163.【く】 『国破(やぶ)れて山河(さんが)あり』 (2003/01/14)
『国破れて山河あり』
戦乱のために、国は滅びて元の姿はなくなってしまったが、山や川だけは昔のままの姿を残しているということ。
出典:杜甫の「春望詩」
人物:
杜甫(とほ) 中国盛唐の詩人。712〜770。字は子美。少陵と号し、工部、老杜などと呼ばれる。若い頃、科挙に落第し各地を放浪し、李白らと親交を結ぶ。40歳を過ぎて仕官したが、左遷されたため官を捨て、以後家族を連れて甘粛・四川を放浪し、湖南で病没。安禄山の乱に遇って幽閉されるなど波乱の生涯を送った。「兵車行」「北征」「秋興」など多くの名作を残す。その詩風は写実的で力強く、沈痛の風趣があり、日本でも西行や芭蕉などが尊び愛唱した。後世、『詩聖』と呼ばれ、李白と共に李杜と並称される。詩文集に「杜工部集」。
*********

数日後、両替商と札差に出されていた「借金棒引き」の御触れは撤回された。
そのうち、もっと穏やかな改革の手立てが、考え出されるのであろう。

>鴨:なんだか知らねえが、塩十の爺さん、また隠居しちまったらしいな。
>八:でっかいたん瘤(こぶ)かなんか拵(こしら)えてなかったか?
>鴨:なんだそりゃ? 隠居するのとたん瘤は関係ねえだろう。
>八:それが大有りなのさ。
>熊:八、滅多なことを言い出すんじゃねえぞ。
>八:なんでだよ。良いじゃねえか。
>鴨:お前ぇ、真逆(まさか)ほんとにぶん殴りに行ったんじゃねえだろうな?
>八:その真逆よ。「ぐえっ」って言いやがったぜ。
>鴨:お前ねえ、そんな危なっかしいことをよくもまあ。・・・しかし、いつの間にそんなことしやがったんだ?
>八:内房のご隠居はな、とんでもねえせっかち者(もん)なんだよ。こうと思ったらとんとんとんよ。
>鴨:熊よ、いったいどんなことになったんだ?
>熊:斉(なり)ちゃんが、現れて・・・
>鴨:なに? 上様まで呼んじまったのか?
>八:出てきちまったんだよ。お茶目が過ぎるってんだよ、なあ?
>熊:まったくだ。
>鴨:お前ぇら、ちょいと馴れ馴れし過ぎやしねえか? 畏れ多くも畏(かしこ)くも、上様なんだぞ?
>熊:でもなあ、あれじゃあな。軽いってえのか、調子が好いってえのか・・・
>八:放蕩を止(や)めるとかなんとか言ってたがよ、無理だな。
>鴨:だかよ、本人が止めるって言ってるんだろ? それを口にしたってことが凄いことなんじゃねえのか?
>熊:まあ、そういう見方もできるがな。・・・まあ、役人のお前ぇからすりゃあ、奇跡が起こったのと同じようなもんだな。

>鴨:それで? 竹上さんのことはどう片付いたんだ?
>熊:太市の旦那と、塩十爺さんの後釜と3人で、策を練り直すようにってことになったようだ。
>鴨:三つ巴にならなきゃ良いがな?
>八:三竦(すく)みになっちまうかも知れねえな。
>熊:けどよ、上からの命令とあっちゃ、睨み合ってばかりもいられねえだろ? どうにかなるさ。
>鴨:ま、なんにせよ、万遍なく救われるようにして貰いてえもんだ。
>八:太市の旦那がいりゃあ大丈夫よ。そりゃあ立派なお人だからな。
>鴨:初めは小馬鹿にしていた癖に。
>八:おいらがか? 冗談も大概(たいがい)にしと呉れよ。おいら、端(はな)っからあのお人はどっか違うって見抜いてたんだぜ。きっとご立派な策を考えてくださるさ。
>鴨:まあ良いや。精々期待しておこう。

6つ半(19時頃)になり、お夏が縄暖簾(なわのれん)を潜(くぐ)って入ってきた。

>夏:やっぱりいたわ。ねえ、八兵衛さん、女の人が会いに来てるわよ。
>八:なに? おいらにか?
>夏:美人よ。
>八:そうか、おいらも捨てたもんじゃねえな。入って貰っとくれ。
>夏:良いの? 「呼んで呉りゃれ」って言ってたわよ。どこかの偉い方のお内儀さんじゃないの?
>八:「呉りゃれ」だあ? なんだそりゃ?
>熊:おい、お福ちゃんじゃねえのか?
>鴨:お前ぇ、そりゃあ、お福の方様のことか?
>八:じょ、冗談じゃねえ。・・・なあ、お夏ちゃん、追い返しとくんな。
>夏:だって、町衆の着物を着てるし、寒い中を立たせておく訳にもいかないでしょう?
>八:お夏ちゃん、ま、ま、待って・・・

