第26章「調子者八兵衛の本心@(仮題)」

227.【し】 『守株(しゅしゅ)』
 (2004/04/12)
『守株』
1.いつまでも古い習慣を固守して、時に応じて処理する能力が乏しいこと。2.進歩がないこと。
類:●株を守りて兎を待つ●杭(くい)を守る●株を守るの類(たぐい)なり
故事:韓非子−五蠹」 昔、兎が偶然木の切り株に頭をぶつけて死んだのを見た宋の農夫が、以来百姓仕事を辞め、また兎を手に入れようとして木の株の番をして暮らしたという。
★なぜ「宋」の農夫かというと、「杞憂」の「杞」国と同様、寓話に取り沙汰し易い国名であったことによる。周代に、殷(いん)王朝の子孫が集められ土地を与えられたのが「宋」であり、「宋人(そうひと)」は、祖先の霊を鎮(しず)めることだけを許され、細々と暮らしていた。[阿辻哲次教授]
参考:
北原白秋作詞の『待ちぼうけ』の歌詞はこんなもの。「待ちぼうけ 待ちぼうけ ある日せっせと 野良(のら)かせぎ、そこへ兎(うさぎ)が飛んで出て ころり ころげた 木の根っこ」
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桜の花弁(はなびら)もすっかり散ってしまい、江戸は、若葉の緑に染まり始めていた。
そんな清清(すがすが)しい季節に、あやは稚児(やや)を産んだ。男の子であった。
年号が「享和」から「文化」に変わたばかりのことである。(旧暦1804年2月11日…新暦だと3月22日)

>八:親方ぁ、お目出度う御座います。どっちでやした?
>源:男だ。俺にそっくりだそうだ。
>八:喜んで良いんだか悲しんで良いんだか。
>熊:稚児が生まれたってのに、悲しむ奴があるか。
>八:あっはっはっは。それもそうだな。
>熊:名前はもう決めたんですかい?
>源:いや、まだだ。源太のときは、一応俺が付けたってことになってるからな。あやの奴に任(まか)せてある。・・・でも、また出しゃばりな母ちゃんが、勝手に決めちまうかも知れねえがな。
>雅:誰が出しゃばりだって? 浮かれてばっかりいないで、餌(えさ)を稼(かせ)ぎに行ってきな。
>源:今日ぐらいのんびりしてても良いだろう?
>雅:何言ってるんだい。お前は3人もの子持ちなんだよ。ほうれ、聞いてみなよ、餌が欲しいってぴいちく鳴いてるだろう?
>源:分かったよ。出掛けりゃ良いんだろ、出掛けりゃ。・・・あやのことは頼んだぜ。
>雅:任せときな。・・・あ、そうだ。稚児の名前だけどね、「慶二(けいじ)」にしといたからね。お前は考えなくても良いよ。
>源:なんだと? もう決めちまったのか?
>雅:こういうのは早いに越したことがないのさ。
>源:ちゃんと、あやが決めたんだろうな?
>雅:「良いですね」って言ってたよ。
>源:なんだよ結局母ちゃんが決めたんじゃねえか。まったく、産みの親の意向も何もあったもんじゃねえな。
>雅:玄翁(げんのう)を振るうしか能がないお前になんか決めさせられるかい。・・・忘れるんじゃないよ。慶長小判の慶に一枚二枚の二だからね。

自分の思う通りの名前を付けたかったら、もう1人作らなきゃならないのかと、源五郎は溜息を吐(つ)いた。
そんな情けない顔を見て、八兵衛は大笑いしている。
その後ろでは、五六蔵と四郎と、友助までもが、にこにこ笑っている。

>五六:あっしらんとこもそろそろでやすから、早いとこ名前を決めちまわねえといけませんね。
>熊:もう、お三千(みっ)ちゃんが決めちまってるかも知れねえぜ。
>五六:そんならそれで、何の文句もねえんですが、藺平(いへい)父つぁんが、このごろ物凄く張り切っちまってですね・・・
>熊:どうしたんだ?
>五六:1日と置かずに見にくるんですよ。そのたんびに「まだかまだか?」って聞いていくってんです。
>熊:ちゃんと仕事をしてねえんじゃねえのか?
>五六:とんでもねえ、その逆でやすよ。生まれたら畳(たたみ)を全部取り替えてやるって言ってね、6畳どころか18畳も仕上げちまった、なんてことなんで。
>八:へえそりゃあ凄(すげ)え。うちの長屋の畳も替えて呉れねえかな?
>五六:駄目ですよ。商売ものなんでやすから。
>八:ちぇ。美味いこと丸め込めるかと思ったんだがな。
>五六:八兄いんとこに稚児でも生まれるってんなら、頼んでみても良いですがね。
>八:おっ、言いやがったな? 忘れるなよ。こうなったら意地でも稚児を作ってやるからな。
>五六:おっ? 本気なんでやすか?
>八:あたぼうよ。こうなりゃ稚児の1人や2人・・・
>熊:それ以前に、相手がいねえんだからどうしようもねえじゃねえか。

