189.【こ】 『紺屋(こうや)の明後日(あさって)』 (2003/07/14)
『紺屋の明後日』
紺屋の仕事は天候に支配されがちであるため、明後日になればできると言っては期日を延ばすことが多く、当てにならない。転じて、一般に約束が当てにならないことの喩え。
類:●医者の只今蕎麦屋の出前●One of these days is none of these days.(いずれ近日中は、近日中には来ない)<「英⇔日」対照・名言ことわざ辞典
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途中からの話だったが、お夏にも飲み込みが付いてきたらしく、目が爛々(らんらん)と輝きだしていた。

>夏:ねえ坂田様、その杉乃井なんとかとかが貯め込んでた大判小判はどうなったのかしら?
>太:大方、若年寄の手の者が
巻き上げていったのでしょう。
>夏:でも、法外な量よね?
>太:遊蕩(ゆうとう)にどれだけ使ったかは知りませんが、たいへんなものが残っていた筈です。
>夏:そのくらいあれば長崎まで往復できるかしらね?
>太:長崎ですか? ええ、まあ100人でも往復できますとも。
>夏:凄(すご)い。・・・決まりね。
>熊:おいおい、お上の銭だぜ。お夏坊が使って良いってもんじゃねえ。・・・それに、もう若年寄の蔵に入っちまったんだ。取り返しようがねえだろう。
>夏:それなら、今の勘定組頭のところに押し込んじゃいましょうよ。
>熊:だから、そいつは咎(とが)だってんだ。お縄(なわ)になっちまうぞ。
>夏:あたしたちが行ったらそうだけど、捕(と)り方が行けば良いんでしょ?
>八:そりゃそうだ。お夏ちゃん、頭良いっ。
>熊:あのなあ。・・・お前ぇたち、鴨太郎を良いように使おうって魂胆(こんたん)だろう。
>夏:当たり前じゃないの。
>八:そうよ。あたりきしゃりきこんこんちきよ。
>熊:あいつにだって、分(ぶん)ってもんがあるだろ? 勘定方のお偉いさんとか勘定吟味役とかに手を出したりたら、どうなるか分かったもんじゃねえんだぞ。
>八:そのために太市の旦那がいるんじゃねえか。ねえ?
>太:ねえと言われましてもねえ・・・
>八:その甘党の役人に「小金餅」を10個も渡しゃ、生き証文になって呉れるんじゃねえですかい?
>四:・・・あの、「小金餅」は3個売りなんですけど。
>八:そんなのどうだって良いじゃねえか。なんなら12個でも15個でも構わねえ。15じゃ数が悪いってんなら、5個くらいおいらが食ってやるさ。

>夏:でも、そのお役人って当てになるの? たった8文でぺらぺら喋っちゃう人でしょ? なんだかもの凄く不安だわ。
>太:鴨太郎さんという方が畑違いだろうがなんだろうが、罪状を押さえてしまえばなんとでもなります。そうなれば、ご公儀の庇護がありますから証人にもなって呉れるでしょう。
>夏:信用して貰えるかってのも心配なんだけどね。
>太:確かに不安はあります。それは、ご老中や上様次第でしょうね。わたしにはなんとも言えません。
>八:そんときゃ、内房のご隠居に頼んで、斉(なり)ちゃんに口添えして貰えば良いでしょ?
>太:そういうのは反則というものです。
>八:悪人をやっつけるのに反則も糞(くそ)もねえでしょう?
>熊:・・・それなら、端(はな)っからご隠居様に頼めば良いんじゃねえのか?
>八:そりゃあそうなんだろうが、あのご隠居はせっかち過ぎて、下手(へた)すると日本橋の料亭にまで斉ちゃんを引っ張り出し兼ねねえぞ。
>太:ふむ。なるほど。それでは、障(さわ)りが来ますな。若年寄のことですから、徹底抗戦の構えを取るかも知れません。そうなると、天下泰平の世の中そのものが危うくなります。
>熊:そんな大事(おおごと)になるようなこと、あのご隠居様がしやすかねえ?
>太:さあ、どうでしょう。わたしはあまり詳しくありませんので。しかし、八つぁんが言うのでしたら、暫(しばら)く見合わせた方が良いかも知れませんな。
>八:そうでやすとも。もうちょいと出し惜しみしとかねえと、ご利益(りやく)が少なくなっちまうからな。
>熊:なんだと? 手前ぇの目当てはやっぱりそれか。
>八:と、とんでもねえ。太平な世の中のためだよ、勿論(もちろん)。
>熊:お前ぇにそんなご立派なお頭(つむ)があるとは知らなかったよ。

しかし幾らなんでも鴨太郎だけでは手に余るだろうということで、太市は「一応、竹上太蔵にも相談してみます」と言った。「明後日くらいには報せに来ます」と太鼓判を捺して帰っていった。
結局、猪口(ちょこ)には手を付けず仕舞いである。

