焚書坑儒(ふんしょこうじゅ)

ことわざの意味
書物を燃やし、儒者を坑する(穴埋めにする)こと。転じて、言論を統制して、学問や思想を弾圧すること。

ことわざの由来

中国秦の始皇帝が紀元前213~212年に行った、主に儒家に対する言論統制政策。法家の思想家李斯の建言により、医学・卜筮・農事などの実用書以外を焼き、儒生470余人を咸陽で坑殺したといわれる。

「坑儒」という言葉は、後代の儒者によって捏(で)っち上げられた「造語」とする説もある。『「坑」されたのは「儒生」ではなく「禁を犯した諸生(儒者でない者もいた)」であり、儒教を弾圧したものではない』。

また、「坑」は、「穴に埋め」たの意味ではなく、「閉じ込め」たの意味であるとも考えられる。

出典について

孔安国の「古文尚書-序」「及秦始皇、滅先代典籍、焚書坑儒。天下学士、逃難解散」 参考:古文尚書(こぶんしょうしょ) 古文書。序は孔安国(こうあんこく)。中国、先秦の蝌蚪文字(かともんじ)で書かれていた『書経』。孔子の編とされる。漢時代の通行文字で書き改めたので、「今文(きんぶん)尚書」と呼ばれたのに対して言う。漢の景帝の時、魯の恭王が孔子の旧宅の壁中から得たとされる。
 十八史略(じゅうはっしりゃく) 鼓腹撃壌 参照。