>源:五六蔵よ。菜々ちゃんの方はどうなんだ?
>五六:へい。あいつは田舎(いなか)もんですから、心配(しんぺえ)は要りませんって。一応、半公の母ちゃんに頼んでありやす。
>八:お梅婆(ばあ)さんかい? 大丈夫かよ。・・・まあ、うちの母ちゃんよりは増しか・・・。
>源:嫁と妹が一緒にお産じゃ、お前ぇも大変だな。なんなら早めに引けても良いぜ。・・・四郎、お前ぇもだ。
>四:おいらんとこも田舎もんですから、お産自体には心配してないんです。むしろ、気になるのは名前の方でしょうかね。良い名前が浮かばなくって。
>八:権兵衛(ごんべえ)とか田吾作(たごさく)とかじゃどうだ?
>四:近所にはそういうのしかいなかったから、困ってるんじゃないですか。およねのところにしたってそうですよ。
>熊:大女将(おおおかみ)さんにでも付けて貰っちゃどうだ?
>八:おお、そりゃあ良い。静(しずか)嬢ちゃんみたいな可憐(かれん)な名前を付けて呉れるぞ。
>四:男でもですか? そりゃあ困りますね。
>八:慶二ってのは男らしい名前だぞ。そんなら文句はねえだろ?
>四:はあ。そうですね。
>源:あんまりお勧めはできねえな。一生涯恩を売り付けられそうだ。何が慶長小判二枚だ。商人じゃねえんだぞこちとら。
>熊:そんなら、棟梁にでも名付け親になってもらっちゃどうだ? それなら角も立たねえだろ。
>四:頼んでみていただけますか、親方?

>源:まあ良いが、引き受けるかどうかは別だぞ?
>熊:どうしてですか? 大概の人は喜んで引き受ける話でしょう?
>源:それがな、変なことを聞き付けてきちまってな。
>五六:どんなことでやすか?
>源:甚兵衛の父つぁんなんだ。
>八:うちの大家の爺さんがどうしたってんです? また縁組みの話ですかい? それも、おいらの?
>源:そんな筈あるか。・・・昔、甚兵衛さんが名付け親を頼まれたことがあってな。そのとき思い付きで付けた「金吾」っていう大工がいたんだけどよ。その途端その父親に運が巡ってきちまって、御用の仕事が回ってくるわ弟子は増えるわで、とんとん拍子押しも押されもしねえ立派な棟梁になっちまったのよ。
>八:凄えじゃねえですか。あの爺さんも捨てたもんじゃねえですね。
>五六:でも、ほんとにその名前のせいなんですか?
>源:少なくとも、その棟梁と女将さんはそうだって信じてる。
>五六:そういうことなら、ほんとなんでやしょうね。
>源:ところが後が悪い。名付け親の話が来るたんびに「金」とか「吾」とかを矢鱈(やたら)付けやがるのさ。頼んじまった方も、後からじゃ断れねえだろう? 好い迷惑だよな、まったく。
>四:それで、その後の人たちにはご利益(りやく)はなかったんですか?
>源:さっぱりさ。
>四:そんなことがあったんですか。
>源:いまでも時々その棟梁の口利きとかで訪ねてくる奴がいるらしいが、相も変わらず似たような名前を付けてるそうだ。
>八:懲りないねえ、大家の爺いも。
>源:まあそんな訳だ。
>四:まあ良いです。棟梁に断られたら、親方か姐(あね)さんが付けてください。そういうことなら、およねだって喜びますから。

その日の夕方、五六蔵と四郎が飛んで帰った後に残された4人は、例によって「だるま」に座り込んで、どんな名前が良いかという話をしていた。
そこへ半次がやってきて、合流してきた。

>半:松つぁんが飲みに付き合って呉れねえもんで、寂しくってよ。混ぜて貰っても良いだろ?
>熊:こっちも溢(あぶ)れもんだからな。
>八:なあ、松つぁんのとこはいつ頃生まれそうだって?
>半:もういつ生まれたって不思議はねえとよ。母ちゃんの話だと初産(ういざん)だから、4・5日は遅れるだろうってことだ。・・・でも、血筋かね。至極(しごく)順調だから心配はないだろうとよ。まるで、自分の孫かなんかみてえだぜ。
>熊:もう直ぐか。長屋も賑(にぎ)やかになるな。
>八:お咲坊から「あたしも稚児が欲しい」なんて言われたらどうする、熊?
>熊:な、何を言い出すかと思えば。止しやがれってんだ。
>八:まあそんなに怒るなよ。羨(うらや)ましいって思ってるんだからよ。
>半:ほう。八つぁんにしちゃ、珍しく神妙(しんみょう)じゃねえかよ。
>八:放っとけ。おいらだって心配なんだからよ。・・・四郎が片付き、五六蔵が片付き、この上三吉に先立たれたらおいら・・・
>三:先立つなんて言葉使わないでくださいよ、縁起でもねえ
>半:あっはっは。面白(おもしれ)えな、八公はよ。・・・そんで、なんの話をしてたんだ?

>熊:五六蔵と四郎のとこは稚児にどんな名前を付けるのかなってことさ。
>半:「幸せのお裾分け」ってとこか?
>八:なんだ、そりゃ?
>熊:似合わねえな、半次にはよ。
>半:放っとけ。俺だってな、嫁と暮らしてりゃちょっとは気の利いたことを言うようになるんだぜ。
>三:へえ、お裾分けねえ。洒落(しゃれ)たことを言うもんですね。そんでもって、ほんとにお裾分けをいただけると良いですよね。
>八:縁組みの話とかか?
>三:そうですよ。稚児を授(さず)かる前に、先ずそっちをなんとかしなきゃならならないでしょう?
>八:手前ぇ、やっぱりおいらより先になんとかしようと考えてやがるな?
>三:良いじゃないですか。これについちゃ、年の順じゃないですからね。負けませんよ。
>八:おう、良く言った。受けて立とうじゃねえか。こう見えても、おいらのことを憎からず思ってる町娘なんざ、掃いて捨てるほどいるんだからな。
>熊:また始まりやがった。
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