>八:あの学者が手を貸すと思うかい?
>熊:まあ、お上のことを考えてるには違いなかろうから、手伝って呉れるんじゃねえか?
>夏:ねえ。それはそれとして、下調べは必要よね? お咲ちゃんと与太郎さんに調べてきて貰った方が良いんじゃない?
>熊:お咲坊も巻き込もうってのか? おいらはあんまりお勧(すす)めしねえぞ。
>夏:大丈夫よ。お役人なんかよりずっと信用できるんだから。
>熊:そういうことじゃねえって。相手は銭に狂ったお武家さんだぞ。やっとうでも持ち出されたら危(あぶ)ねえじゃねえか。
>夏:ま。随分と庇(かば)うのね。そんなに大事?
>熊:馬鹿なこと言うなってんだ。おいらは当たり前のことを言ってるだけだ。
>夏:あらそう。でも、大丈夫よ。お咲ちゃんなら抜け目なくやるわ。
>八:大丈夫だって。伝六の兄さんだってついてるんだからよ。
>熊:だから心配だって言ってるんだよ。与太郎だって、一黒屋の方で手一杯だろ? お咲坊のこったから、独りで突っ走っちまうんじゃねえのか?
>八:なら、お前ぇがついてってやりゃあ良いじゃねえか。なあ、そうだろ?
>熊:お、おいらには仕事ってもんがあるしよ。
>八:何言ってやがる。こう雨続きじゃ、仕事になんかなりゃしねえだろ? 御用聞きは三吉と四郎がいりゃ十分よ。なあ?
>三・四:へい。任(まか)しといてお呉んなさい。
>熊:お前ぇらなあ。からかってやがるのか?
>三:へい。少しばっかり。

お夏には、どういう経緯(いきさつ)でこういうことになったのかを、四郎が説明した。
「両替商がねえ」と、お夏は溜め息を吐(つ)いた。

>夏:嫌な世の中になったものよね。あたしら貧乏人は、いったいどこを信じて生きてきゃ良いっての?
>熊:まあ、太市の旦那なら信じてみて良いんじゃねえのか?
>夏:だけど、今度のことが巧(うま)くいったからって、笠貼り浪人とか職人とかにはなんのご利益もないのよね。
>熊:良いじゃねえか。首になる人が減るってだけでも万万歳よ。・・・それに、お上の蔵が米や銭で一杯になりゃ、もしかすると、ちっとは有り難いお触れでも出して呉れんだろ。
>夏:期待薄よね。でもまあ、今回は、気持ちの上で満足ってとこで、手を打ちましょうか。
>八:偉い。お夏ちゃんはやっぱりできた娘だねえ。
>熊:なんでもかんでも誉(ほ)めりゃ良いってもんじゃねえぞ、八。
>夏:まったく誉めない誰かさんよりは嬉しいけどね。
>熊:誉められたきゃ、それなりのことしろってんだ。
>夏:じゃあ、お咲ちゃんがきちんとやることをこなしたら、懇(ねんご)ろに誉めてあげてね。ねんごろによ。
>熊:五月蝿(うるせ)えったら。放っとけ。
>夏:まあ、怒ったわ。可愛い、熊お兄ちゃん。・・・さてと、前祝いといきますか。
>熊:こんなでかいことだってのに、前祝いなんかやってられるか。
>夏:気持ち次第ってことよ。必ず巧くいくって思ってれば、きっとそうなるわよ。

お咲には、お夏から説明するからということになった。一先ず、明日から、入念な打合わせをしようということである。
鴨太郎に声を掛ける役は、熊五郎に割り当てられた。
念のためということで、八兵衛には、内房老人に渡りを付けて貰うことにした。

>熊:上様とかお奉行様への橋渡しじゃねえぞ。飽くまでも、勘定組頭と勘定吟味役の様子を聞き出すだけだからな。
>八:分かってるって。おいら、茶菓子でも出して貰えりゃ、それで満足して帰ってくるよ。
>熊:大丈夫かよ。なんだか心配だから、四郎、お前ぇも一緒についてって呉れねえか?
>四:御用聞きの方は良いんですか?
>熊:そっちの方は、五六蔵と三吉2人で、何とか親方を誤魔化しといて呉れ。
>五六:分かりやした。あっしもその方が、お三千に顔が立とうってもんで。
>三:でもなんだか騙(だま)すってのは、ちょいと気が引けますね。
>八:世のため人のためなんだぜ。そんなちっちゃいこと、気にすんなって。
>三:そうは言いやしても、姐さんの目は誤魔化せないかもしれませんぜ。
>八:そりゃそうだな。・・・でも、ま、そんときゃそんときよ。なるようになるさ。
>三:どういう風になるってんですか?
>八:お夏ちゃんに頼んで、姐さんまで仲間に引き込んじまえは良いのさ。
>三:おいら、親方が恐くって、とてもそんな大それたことなんか、できやしませんよ。
>八:姐さんが自分から関わったんだって言えば、親方なんざ一ころよ。大丈夫だって。おいらが請(う)け合うって。
>熊:お前ぇが請け合ったって、全然有り難味なんかねえよ。どうせ人任(まか)せ運任せだろ?
>八:お、言いやがったな? おう、そうだとも。だけどよ、それのどこが悪いってんだよ。
>熊:開き直りやがったな?
>五六:まあ、待ってくださいやし。要は、姐さんにばれなきゃ良いんでやしょう? 精々(せいぜい)気を付けやすって。
>熊:まあそうだな。ばれる前から心配しても始まらねえな。ここは、太市の旦那がなんか良い話を持って来て呉れるのを待ってみようじゃねえか。
>五六:そうでやすね。

とは言ったものの、太市は、3日経っても5日経っても「だるま」に顔を出さなかった。
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