お夏は、にこっと笑って、外にいた女を招き入れた。
案の定、お福であった。

>八:お、お、お福ちゃん。なんだってこんなとこまで。そ、そ、そんなにおいらが恨めしいのか? た、た、頼むから迷わず往生して呉れよ、な。
>福:死んじゃいないよ。ほら、足だって付いてる。
>熊:お福ちゃん、お前さん、真逆(まさか)、この辺りに帰ってきたって言うんじゃねえだろうな?
>福:帰ってきちゃあ迷惑?
>熊:迷惑だなんて言ってねえよ。誰がどこに住もうと、兎や角言えやしねえさ。
>八:おいらは迷惑だ。
>福:何もそこまで言わなくたって良いじゃないか。
>夏:そうよ。八兵衛さん言い過ぎよ。
>八:そんなこと言ったってよ、お夏ちゃん。おいら怖いんだよ。首っ玉ふん掴まれて町中を引き摺られるかと思うと、落ち落ち道も歩けねえ。
>福:そうかい。そこまで嫌われちまってちゃ仕様がないね。あわよくば、嫁にでも貰って貰おうと思ったんだけどね。
>八:なんだと?
>福:・・・冗談だよ。嘘に決まってるじゃないか。あたしはね、お父つぁんの田舎の甲州にでも帰るよ。
>夏:行っちゃうの?
>福:そう。もう2度と江戸には来ないつもり。
>夏:本気なの?
>福:甲斐の国には従姉妹(いとこ)もいるし、存外(ぞんがい)多目の路銀(ろぎん)も下されたしね。ここいらと違って、山川が綺麗だし、間もなく桃の花が満開に咲くだろうしね。零落(おちぶ)れちまったあたしには過ぎた場所さね。・・・そういうことだから、八公、どうぞご機嫌宜しゅう。

>八:待てよ。甲州へ行くんならよ、贅沢に馴染んじまった口じゃあ良くねえだろ? ここの不味い料理で、ちっとくらい庶民の味に慣れていきな。
>夏:ありゃ、八兵衛さんったら、中々洒落(しゃれ)たことを言うわね。あたしも賛成。お福さん、どうぞ、座ってってくださいな。今、下品な肴(さかな)とお酒をお出ししますから。
>福:有難う。・・・良い餞(はなむけ)になるわ。
>夏:親爺(おやじ)さーん。塩っ辛い煮付けと水っぽいお調子3ぼーん。
>亭主:お夏ちゃん、そういう言い方ってねえんじゃねえの?

お福は、塩辛い芋煮を突付き、少しばかり酒を飲んで、ほんのり頬を染めて帰っていった。
冬の甲斐路は厳しかろうが、やがて春になるのだからと、八兵衛は複雑な心境でお福の背中を見送った。

>夏:どうしたのよ、八兵衛さん。逃がした魚は大きいっていう顔をしてるわよ。
>八:じょ、冗談は止して呉れよ。おいらはよ、昔通り、お夏ちゃん一筋なんだからよ。
>夏:ほんと? お方様より上だなんて凄い。気分好いから1本お負けしちゃう。親爺さーん・・・
>八:茶化さないで呉れったらよ、まったくもう。お夏ちゃんには敵(かな)わねえな。
>熊:なあ八よ。人にはよ、出会いと別れは付き物だからな。こういう晩もあるってことさ、な?
>八:なんだよ。そんな言い方されると、しんみりしちまうじゃねえかよ。・・・そんなんじゃねえってんだ。
>鴨:しかしよ、本当に嫁になんかしてたら物凄いことだよな。なんてったって、女房が元お方様で、友達が上様だってんだからよ。
>八:面白がってやがるのか? そんなことを言ってる暇があるんだったらな、半端役人でも良いって言うような女でも探してきやがれってんだ。
>熊:止めろって。また落ち込んじまうじゃねえか。
>八:五月蝿(うるせ)えや。人のことばっかり玩具(おもちゃ)にしやがって。役人だからって手加減しねえぞこのやろ。
>熊:まあまあ、鴨太郎には鴨太郎の事情ってのがあるんだからよ。
>八:どんな事情だってんだ。隠し立てしねえで素直に吐きやがれ。
>熊:そりゃあ、捕り方の台詞(せりふ)だろ?

>夏:はい、水っぽくて温(ぬる)いお酒。・・・どうかした? 鴨太郎さんまでしんみりしちゃってるじゃないの。ぱあっと行きましょうよ。旅立とうって人がいるんだから、不景気な顔は禁物(きんもつ)よ。
>八:まったくだ。な、鴨の字、元気出せよ。おいらも言い過ぎたぜ。
>鴨:放っといて呉れ。・・・まったくよう、言いたいことを言えるだけ、お福の方様が羨ましいぜ。
>夏:なに悄気(しょげ)てるのよ。きっと何もかも良いようになるわよ、ね?
>熊:お夏坊に言われてりゃ
世話がねえや。
>八:お夏ちゃんの言う通りだよ。・・・なあ、おいら思うんだがよ、みんながみんなお夏ちゃんみたいに元気でいりゃあよ、太市の旦那とか竹上なんとかっていう人らが頭を抱えることもねえのにな。そうは思わねえか?
(第17章の完・つづく)−−−≪HOME