303.【ち】 『朝令暮改(ちょうれいぼかい)』 (2005.09.26)
『朝令暮改』
朝に命令を下し、その日の夕方に、それを翻(ひるがえ)すこと。命令や方針が頻繁に変わって一定せず、当てにならないこと。
類:●朝改暮変●朝立暮廃●朝出暮改●舌の根も乾かぬ内
出典:「漢書−食貨志」「勤苦如此、尚復水旱之災、急政暴賦、賦斂不時、朝令暮改
*********

夕刻、大工仕事を終えて作業部屋に戻ってくると、源五郎と熊五郎はお雅に呼ばれた。
居間には棟梁もあやも居らず、お雅が独りで座っていた。

>源:なんだよ。夕飯の仕度(したく)もしねえで茶飲みかよ。
>雅:お飯(まんま)はちゃんと食わしてやるから安心しな。それに、一食くらい抜いたって死にゃしないよ。
>源:そりゃそうだが、餓鬼(がき)どもまで飯抜きなんてことは勘弁(かんべん)して呉れよな。
>雅:当たり前じゃないか。あんたや宿六がどうなろうと知ったことじゃないが、可愛い孫にひもじい思いなんかさせるもんか。
>源:そ、そうか。そんなら良いか。
>雅:そんなことより、熊。
>熊:へ、へい。なんでござんしょう?
>雅:ござんしょも残暑見舞いもあるかい。あんた、いつにんなったらあの小娘を貰ってやる気になるんだい?
>熊:へい。もう3月(みつき)くらいしたらと・・・
>雅:3月だって? 何を考えてるのかね、まったく。・・・源五郎。
>源:なんだい?
>雅:あんたはそれで良いって言っちまってるのかい?
>源:良いも悪いも、当人同士がそう決めてるってんなら文句の付けようがねえじゃねえか。
>雅:馬鹿をお言いでないよ。一緒んなるって分かってる2人をいつまでも置いといちゃ、世間様だって妙に思うだろう?
>源:周りは周りだろう。熊の奴だって、「万吉と千吉が一端(いっぱし)になるまでは」って言ってるんだぜ。
>雅:あんたねえ、あんただって、大工が一端になるまでどれくらい掛かるか分かってるだろう?
>源:そりゃ分かってるさ。いくら俺だってそこまで待たせるつもりなんかねえよ。玄翁(げんのう)くらい揮(ふる)えるようになりゃ良いだろうって思ってる。
>雅:それまでにゃどれくらい掛かるってんだい?
>源:そうさな、早けりゃ3月くらいかな。まあ、筋が良さそうだから、もっと早くても良さそうだが。
>雅:そんなにかい? 教え方が悪いんじゃないのかい?
>源:そんなことあるか。今のうちはまだ道具を持たしてねえってだけだ。みんなそうやってきてるの。

>雅:それじゃあ、家(うち)だけは違うことをやりな。明日っから、いや今晩っから、万吉と千吉に玄翁の使い方を教えな。
>源:俺がか?
>雅:そうさ、あんたがさ。熊の奴は、これから長屋へ帰って荷物を纏(まと)めなきゃならないんだろう?
>熊:荷物ったって、布団と行李(こうり)くらいのもんでして。
>雅:嫁と父親(てておや)の分もあるだろう?
>熊:でも、そっちはもうちょっと先でも良いかと・・・
>雅:駄目だ。明日か明後日(あさって)引っ越すってんだろ?
>熊:へい。おいらは明後日にしようかと思ってやす。
>雅:なら、一緒に運んじまいな。
>熊:でも、祝言(しゅうげん)がまだですから。
>雅:そんなの構(かま)うもんか。「いつんなっても一緒にさせない」って評判が出てくるくらいだったら、そっち方が面目(めんぼく)が立つ
>源:そんなもんか?
>雅:そういうもんなの。・・・分かったらさっさと取り掛かりな。

熊五郎は、仕方なく長屋へ帰ることにした。
八兵衛と三吉は、差しではなんだからと屁理屈を捏(こ)ねて、五六蔵と四郎を引っ立てて「だるま」へと飲みに行ってしまった。
熊五郎は、渋々と八兵衛たちを見送り、帰り着いて、先にお咲のところへ寄って戻りを告げた。

>熊:今帰ったよ、六さん。
>六:ああ、お帰り。なんだか急に忙(せわ)しくなったな、熊さん。
>熊:なんだい、もう知ってるのかい? 大女将(おかみ)さんから言われたってことを。
>咲:あたしがね、お婆ちゃんに頼んできたの。一緒に引っ越すって。
>熊:なんだと?
>咲:祝言もその日に挙げるのよ。
>熊:な、な、なんだと?
>咲:祝言を挙げて正々堂々と引っ越すの。その方が良いでしょう?
>熊:だ、だって、祝言は後からするって言ってあるんだぞ。親方にだって、今更「明後日になりまして御座い」なんて、掌(てのひら)を返すみてえなこと言えるか?
>咲:言えるに決まってるじゃない。引っ越すからって、必ず親方を名乗らなきゃならないって法はないんだから。
>熊:そりゃ・・・
>六:なあ熊さん、聞いて呉れるか? ・・・初めは、重責(じゅうせき)を担(にな)うことになるということで、色々と杓子定規にものを考えていたのであろう? だがどうだ? 見習いの2人が一人前になるのを待つというのも結構だが、咲を待たせるのは程々にして貰いたいのだよ。これは、父としての頼みだ。
>熊:六さん・・・
>咲:あたしだって、待てって言われて待てない訳じゃないのよ。でもね、待っていることの値打ちっていうのかな、意義があんまりないような気がしてきちゃったのよ。
>熊:そうか。・・・確かにそうだな。待つことの訳ってのは、詰まるところ、おいらの気持ちに決まりが付くかも知れねえってことだけのことだもんな。

