129.【か】 『枯(か)れ木(き)に花(はな)』 (2002/05/20)
『枯れ木に花』
1.枯れた筈の木に花が咲くということで、衰え果てていた筈のものが、再び栄える時を迎えること。
2.
望んでも不可能なこと。転じて、本来、不可能と思われることが不思議な力によって実現すること。
3.実際とは違った嘘や作り事を話して、もっともらしく他人を騙すこと。
類:●炒(い)り豆に花[が咲く]死灰復(また)燃ゆ老い木に花

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柳町の現場は昼食前に方(かた)が付いてしまった。
昼飯をゆっくり取って、木っ端(こっぱ)を片付けたりするにしても、8つ半(15時頃)には済んでしまう。

>八:ねえ親方、一黒屋さんで五六蔵がどんな風にしてるのか見に行ってみたいんですが、良いですよね?
>源:ああ。俺も行っておきたかったところだ。
>八:え? 親方も行くんですかい?
>源:なんだ、不都合なことでもあるのか?
>八:いえ、別に何も・・・
>熊:ははあ、お前ぇ。
>八:な、なんだよ。
>熊:真っ昼間っから酒を出されて風呂まで貰ってきたっていう、棟梁に肖(あやか)れるかも知らねえなんて、皮算用(かわざんよう)してやがるんだろう。
>八:な、なんで分かった?
>熊:お前ねえ、もう少し惚(とぼ)けてみちゃあどうなんだ?
>八:あ、そうか。ついつい。根が正直なもんだからな。
>源:どうでも良いが、一番の用事は五六蔵の様子を見てくるってことだからな。そこのところを弁(わきま)えておけよ。
>八:流石(さすが)親方、話が分かる
>源:煽(おだ)てたってなんにも出ねえぞ。
>八:良いですよ。どうせ出して貰うんだったら、お大尽(だいじん)様のところから山海の珍味やら菊の水やらを出して貰いますから。

八兵衛は、昼間から酒を飲めるものと信じ切っていた。
顔にこそ出さなかったが、三吉と四郎も、密かに期待を掛けていた。

>三:ねえ親方、一黒屋のご隠居さんって、どんなお人なんですか?
>源:さあな。俺はそういう方にはあんまり詳(くわ)しくねえからな。・・・ただ、親父(おやじ)の話だと、呉服屋の仲間内じゃあ評判は悪くねえみてえだな。
>三:阿漕(あこぎ)なことはやってねえってことですね?
>四:阿漕どころか、正義の味方みたいだってことですよ。
>八:真逆(まさか)、越後の縮緬(ちりめん)問屋の隠居とかいって、悪者を懲(こ)らしめながら、全国を行脚(あんぎゃ)するんじゃねえだろうな?
>四:おや、八兄い良く知ってますね。
>八:冗談だろ? 黄門
じゃあるまいし。
>四:実際、少なからず黄門様に気触(かぶ)れているらしいですよ。
>熊:ははあ。なんだか少しずつ見えてきたぞ。
>八:何がだ?
>熊:本当のところはよ、欲しいのは「倅(せがれ)」じゃなくって、「供(とも)の者」かも知れねえってことだ。
>八:お供って、お前ぇ、助さん角さんか?
>三:渥美五六之進ってとこですかい?
>八:それじゃあよ、もしかすると、もう1人欲しがってるかも知れねえな? 佐々木八三郎かなんかをよ。
>熊:お前ぇは止(や)めとけ。
>八:なんでだ? 面白(おもしろ)そうじゃねえかよ。
>熊:お前ぇ、ちゃんちゃんばらばらになったらどうするんだ? 真っ先にお陀仏になるのが目に見えてるじゃねえか。
>八:おいおい脅かすなよ。そんなんだったら、おいら、きっぱりとお断り申し上げるぜ。
>三:ご馳走(ちそう)と引き換えでもですかい?
>八:うーん。難しいところだな。
>熊:どこが難しいだと? お前ぇ、食い物の方が命より大事なのか?
>八:さあ、物にも拠(よ)るかな?
>熊:呆(あき)れ果てたね。呆れ過ぎて、呆れが宙返りするぜ。「死んで花実が咲くものか」ってんだ、覚えときやがれ。

程なく、一行は一黒屋の隠居所に到着した。
五六蔵が何やら大立ち回りの講釈を打(ぶ)っており、それを聞きながらにこにこ笑っている白髪の男がいる。誰がどう見ても「善人」以外の何者でもない。

>三:あの、勝手に寄らせて貰いやしたが。
>五六:おお。三吉じゃねえか。柳町はもう片付いたのかい?
>三:兄貴、何を暢気(のんき)に構えてるんですか。親方や兄いたちも来てるんですぜ。
>五六:お、親方もか?
>与志:皆さんお揃(そろ)いで? おお、これはこれは。ささ、こちらへどうぞ、お上がりくださいまし。

座には、煮た貝と焼いた魚が並んでいた。2人ではとても食べ切れる量ではない。

>八:他にお客さんの予定でもあるんでやすか?
>与志:そういう訳じゃないんですよ。ここは「来る者は拒まず」の隠居所ですから、入れ替わり立ち代わり顔を見せては、世間話をしていくんです。目の前に何か並んでいないと殺風景(さっぷうけい)ですから。
>八:はあ、来るか来ねえか分からねえのに、いつも何かを並べてるんですか?
>与志:今日は格別ですけどね。なんせ、五六蔵さんがいて、もしかすると、源五郎さんや皆さんが来るかも知れないですからね。・・・もしかするとそろそろ来るかなって思ってたところです。
>八:するってえと、おいらたちのために用意して貰ったって受け取っても良い訳ですよね?
>与志:そうですとも、勿論。ささ、箸(はし)をお付けください。
>八:咽喉(のど)を湿(しめ)らすものもありやすか?
>熊:こら、八。端たねえぞ。
>八:だってよ、五六蔵にばかし好い思いをさせとくのは癪(しゃく)じゃねえか。
>与志:良いんですよ。幾らでもありますから、どうか、遠慮なさらずに言ってください。・・・おーい、ちょいと燗(かん)を付けちゃ呉れないかね?

