43.【い】 『一斑(いっぱん)を以って全豹(ぜんぴょう)を卜(ぼく)す』 (2000/09/11)
『一斑を以って全豹を卜す』[=知る、=評す]
豹の皮の斑(まだら)模様の一部を見て豹であることを認識するということから、ものごとの一部を見て、全体を推(お)し量(はか)ること。
類:●全豹一斑●管中窺豹
出典@:「世説新語−方正」「此郎亦管中窺豹、時見一斑」
出典A:「晋書−王献之伝」

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三吉と四郎が鳴門邸に着いた頃、屋敷内では渦次郎が太郎兵衛を怒鳴り付けていた。
木っ端(こっぱ)役人から「てんで意気地(いくじ)がないんだな」と扱き下ろされて堪えなければならないのも、過分(かぶん)な手間賃(てまちん)を渡さざるを得ないのも、偏(ひとえ)に源五郎が怖いからだ。
十年前の衣笠屋での一件は、太郎兵衛にとって、生涯消すことのできない心の傷となっていたのだ。
一方の鳴門は、言い出しっぺ本人が掌(てのひら)を返すように方針を変えたことに憤(いきどお)ってはみせたが、内心ほくほくだった。
たいした家柄ではないにしても、家名断絶の危機がなくなったのだ。その上、予定外の金子(きんす)も手に入ったし。
これ以上損害がないのであれば、さっさと手を引くに限る。恩を売るとか金子を搾(しぼ)り取るとかはこの際必要ない。
泉州屋の方も太郎兵衛が丸く納めるというのだから、やりたいようにやらせれば良い。

>鳴:もう良い。二助は渡すからそっちでなんとでもしろ。
>太:有難うございます。それではそうさせていただきます。
>鳴:くれぐれも、二助が番屋へ駆け込むようなことのないようにな。
>太:分かっております。

二助は、どうにか食事の取れるくらいまで回復していたが、歩くのはまだ不自由だった。
やくざどもが入ってきて引き立てられたときには、これでもう最期(さいご)かと覚悟を決めた。

>二:短い生涯だったな・・・
>権:安心しろ、殺しゃしねえよ。
>二:そんじゃあ、どうなるってんでえ。
>権:もう帰って良い。
>二:へ?
>権:うちの親分の気が変わったんだよ。今回のことを綺麗さっぱり忘れられるって言うんなら、帰してやっても良いってことだ。
>二:忘れろってったってよ、元締めんところに行けば根掘り葉掘り聞かれもするだろうしなあ。それより、ここの工賃はどうなるってんだよ。それに、昨日と今日の稼(かせ)ぎはどうする?
>権:丸一月(ひとつき)飲み食いしたって余る位の銭を持たして呉れるってんだ。少しばかし物忘れが酷(ひど)くなったって構わねえだろう。
>二:そうだな、しこたま頭も打ってるしな。
>権:その調子だ。

門前でちょこまかと見え隠れしている2人を見て、権太は「へえ」と感心したように呟(つぶや)き、二助の懐(ふところ)に小判を1枚滑(すべ)り込ませた。

>権:迎えが来てるようだ。ここで良いだろう。じゃあな、あばよ。

二助は、三吉と四郎に支(ささ)えられて源五郎の家へ戻ってきた。

>八:お前ぇ、よく、盾も突かずに神妙(しんみょう)にしていられたな?
>二:こんな有り様じゃ、それどころじゃねえよ。それに、口止め料まで貰っちまっちゃあな。
>熊:全然口止めになってねえじゃねえか。
>二:お上(かみ)に言わなきゃ良いってこったろ? 大工風情(ふぜい)に何を喋(しゃべ)ったってどうなるもんじゃねえさ。
>八:ご挨拶だねえ。その大工風情のお陰で助かったんじゃねえのか?
>二:そうなのか? 親分の気が変わったんだって聞かされたが。
>八:うちの親方が立ち回って呉れなすったんだ。そうでなきゃ、今ごろ大川にぷっかり浮いてるとこだ。
>二:へえ、そりゃどうも。
>八:なんでぇそれだけか?
>二:それだけかって、相手はやくざだぞ。親方がいくら立派だからって、どういう風に立ち回ればやくざが手を引くってんだ。信じろってのが無理だろう?
>八:今聞かしてやるから、耳の穴かっぽじってようく聞いてろよ。実はだなあ・・・

