)わない。
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それから暫(しばら)くの間、八兵衛と三吉、友助の3人は、武兵衛爺さんの下で働くこととなった。
5つ(=8時ころ)前に出掛けていって、暮れ6つ(18時ころ)過ぎに帰ってくる。
雨が降って、大工仕事にならなくても、である。

>三:八兄い、偶(たま)には「だるま」にでも寄ってみたいもんですねえ。
>八:そうか。帰り道が違っちまったもんで、すっかり忘れてたぜ。
>三:それっくらいで忘れるもんですか?
>八:いやあ、なんだか考えることが多くてな。
>三:爺さんから何かを吹き込まれたんですかい?
>八:そんなんじゃねえさ。・・・唯(ただ)な、「こっちにはこっちのやり方ってもんがある」ってとこが、気になってな。
>三:八兄いを親方にするって話ですか?
>八:まあな。
>三:大方、棟梁に話を付けるってことでしょうよ。
>八:まあ、そんなところだろうがよ、妙に引っ掛かるんだよな。
>三:そんなこと考えてたって始まらねえでしょう? 遅かれ早かれ親方にはなるんだから。
>八:お前ぇはそれで良いのか? おいらの弟子になるんだぞ。
>三:今じゃ、それも悪くはないかなって思ってるんですよね。そんでもって、弟子を育てて、いつかはおいらも親方になる。そういうことなんじゃないですか?
>八:へえ。大したもんだね。お前ぇが先を考えるようになるとはね。
>三:おいらだって、四郎と離れて仕事してると、そんな気にもなろうってもんですよ。まあ、四郎のことは気に掛かりますけどね。
>八:人のこと気に掛けるてる場合かよ。
>三:少なくとも、四郎は腕よりお頭(つむ)の方ですからね。人の上に立つような大工になれるかどうか、分かりませんね。
>八:今から決め付けちまうことじゃねえだろうがな。
>三:そりゃそうですがね。

八兵衛と三吉が「だるま」の暖簾(のれん)を潜(くぐ)ると、お須美(すみ)が「まあ、久し振りねえ」と声を掛けてきた。
いつもの卓に目を遣(や)ると、熊五郎と五六蔵・四郎と一緒に、友助が座っていた。

>八:あれ? どうして友さんがここに?
>熊:友さんはな、いなくても差し障(さわ)りのねえお前ぇらと違って、こっちには必要なお人なの。
>五六:そっちとこっちの両方を、掛け持ちでやって呉れてるんでやすよ。
>八:へえ、そりゃ大変なんですねえ。
>友:そうでもないですよ。四郎さんの物覚えが良いもんで、大助かりです。
>三:なんだって? もしかして、四郎が友さんの代わりをしようって・・・
>熊:そういうことなんだとさ。3日前に、親方がな。
>八:はあ。こりゃ魂消(たまげ)た。今さっき、三吉と四郎はこの先どうなるんだろうなって話してたとこだ。
>熊:こうなろうとは思ってなかっただろう?
>八:ちっとも。
>三:おいらもでさぁ。
>四:実は、当のおいらも、そんなこと考えてもみませんでした。
>友:源五郎親方と武兵衛さんが決めたことなんです。
>八:親方も?
>三:するってえと、八兄いが親方になるって話も、満更(まんざら)嘘でもなさそうですね。
>熊:本当の話になっちまったのか?
>八:そんなの分からねえって。
>四:瓢箪から駒ですか?
>三:もしかすると、「思う壺(つぼ)」って奴かもね。

>熊:そうするとどういうことになるんだ?
>八:そうするとって、どうするとだ?
>熊:やがておいらは抜けていくだろ? そんでもって、八と三吉が抜けていく。残るのは、親方と友さんと五六蔵と四郎だ。
>友:たぶん、四郎さんは熊さんと八つぁんの両方の面倒を見るようになると思います。
>五六:するってえとなんですかい? あっしは寄り合いで滅多(めった)に現場へ来らんねえ親方と、友さんと3人で仕事をしなきゃならねえってんですかい?
>八:そりゃあ無理ってもんだな。
>五六:無理ですよねえ?
>友:誰か弟子を入れるんじゃないですかね。源太坊ちゃんと慶二坊ちゃんはまだ小さいですからね。
>五六:あっしの弟子、ですかい?
>友:そうですよ。五六蔵さんの弟子です。
>五六:な、なんだか擽(くすぐ)ってえですねえ。
>八:直(す)ぐにじゃねえぞ。
>熊:八やおいらたちがちゃんと一本立ちできるようになってからのことだ。
>八:おいらは直ぐにでも大丈夫だが、三吉の野郎が足を引っ張るからな。早くても3年先だな。
>三:足なんか引っ張りますかって。
>八:引っ張ってやがるじゃねえか。
>三:引っ張ってませんって。


「だるま」でこんな話が出ていた頃、源五郎と源蔵が酒を酌(く)み交わしながら話をしていた。

>棟梁:あの八兵衛がねえ。
>源:あいつの腕は確かだよ。
>棟:それは分かってるさ。だがな、変に偉ぶったりしてあいつの良さが無くなっちまったりはしねえだろうな?
>源:それくらいで糞真面目になっちまうんだったら、もう疾(と)っくにそうなってるよ。
>棟:そうだな。・・・取り越し苦労か。俺も焼きが回ったな。

>源:真面目さが足りねえのも駄目だが、小さく凝(こ)り固まっても駄目だってんだから、あいつを扱(あつか)うのは大変だな。
>棟:でもよ。いつかは独(ひと)り立ちさせてやらなくちゃならねえんだからよ。
>源:正直言って、あいつの扱いにはちょいとばかし自信がねえんだ。
>棟:武兵衛爺さんのとこへ呼ばれて良かったじゃねえか。
>源:下衆の勘繰りかも知れねえが、親爺が手を回したんじゃねえだろうな?
>棟:さあな。・・・近頃、物覚えが悪くなっていけねえ。
>源:まったく、食えねえ爺いだな。
>棟:爺いとはなんだ。
>源:立派な爺いじゃねえか。孫ももう5つだ。
>棟:お前ぇが早く嫁を貰ってりゃ、もう立派な跡継ぎが出来上がってたとこだ。
>源:そんなの今更どうにもならねえだろう。
>棟:そうだな。・・・お前ぇには過ぎた女房だし、お前ぇに似ず可愛らしい孫たちだしな。
>源:喧嘩売ってるのか?
>棟:もう爺さんなんだからな。若いもんに喧嘩なぞ売る訳がねえじゃねえか。・・・さてと、年寄りはもう寝るとするかな。
>源:まったく、都合の好いときだけ年寄りになりやがる。

八兵衛と三吉は、梅雨が明けるまで武兵衛爺さんのところで働き、2軒の家を仕上げた。
武兵衛爺さんは、「俺が死んでからも、この2軒だけは雨漏りの心配なんかいらねえな」などと気弱なことを言い、友助も含めた3人に、幾許(いくばく)かの祝儀(しゅうぎ)を弾んだ。

八兵衛としては珍しいことに、その祝儀で「だるま」の代金を全部持ち、残った銭で、お花に櫛(くし)を買った。
お花からは、「雪でも降るんじゃないですか?」などと言われたが、ちっとも悪い気はしなかった。
(第41章の完・つづく)−−−≪HOME