第20章「入り婿竜之介の願望(仮題)」

177.【け】 『鶏鳴狗盗(けいめいくとう)』
 
(2003/04/21)
『鶏鳴狗盗』
1.鶏の鳴き真似をして人を騙(だま)したり、犬のように物を盗んだりする、卑(いや)しい者どものこと。
2.
史記」の故事から、どんな下らない技能でも、役に立つことがあるということ。
故事:史記−孟嘗君伝」 秦の昭王に捕えられた斉の孟嘗君が、既に王に献じてあった狐のかわごろもを狗(いぬ)の真似をする食客に盗み出させて、王の寵姫に贈り、その取り成しで釈放され、逃れて夜半に函谷関に来たが、そこには鶏鳴までは開門しない掟があったので、鶏の鳴き真似が上手な食客に鳴き声を出させ、群鶏をそれに和させるようにして開門させて脱出することができた。
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雛人形を飾ったときの静(しずか)の喜びように味を占めて、源蔵は、源太のために武者人形を飾るのだといって大張り切りである。
生まれて半年の幼児に節句の何たるかなど分かる道理がないじゃないかという、源五郎の言葉もどこ吹く風である。

>棟:この前静のを作らせた浅草茅町(かやまち)の人形屋はよ、「菖蒲人形」ってのも作ってるらしいんだ。
>源:半紙かなんかで兜(かぶと)でも作ってやりゃあ十分だろ?
>棟:何を言ってやがる。大事な跡取りのためだってのに、紙なんかで作らせられるかってんだ。特別でっかいのを誂(あつら)えさせてやるよ。
>源:年に1回しか使いもしねえ人形なんかに、余計な銭なんか使うなってんだ。
>棟:年に1回だなんて誰が決めたんだ? 年中飾っときゃ良いじゃねえか。雛人形と違って、節句を過ぎて飾っとくと嫁の貰い手がなくなるって訳でもあるめえ。
>源:それはそうとしても、飾りっ放しってのはどうかと思うぜ。そういうのをこれ見よがしって言うんじゃねえのか?
>棟:言いたいやつには言わせときゃ良いのよ。要は源太が強く逞(たくま)しくなって呉れりゃそれで良い。そうじゃねえか?
>源:だからよ、紙の兜だって十分にご利益(りやく)があると思うって言ってるんだ。
>棟:自分だって、厄落としに法外な銭を使ったじゃねえか。それに比べりゃ安いもんだ。
>源:あれはあれだろう。菖蒲人形とは違うって。
>棟:どこが違うって言うんだ? 俺にとっちゃひとっつも変わりゃしねえ。
>源:・・・あやのやつはなんとか言ってるのか?
>棟:「まあ素敵」だとよ。お前ぇなんかよりずっと物分かりが良いな。まったくお前ぇには勿体ねえくらい良くできた嫁だ。
>源:どうせ俺は不肖(ふしょう)の倅(せがれ)だよ。

父親の頑固さを十分了解している源五郎は、それ以上何を言っても無駄だと悟り、「勝手にしろ」と捨て台詞を吐いて自室に引っ込んだ。

>源:親父のやつ、身も心も爺さんに成り下がりやがったな。
>あや:良いじゃありませんか。目に入れても痛くないくらいに思ってくださるんですもの。有り難いことですよ。
>源:お前ぇは暢気(のんき)で良いよな。世の中にゃ、食うや食わずってもんだって、ごまんといるんだぜ。それをでっかい人形だ? どうかしてるぜ。
>あや:誰かが人形を買えば人形職人が儲(もう)かり、潤(うるお)った職人さんは食べ物や小間物を買うようになります。そうやってお金が回っていけば、世の中全部が巧くいくようになるんじゃありませんか?
>源:なんだよ、お前ぇ。まるで太市の旦那みてえなことを言うじゃねえか。
>あや:八兵衛さんの受け売りです。
>源:「八兵衛の」じゃなくって、「八兵衛が講釈する与太話(よたばなし)の」だろ?
>あや:そうも言いますわね。
>源:まあ、そういうことにしとくか。ちっとは気も休まるってもんだ。・・・さて、仕事に行ってくるとするか。