五六蔵たちが輪に加わって、決め所で合いの手を入れるべく身構えた。
既に堂に入っている八兵衛の演技を見て、二助は、話の中身よりもその調子に、引き込まれていた。

>二:あんまり笑わせるなよ、打ち身に障(さわ)るじゃねえかよ。いてててて。
>八:なあ、分かったろう?
>二:それにしてもよ、親方ってほんとに大したお人なんだな。与力と淡路屋と、そのなんとかいう口入れ屋がぐるになってるなんて、そうそう気が付くもんじゃねえぞ。
>八:お前ぇなんかとはお頭(つむ)の出来が違うんだよ。一つを聞いただけで全部分かっちまうんだからな。
>二:お前ぇらの親方にしとくにゃぁ惜しいお人だな。いっそのこと目明かしかなんかになってりゃ良かったのにな。
>八:何を抜かしてやがる。親方は大工だから良いんだよ。あんな強面(こわもて)の目明かしがいたら一遍(いっぺん)に回状(かいじょう)が回って、捕まるもんも捕まんねえじゃねえか。
>二:それもそうだな。

>源:誰が強面だと?
>八:お、親方。聞いてらしたんですかい?
>源:なんか騒がしいと思ったらこんなことだったのか。げらげら笑ってる暇があったら、勝手場へ行って据(す)え膳の手伝いでもしてこい。まったく、こんな人数になると母ちゃんが喧(やかま)しくって適(かな)わん。
>二:お邪魔で?
>源:そうじゃねえよ。母ちゃんがよ、はしゃいじまって困るってんだ。嬉々として飯作りしてやがる。
>二:はあ、そういうこって。
>熊:親方、ひとつ妙案(みょうあん)があるんですが・・・
>源:なんだ?
>熊:今晩も女将(おかみ)さんがそんな調子で困るってんでしたら、おいらたちと一緒に「だるま」へ行って一杯やりませんか?
>八:宜(よろ)しかったら姐(あね)さんもご一緒に。
>源:お前ぇたち、また何か背負(しょ)い込んできやがったな?
>熊:いえ、そのう・・・
>八:流石(さすが)、親方、何でもお見通しですね。・・・実はですね、手伝いの娘が、どうしても姐さんと会ってみてえって言うもんで。
>熊:お咲坊の友達でして。
>八:熊の昔馴染(むかしなじ)みでして。
>源:それで? お前ぇたちは首っ丈(たけ)ってことか?
>八:それがね、親方、可愛いのなんのって。普通の男だったらもう、猫に木天蓼(またたび)でさあ。
>源:ふうん。そうか。

>熊:駄目ですか?
>八:飲み代(しろ)は二助の奴が持ちやすから。
>二:て、手前ぇ、なんてこと言い出しやがる。
>八:構わねえだろ。大川に浮かんでたところなんだぞ。
>二:わ、分かったよ。煮るなり焼くなり好きにしろい。
>八:どうです?
>源:まあな。端(はな)っから繰(く)り出すつもりでいた訳だしな。母ちゃんも五月蝿(うるせ)えし。
>八:なぁんだあ、そんなつもりだったんでやすかぁ。
>源:飲み代分が浮いたかな。
>二:親方、そいつぁあ狡(ずる)いですぜ。
>源:「情報を制する者が世界を制す」だ、な、四郎?
>四:おいらのは専(もっぱ)ら怪情報ですが。
>八:その一々を真に受けて、面白(おもしろ)可笑(おか)しく踊らされているのが、おいらたちなんですがね。
つづく