>咲:それじゃ、良いのね?
>熊:ああ。そんならそれで良いさ。おいらも腹を決めるよ。明日、親方にもそう言う。・・・だがよ、用意なんかなんにもしてねえんだぜ。
>咲:そんなのなくても良いわよ。家だって結納(ゆいのう)の品とか嫁入り道具とか、なんにもないもん。身一つだけど、それでも良いわよね?
>熊:そんなもん、端(はな)から考えちゃいねえさ。雨露を凌(しの)げる家を構(かま)えさして貰っただけで十分だ。
>咲:そう。良かった。「身一つ」って言ったけど、余計なお荷物(にもつ)が付いてっちゃうからね。
>六:悪かったな、お荷物で。
>熊:親に向かってそんなこと言うもんじゃねえって。
>咲:へへ。嬉しかったから、ついね。ほんとよ。ほんとに嬉しかったんだから。
>熊:そうか。そりゃ良かった。・・・さてと、忙(いそが)しくなるな。
>六:だから言っておろう? 忙しくなったと。
>咲:大八車を借りなきゃね。明日、頼みに行ってくるわね。
>熊:ああ。そうして呉れ。

熊五郎のところと同様に、六之進とてたいして物持ちではない。
傘貼りの材料も、ここのところ仕入れないようにしているらしい。

>熊:それはそうと、ここが空いちまった後の店子(たなこ)のことはどうする?
>咲:ん? それなら、あたしが決めてきた。
>熊:決めただと? 誰にだ?
>咲:竜(りゅう)って人。
>熊:なんだと? 三吉の恋敵(こいがたき)のうちの片割れか?
>咲:そうよ。その竜さんよ。半次さんとは馴染(なじ)みだっていうし、丁度良いじゃない。
>熊:だってよ、三吉が困るんじゃねえのか?
>咲:平気よ。もしかすると、却(かえ)って頑張っちゃうかも知れないじゃない?
>熊:そういうこともあるかも知れねえが、でもなぁ、どういう奴なんだか知らねえんだぜ。
>咲:あたしは会ってきたもん。悪い人じゃなさそうよ。
>熊:でもよ、もしかして、お町ちゃんがそっちの方が良いなんてことになったらどうするんだよ。
>咲:そのときはそのときよ。お雅のお婆ちゃんなんか、「負けちゃったら三吉なんかお払い箱にする」って言ってたわよ。
>熊:なんだと? そんなことまで話したのか? 大女将さんはそういうこと本気でするからな。・・・参ったな、こりゃ。
>咲:熊さんが困ることないじゃない。三ちゃんのことなんだから。
>熊:恨(うら)まれそうだな。
>咲:そんなことで恨みはしないわよ。・・・尤(もっと)も、竜さんの方は、騙(だま)されたと思うかもしれないけど。

>熊:どうだか。午(うま)之助父つぁんだって、「源五郎親方の弟子じゃなきゃいけねえ」なんて言ってはいるが、いざお町ちゃんから頼まれりゃ、引っ繰り返し兼ねねえ。
>咲:そんなことにはならないわよ。
>熊:そんなのどうして分かる?
>咲:分かるわよ。女同士だもの。
>熊:それなら良いんだけどな。
>咲:平気よ。あたしも応援しちゃうんだから。・・・そんなことより、ちょっと気に掛かることがあるのよね。
>熊:まだ何かあるのか?
>咲:あたしの取り越し苦労だと良いんだけど、竜さんのお仲間の秀(ひで)っていう人も、ここに住みたいって言って来ないかしら?
>熊:止(よ)せよ。そんなことになったら、輪を掛けて面倒なことになっちまうじゃねえか。
>咲:そうよね。止しましょう。仮にそんなこと言い出したって、空いてる長屋がないもんね。
>熊:大家(おおや)の爺さん、万吉と千吉にまで出てけなんて言い出さねえだろうな?
>咲:その点は大丈夫だろうと思うんだけどね。
>熊:「けど」なんだ?
>咲:竜さんと2人で住むってことになったら、あたしたちじゃ断われないってこと。
>熊:お、おい。嫌な考えを持ち出すんじゃねえよ。ほんとになったらどうするんだよ。
>咲:そうよね。今はあたしたちの祝言のことだけ考えることにしましょ。三ちゃんのことは後回し後回しっと。
つづく)−−−≪HOME