216.【し】 『獅子身中(しんちゅう)の虫(むし)』 (2004/01/26)
『獅子身中の虫』
1.獅子の体内にいる虫が、その寄生している獅子の肉を食って、終(つい)には倒してしまうということ。
2.仏徒でありながら仏教に害を為す者のこと。転じて、味方でありながら内部から禍(わざわい)を齎(もたら)すこと。恩を受けた者に仇(あだ)で報いること。
類:●人は近親によってのみ裏切られる
出典:「梵網経−下」・「仁王経−嘱第八」 「如師子身中蟲、自食師子肉」
出典@:
梵網経(ぼんもうきょう) 経典。2巻。鳩摩羅什(くまらじゅう)の漢訳と伝えられる。特に下巻は大乗菩薩戒の根本聖典で、菩薩戒としては下巻だけを用い、直接戒を説く部分は戒本とされる。
出典A:仁王般若経(にんのうはんにゃきょう) 大乗仏教の経典。2巻。後秦の鳩摩羅什訳の「仁王般若波羅蜜経」と唐の不空訳の「仁王護国般若波羅蜜多経」とがある。この経を受持することによって、災害を祓い、福を齎すと信じられ、法華経・金光明経とともに護国三部経として尊ばれた。「仁王経」。
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八兵衛は、友助を「一黒屋」に斡旋(あっせん)するという計画を諦(あきら)めてはいなかった。
源五郎と友助が見回りに来たとき、2人にしつこく食い下がった。

>八:ねえ親方ぁ、試(ため)しに話だけでもしてみません?
>源:駄目だ。一旦引き受けたからには、そんな
好い加減なことはできねえ。
>八:それはそうでしょうが、元々銭勘定で食ってた人なんだから、そっちの方が合ってる筈でしょう?
>源:そりゃあなんだ、この年からじゃ大工仕事は無理だってことか?
>八:そ、そんなことを言ってる訳じゃねえですよ。大変だとは思いやすが。
>源:言ってるじゃねえか。・・・少しは腕に覚えがあるそうだし、あながち捨てたもんじゃねえかも知れねえぞ。
>八:幾ら覚えがあるったって、素人(しろうと)と玄人(くろうと)じゃ、まったく違いまさあ。・・・なあ、三吉?
>三:へ? そいつは、おいらがまだまだ
半人前だってことですかい?
>八:そうだよ。その通りじゃねえか。
>三:そいつはあんまりだ。
>源:玄人ったって、八だって熊だって、まだまだ一人前とは呼べねえんだ。そういう意味じゃ、騒ぐほどのことでもねえだろ。
>八:そりゃあねえですよ、親方。・・・まあ、そこんとこはこれ以上言ったって埒も明きませんから、ちょいと、ご当人の友助さんの考えってやつも聞いてみましょうよ。

>源:そうか? まあ良かろう。・・・どうなんだ、友助。
>友:両替商という仕事柄、お店(たな)への職替わりは、あんまり好ましいことではないんです。
>源:
ほれ見ろ
>友:唯(ただ)・・・
>八:唯、なんなんだい?
>友:私がおりました「両毛屋」はちょっと特別でして、呉服ものに関わるお店(たな)とは一切(いっさい)お付き合いをしていないのです。
>八:そんなことってあるんか?
>友:以前、お預かりしてる金銭を増やそうとして、綿(わた)相場に手を出したことがあるのですが、悉(ことごと)く裏目に出て、危うく潰(つぶ)れるところだったのだそうです。
>八:よっぽど勘が悪いか、然(さ)もなきゃ、騙(だま)され易いんだな、両毛屋ってのは。
>友:それが、やらかしたの旦那様ではなかったのです。
>八:そんじゃあ、誰だってんだい? 半端なもんじゃ、銭も自由にならねえだろ?
>友:はあ、そうです。懐刀(ふところがたな)の第2番頭さんだったのです。あのときは旦那様も流石(さすが)に気落ちしていらっしゃいました。
>八:へえ。そんなことがあったのかい。・・・ってことはだ、呉服問屋の「一黒屋」ならなんの問題もねえってことだよな?
>友:それはまあ、そうではありますが、やっぱり・・・
>八:嫌なのかい?
>友:ええ。もう、銭金の勘定には疲れました。毎日百とか阡(せん)とかという数ばかり見ていて、山と詰まれた金や銀が目の前を動いているのに、なんの感慨も湧かないなんて、人じゃありません。
>八:へえ。そういうもんかね。おいらには全然ぴんと来ねえけどな。

>源:もう分かっただろう、八? 往生際を良くしろ。
>八:あーあ、おいらの鯛や平目(ひらめ)も水の泡か。とほほ。
>友:ちょっと待ってください。あの、私は「一黒屋」さんへ参ります。
>八:だって、さっき銭勘定は嫌だって・・・
>友:ええ。私は無理ですが、私の子飼いの者が、もしかするとお役に立てるかも知れません。年は30半ばです。
>八:ほんとか? やったぁ。・・・ねえ親方、そういうことなら良いでしょう?
>源:友助がそうしたいって言うんならな。・・・本当にそれで良いんだな?
>友:はい。こちらとしても、その方が助かります。実は、そいつも「早々に働き先を探せ」と言われているのです。
>源:馘(くび)ってことか?
>友:はい。そういうことです。私と一緒です。
>八:はーあ、世知辛い世の中だね、まったくよ。