作業場には、四郎が一番乗りしていた。

>源:おう、四郎。今日は随分早いな。
>四:はい。あの、およねから言われたんですが、銚子さんのところに稚児(やや)が生まれなすったってことなんで、一応ご報告しておこうと思いまして。
>源:おう、そうかい。そいつは目出度(めでて)えな。昨日かい?
>四:ええ。夜半に。男の子だそうです。
>源:そうかい。そりゃあ益々以って目出度え。これで、市毛道場も安泰だな。
>四:およねのやつ、昨夜(ゆうべ)から付きっ切りだってのに、今朝方飯炊きに帰ってきてから、蜻蛉返りで出掛けていきました。
>源:そりゃあ大変だな。今晩帰ってきたら、十分に労(いた)わってやれよ。
>四:はい、そうします。あの、それでですね・・・
>源:どうした?
>四:こんなこと親方に話す筋合いのことじゃないんですけど、およねがあんまり心配するもんで・・・
>源:どうかしたのか?
>四:稚児の名前のことで揉(も)めてるそうなんです。竜之介さんは「臥竜(がりょう)」にするんだって言い張る。一方、聡(さと)さんはそんな難しい名前では稚児の重荷になるって、断固(だんこ)認めようとしないそうなんです。
>源:その「臥竜」ってのには、なんか意味があるのか?
>四:なんでも、昔の偉い軍師の渾名(あだな)だってことです。天に昇る日を待って地面に身を横たえている竜のことなんですって。詳しいことはおいらには分かりませんが。
>源:へえ。そりゃあ凄(すげ)えな。・・・でも、聡さんの言い分も尤(もっと)もだ。あんまり難しい名前なんか持つと、親の期待の大きさに我慢できなくなっちまうのもいる。
>四:名前負けってやつですね。・・・およねは、竜之介さんに恩義を感じてるから、その名前を付けさせてやりたいって言ってるんですが、どうしたもんでしょうか?
>源:あんまり立ち入らない方が良いんじゃねえのか? 町人があんまりお武家様の家庭の内情に口を出さない方が良いぞ。
>四:そうですよねえ。およねには、あんまり出しゃばるなって言っておきます。

その場は、そういうことで収まったかに思えた。
が、昼時分になって、およねが現場にやってきた。市毛大路郎から頼まれて、熊五郎と八兵衛を呼びにきたというのである。

>八:おい四郎、どういうことだ?
>四:竜之介さんのところで男の稚児が生まれなすったそうなんですが、その名前をどうしようかってことで、聡さんと揉めてて、一向に埒(らち)が明きそうにないんだそうです。
>八:そういうことなら、この八兵衛さんなら打って付けよ。どれ、熊なんか連れてくことはねえ。さ、行こうかおよねちゃん。
>よね:待っと呉んなせえ。大旦那さんはお2人ども呼んできてくろって言ってただよ。
>八:そうか? ・・・なんだよ。1人だけなら余計にお八つが食えるかと思ったんだがな。
>四:そういう魂胆ですか?
>八:いや、ちゃ、ちゃんと、名前のことが済んでから食うってことよ。要は、話が付きゃ良いんだろ?
>四:おいらは、熊兄いにも付いてって貰った方が良いと思いますが。
>八:まあ、そうまで言われちゃ、おいらが断る理由はねえがよ。・・・そんなことより、なんでおいらたちなんだ?

およねに代わって、四郎が経緯(いきさつ)を説明した。

>熊:「臥竜」ねえ・・・。そいつはまた、ご大層な名前だな。
>八:そうか? 「ちょうしがりょう」だろ? 名前らしくは聞こえねえが、そんなの慣れりゃどうということもねえんじゃねえの?
>四:慣れたってご本人は有り難くないと思うんですが・・・
>八:ま、どう思うかは、なんにも分からねえ稚児じゃなくって、竜ちゃんと聡ちゃんだからよ。・・・それで、およねちゃん、おいらたち2人は何をすりゃ良いんだい?
>よね:おらは唯の使いだがら・・・
>四:きっと、お2人でなきゃ解決できないって思ったんでしょう。
>五六:どういうことだ? おい、三吉。お前ぇ、分かるか?
>三:いいえ。逆に話を拗(こじ)れさせちゃうような気さえしますよ。
>源:糞真面目の熊でも、人より余計に諺(ことわざ)とか故事を知ってるってことで使えそうだし、お調子もんの八でも、調停役の内房のご隠居に顔が通ってるってことで使える。そういうことだ。
>八:ですが親方。おいらは当然役に立ちやすが、熊なんか連れてったって糞の役にも立たたねえんじゃねえでえすかい?
>熊:舐(な)めるなよ。こう見えても、「臥竜」がなんなのかだって知ってるんだからな。
>八:ほう、面白(おもしれ)え。聞いてやるから、今ここで能書きを垂れてみやがれ。
>熊:唐(から)の国の昔の人で、
諸葛孔明っていう、蜀(しょく)ってとこの軍師だった人をそう呼ぶんだよ。
>八:なんだと? こっちがなんにも分からねえと思って、口から出任せばっかり言ってんじゃねえぞ。
>熊:嘘だと思うんだったら、竜之介さんにでも鹿之助にでも磯次郎にでも、聞いてきてみろってんだ。
>八:なあ、ほんとなのか? ・・・ほんとだと思いやすか、親方?
>源:およねちゃんが聞いてきた話も、そんなような内容だった。そうだよな、四郎。
>四:その通りで。・・・こりゃあ、魂消(たまげ)た。
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