第39章「だるま看板娘の新しい風(仮題)」

323.【て】 『天衣無縫(てんいむほう)』
(2006.02.20)
『天衣無縫』
1.天女(てんにょ)の着物に縫(ぬ)い目のような人工の跡がないこと。転じて、文章や詩歌にわざとらしい技巧の跡が見えず、ごく自然にできあがっていて、しかも完全で美しいこと。
2.人柄などが、飾り気がなくありのままである。純真(じゅんしん)である。 類:●天真爛漫
出典:霊怪録(れいかいろく) 怪異短編小説集。唐。牛キョウ[山+喬](ぎゅうきょう)。・・・詳細調査中。
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年が文化3年(1806)に改(あらた)まり、もう既に半(なか)ばを過ぎようていた。
梅の花が咲き始めた頃には、三吉の怪我(けが)もすっかり良くなっていた。
明日から仕事に出てくることに決まり、八兵衛が「快気(かいき)祝いをやらねえとな」と言い出した。
いつもの「だるま」には、源五郎を除(のぞ)く一同(=総勢8人)が集まった。

>熊:「快気祝い」ってのは、病気の時に言うんじゃねえのか?
>八:寝込んでたみてえなもんなんだから、良いんじゃねえのか? なあ、三吉?
>三:そんなのなんだって良いですよ。八兄いは、なんでも良いからお題目(だいもく)を作って飲みてえだけなんでしょう?
>八:はっは。その通り。
>三:やっぱりね。なんだか、ちっとも有り難くねえな。
>八:良いじゃねえか。これまでずうっと飲んでなかったんだろう? お前ぇだって願ったり叶ったりじゃねえのか?
>三:それを言われたらその通りですがねえ。
>八:それ見ろ。ご当人が喜びゃそれで良いのよ。
>三:なんてったって、お花さんから駄目だって言われたら、従わなきゃなりませんからね。辛(つら)いもんですよ、結構。
>八:お花の言うことなんか、そんなに大層なもんなのか?
>三:当たり前じゃないですか。・・・骨は継(つ)げるし、腕も立つ愛想(あいそ)が良くって、八兄いの我が侭(まま)にも文句一つ言わない。見上げたお人ですよ、まったく。
>八:そんなに褒(ほ)めるなよ。照れるじゃねえか。
>三:誰も八兄いのことなんか褒めてません。・・・ほんとに、どういう育ち方してきたんですか。
>八:そんなの、どうもこうもあるか。このまんまだ。
>三:いやはや、無邪気(むじゃき)なんだか能天気なんだか。

そうして、やっと八兵衛と三吉らしい掛け合いが戻ってきた訳である。

>八:そればそうと、友さんも久し振りだな。
>友:そうですね。かれこれ、もう半年くらいになりますか。
>八:あんまり女房にべったりくっ付いてると、いざ遊び回りたいってときに、根掘り葉掘り聞かれちまうようんじゃねえのかい?
>友:そんなことありませんって。稚児(やや)なんかができたら、どうせ、こっちから頼んだって話もして貰えなくなります。
>八:そうかも知れねえな。・・・まあ、おいらんとこは元からそんな風だからな。
>熊:極楽蜻蛉(ごくらくとんぼ)だもんな。
>八:おいらがか? そんなことあるか。こう見えたって、亭主としちゃ立派なもんだ。
>熊:どこが立派なんだか。
>八:人の親ともなりゃ立派なもんじゃねえか。・・・友さんとこはまだなのかい?
>友:それが、どうにかできたようで。・・・色々と教えて欲しいから、お花さんがどうか聞いてきてって言われてきました。
>八:そうかい。そりゃ目出度(めでて)えじゃねえか。さ、きゅうっとやって呉れ。・・・そうと聞けば三吉の足のことなんか二の次で良いや。
>三:酷(ひど)いねえ、まったく。
>八:・・・だがよ、友さん。家(うち)じゃ、もういつ出てきたって不思議じゃねえってとこに来ちまってるんだ。話をしてる暇なんかねえぜ。
>友:もうそんなになりますか?
>八:今日かも知んねえし明日かも知んねえ。
>友:良いんですか、こんなとこで飲んでて?
>八:「飲んでる」のはちっとも構わねえんだけどよ。目と鼻の先だしな。・・・どっちかってえと、「こんなとこ」ってのが、良かねえ。
>亭主:・・・なんか言ったか、八公?
>八:いけねえ。地獄耳だぜ。

そこへ、お田(でん)の器を持ってお町がやってきた。
心成しか、上気しているように顔が赤い。

>町:今日はまた大勢さんで有難う御座います。
>八:よっ、お町ちゃん、相変わらず綺麗で結構だねえ。
>町:あら、八兵衛さんったら、もう酔っ払っちゃってるの?
>八:素面(しらふ)も素面、大素面よ。
>町:はいはい。・・・ねえ熊さん、お咲ちゃんに頼んで欲しいことがあるんだけど。
>熊:頼みごとかい?
>町:ここでのお仕事をやって呉れそうな娘さんを、早めに探して欲しいの。
>熊:辞(や)めちまうってのかい?
>八:どうしたんだ? 身体の具合いでも悪くなったのか?
>町:源五郎の小父(おじ)様には話してあるんだけど、あたし、三吉さんと一緒になることにしたの。