三吉も含めて、4人で「一黒屋」へ向かった。
昼時が近いせいか、店内には客が6人しかいなかった。これなら、主(あるじ)の与志兵衛とも話ができそうだった。

>八:ご隠居さん、こんな形(なり)で申し訳ないんだが、入れて貰っても良いかい?
>与志:おお、これは八つぁん。それに、源五郎親方まで。これは嬉しいお客だ。さ、どうぞどうぞ。
>八:大繁盛みたいでやすね。
>与志:目が回るようですよ。息抜きもしたいんですがね。それに、何よりも、大勢の友達を集めて美味しいものを食べたいんですけど、こんな具合いじゃね。
>八:そうでやしょう? そこでだ、この八兵衛が、ご隠居さんのお役に立てねえかと、やってきたってことでやすよ。
>与志:ほう、どういう良い話を持ってきてくだすったのかな?
>八:こっちにいるのは、今日っからうちで働くことになった友助っていうもんなんでやすがね、昨日まで何をしてたと思います?
>与志:はて? 内職仕事ですかな?
>八:どこに目を付けてるんですか。手を見てくださいよ。算盤胼胝(そろばんだこ)があるじゃないですか。
>友:友助と申します。「両毛屋」で手代をしておりました。
>与志:ええ? あの大店の「両毛屋」さんでですか? それはそれは。・・・それがなんで大工になど? 見たところ、源五郎親方とそう違わないお年とお見受けしますが。
>友:辞めさせられたのです。
>与志:それは、なんでまた・・・

>友:ご存知ないかも知れませんが、「両毛屋」は今、左前なのです。
>与志:なんですと? た、確かに、以前そんな噂が出たこともありましたが・・・
>源:友助よ。お前ぇ、そんなことを話しちまっても良いのか?
>友:良いのです。もう、すぐにも知れ渡ることです。私より先に辞めさせられた者が、そう息巻いて去っていきましたから。
>源:お前ぇのときみてえに、穏便(おんびん)に済ませときゃ良かったのにな。
>友:自分の倅(せがれ)でしたから、分かって呉れるものと信じていたようです。
>源:なんだと? 手前ぇの倅を真っ先に辞めさせちまったのか?
>友:私らへの配慮だったのでしょう。
>源:しかしな、信用商売だろう、両替商ってのはよ? 困るんじゃねえのか?
>友:困るでしょうね。でも、株を手放さなければ店を畳むことはありません。・・・何人かを辞めさせれば、2年後くらいには立て直せそうなのです。
>源:2年も持つのか?
>友:持たせるのです。私や、数次(かずじ)が、陰ながら支えるのです。
>八:だがよ、それを邪魔しようってのが当の旦那の倅だってのも、皮肉なもんだな。

>源:その数次ってのが、さっき言ってたお前ぇが「一黒屋」さんに勧めちゃどうかって言ってた奴だな?
>友:はい。私より威勢が良いですから、きっと一黒屋さんのお気に召すと思います。
>与志:成る程。お話はようく分かりました。お会いしましょう。・・・但し、うちに来て呉れるとなりましたら、「両毛屋」さんへ戻ることはできませんよ。
>友:戻るなど、最初から考えてはおりません。私も、源五郎親方の下で、勤め上げるつもりです。
>与志:宜(よろ)しい。友助さんの心意気に感じ入りました。その数次という人を、なるべく早く連れてきてください。
>友:それでは、お客が少なそうな刻限ということで、明日の昼頃という・・・
>与志:いいえ、顔見せではありません。働いていただくことに決めました。
>友:しかし・・・
>与志:源五郎親方が後見(うしろみ)になるというのでしたらということですが、親方はそれで宜しいですね?
>源:あ、あっしがでやすか? ま、まあ、請(う)けるしかね絵でしょうね、弟子のそのまた弟子なんでやすから。
>与志:では決まりですね。数次さんを、今日の夕方お連れください。後見の源五郎親方と、五六蔵さんや熊さんもお連れくださいね。
>八:おいらも良いんですよね?
>与志:当たり前じゃありませんか。八つぁんの腹踊りが見られるかと思うと、夜が待ち遠しくて仕方がありませんよ。
>八:そうこなくっちゃ。
>源:ですが、目が回るほど忙しいんじゃねえんですかい?
>与志:なあに。お楽しみが待っているとなれば、忙しさなど逆に活力の元になります。はっはっは。

傍(かたわ)らで聞いているだけだった三吉は、与志兵衛の笑顔を見て、我知らず「凄(すげ)え」と呟いていた。
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