奥の方から「はあい」という、女の声が聞こえてきた。
やがて、盆に銚子を乗せて現われた女は、手際(てぎわ)良く酒を注(つ)ぎ、器用な手付きで焼き魚をひょいとひっくり返した。

>八:あの、お内儀(かみ)さんでやすか?
>与志:いえいえ。これは、「さち」と申しまして、すぐ裏手で料理茶屋を営(いとな)んでおります。
>さち:さちでございます。お客様がたくさんいると、俄然(がぜん)張り切っちゃいますよ。
>八:その茶屋の女将(おかみ)さんがどうしてこんなとこで油を売ってるんでやすか?
>与志:そういう訳じゃあないんですよ。言ってみれば、ここはその茶屋の奥の間みたいなものなんですよ。
>八:それじゃあ、お足(あし)を払わなくちゃならねえんですかい? それじゃあ・・・
>与志:そんなことはありませんから、ご安心ください。孟嘗君
(もうしょうくん)ではありませんが食客(しょっかく)をたくさん持てるということは幸いです。
>八:蝸牛(かたつむり)の触角(しょっかく)みてえなもんですか? おいらは2本も持ってりゃ十分だと思いやすが。

今度ばかりは、熊五郎にも四郎にも分からない話だった。
与志兵衛1人が、子供のように笑い転げていた。

>源:あの、一黒屋さん。五六蔵を倅に迎えてえとかって話でやすが・・・
>与志:ええ、そう願っていたんですが、五六蔵さんに断られてしまいました。
>源:それじゃあ、この話は引っ込めていただけるんでやすね?
>与志:仕方ありません。嫌だというものを無理矢理にというのは、私の生き様(よう)に反しますからね。
>源:そうでやすか。これで一安心いたしやした。
>与志:なんでしたら、源五郎親方が私の倅になってくだすっても良いんですけれど。
>源:ご、ご冗談も休み休み言ってくださいよ。
>与志:そうでしたね、揄(からか)ってはいけませんね。ささ、飲んでください。お騒がせしたお詫(わ)びです。

>八:ねえ、ご隠居さん。
>与志:なんですか? ええと・・・
>八:八兵衛です。・・・ご隠居さんっていう割りには、まだまだ若いですよね。
>与志:そんなことはありませんよ。来年にはもう赤いちゃんちゃんこを着なきゃなりません。
>熊:ってことは、還暦(かんれき)でやすね? 60と1歳ってことだ。
>八:そうは見えねえですよ。・・・どうです、倅が欲しいってんなら、いっそのことご自分でもう一頑張りしてみるってのは?
>与志:何を言い出すかと思えば、八兵衛さん、そんなことはとてもとても。
>八:何を仰(おっしゃ)います。聞くところに因れば、神君(しんくん)家康公が水戸様を授かったのだって60歳だったそうじゃありませんか、まだまだどうしてどうして。
>与志:八兵衛さん、長年連れ添った愚妻に先立たれまして、頑張ろうにも頑張れないことですよ。
>八:あれ? だってさっきの人、あれでしょ? 「大商人は色を好む」っていう。
>熊:だから、「英雄」だっての。
>与志:先ほどから違うって言ってるではありませんか。あれは、以前私の元でお店(たな)を大きくするのに尽くして呉れていた者です。身を粉(こ)にして働いて、良く我慢(がまん)(して呉れました。
>八:そんなら、気心(きごころ)も知れてるんじゃねえですか。
>与志:それはそうではあるんですけど・・・。なんですよ、まあ、気持ちが萎(な)えているといいますか、そんなようなものです。一度枯れてしまった木には、もう花は咲かんのです。
>八:そうですか? なんだかそれじゃあ寂しいでやすね。・・・いえね、ちょいと小耳に挟んだ話なんでやすがね、何とかいう薬種問屋で、回春(かいしゅん)の薬ができたとか言ってやしたぜ。名前は、ええと・・・
>四:「倍櫓(ばいやぐら)」とかって言ってました。
>熊:お前ぇ、そんな話どっから仕入れて来るんだ? まったく以って、解(げ)せねえな。
つづく
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お詫び: 時代考証を誤っています。
講談『水戸黄門漫遊記』(講談師:玉田玉知)が、「水戸黄門仁徳録」などを元にして作られたのは明治以降だそうです。安積澹泊(あさかたんぱく)佐々十竹(ささじっちく)らの学者に「格さん」「助さん」という名前を充てたのもその頃だと言われています。
人物:水戸光圀(みとみつくに) 江戸初期水戸藩2代藩主。頼房の三男。寛永5年(1628)〜元禄13年(1700)。幼名千代松。名は徳亮、光圀、字は子竜。号は日新斎、梅里など。藩制創業を継ぎ、「大日本史」の編纂、勧農政策、藩士の規律・士風の高揚に努めた。兄の子を嗣子として家督を譲った。後世講談師により「水戸黄門漫遊記」が作られた。(上1へ戻る

本文の参考・人物:孟嘗君(もうしょうくん) 中国、戦国時代の斉の王族。斉・魏・秦の宰相となった。?〜前279頃。姓は田(でん)、名は文(ぶん)。各地の有為の士を食客として数千人も養い、勢力を振るった。楚の春申君、趙の平原君、魏の信陵君とともに戦国末の四君の一人。(上2へ戻る