周囲の客たちの間から、どよめきが起こった。
ほぼ全員がこちらに目を向けている。

>八:な、なんだと? 足を吊って寝てるだけだってのに、こいついつのまにそんな大それたことしてやがったんだ?
>町:五六蔵さんと四郎さんには、あんまり言わないでってお願いしてたの。
>八:五六蔵、四郎、お前ぇたちは知ってたのか?
>五六:へい。そりゃあ知ってましたよ。毎朝顔を合わしてやしたから。
>四:おいらも、ちょくちょく顔を出してましたから。
>八:なんで教えて呉れねえんだよ。冷てえな。・・・真逆(まさか)熊まで知ってたってんじゃねえだろうな?
>熊:知ってたに決まってんじゃねえか。お前ぇだけだぞ、知らなかったのは。・・・なあ、友さん?
>友:ええ。聞いてましたよ。
>八:なんだと? どうしておいらだけが仲間外れなんだ?
>万:私たちも聞いていませんでした。
>千:八の兄さんだけじゃなくて、良う御座いましたね。
>八:「恐縮千万」とおんなじ扱(あつか)いなのか? そりゃあねえよ。

>熊:お前ぇが聞かねえのが悪いんだろ? 取り持って呉れたのはお花ちゃんみてえなもんなのによ。身重(みおも)の女房が立ち回ってたってのに、好い気なもんだよな。
>八:なんだと? お花がそんなことをしてやがったのか?
>三:足を向けて寝られませんや。
>八:なんでおいらに黙ってるんだよ。
>三:「知らぬは亭主ばかりなり」ってやつですかね、面白いもんですね。
>八:なんだと?
>熊:まあ良いじゃねえか。お花ちゃんに足を向けられねえってんなら、お前ぇにも足を向けねえってことなんだからよ。
>八:ん? そうか? ・・・まあ、そういうことなら勘弁してやらねえでもねえか。
>熊:たわいのねえ野郎だな。そんなんで納得(なっとく)しちまうのか?
>八:だって仕方ねえだろう。こっちは目出度えことだし、友さんとこもお目出度い。そんでもって、家に帰りゃ当のお花はうんうん唸(うな)ってるときちゃ、おいら1人が怒ってる訳にもいかねえだろ。
>熊:おお、良く言った。お前ぇにしちゃ上出来だ。

熊五郎は、一先(ひとま)ず当たってみるとは言ったものの、女中の代わりなどそう容易(たやす)く見付かるものだろうか?
急がないのであれば、どうということのない話ではある。

ところが、よくよく話を聞いてみると、三吉は既にお町の家に転がり込んでしまっているということである。
そうなっては、源五郎としてもできるだけ早く祝言(しゅうげん)を済ませない訳にもいかないだろう。

>熊:三吉、お前ぇ、親方にはいつ頃祝言を挙げてえとかってのは話してあるのか?
>三:いえ、おいらからはなんとも言ってないんですけど・・・
>熊:けど、なんだ?
>三:午(うま)之助父つぁんが、おいらの足が治り次第くらいの鼻息で話を持ち込んでるみたいなんで。
>熊:親方だって、そうまで言われちゃ嫌とは言えねえな。
>八:人の女房ってことになっちまうと、こんなとこでいつまでも働かせとく訳にゃいかねえもんな?
>熊:そりゃそうだ。午之助父つぁんの面子(めんつ)ってもんもあるしな。
>八:そんならよ、次が決まるまでは、お咲坊にやらせときゃ良いじゃねえか。
>熊:なんだと? おいらと六さんの面子の方はどうなるってんだよ?
>八:そんなもん、端(なは)っから持ち合わせちゃいねえだろ?
>熊:なんだと?
>八:おいらがなんか間違ったことでも言ったか?
>熊:うーん。

家に帰ったら、真っ先にお咲と話し合わなければならない。
そのお咲がどうしても手に余るというのであれば、あやのところに泣き付いていかせるしかないだろうとも考えていた。
しかし、熊五郎が家に帰ってお咲と話したところ、「その件はもう済んでるから心配しないで」と言われてしまった。

>熊:なんだと? そりゃ一体どうなっちまってるんだ?
>咲:だって、あやさんが気を利かせて呉れちゃったんだもの。・・・見る?
>熊:なんだ?
>咲:文(ふみ)よ、文。今日の昼どきに友助さんが持ってきて呉れたの。
>熊:友さんがか? そんなこと一言も言ってなかったがな。
>咲:まったく、親方んとこのお弟子さんは、気の付く人ばっかりで凄(すご)いわね。驚いちゃった。
>熊:どれ、見せてみろ・・・。ええと、「大きなお世話かも知れないけど、『だるま』で働けそうな娘さんを2人ばかり当たっておきました。1人は友助さんのとこのお十三(とみ)さんのお知り合い。もう1人は以前友助さんの下で働いていた人の妹さん。どちらもお茶目。」・・・なんだこりゃ?
>咲:だから、書いてある通りよ。
>熊:「客あしらいが上手(うま)い」とか「器量好し」とか、他に大事なとこがあるだろう? なんだこの「お茶目」ってのは?
>咲:どうせあたしが仕込む訳だから、その方が良いのよ。
>熊:それにしたって・・・
>咲:良いの良いの。あたしには、こういう書き方が一番嬉しいの。・・・明日、友助さんに会ったら、ちゃんとお礼を言っといてちょうだいね。
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