154.【き】 『漁夫(ぎょふ)の利(り)』 (2002/11/11)
『漁夫の利』[=漁父の〜]
当事者同士が争っている間に、第三者がまんまと利益を横取りすること。
類:●鷸蚌の争い●漁利●Two dogs strive [fight] for a bone and a third runs away with it.(二匹の犬が骨を争う隙(すき)に、別の犬がその骨を銜(くわ)えて逃げ去る)<「英⇔日」対照・名言ことわざ辞典
故事:戦国策−燕策・上」「両者不肯相舎、漁者得而併禽之(中略)臣恐強秦之為漁父也」 鷸(しぎ)と蚌(はまぐり)が争っているのを見て、漁夫がその争いを利用し、両方とも捕まえてしまった。強国の秦が、その漁師になりはしまいかと心配でならない。
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丈二とお杉が連れ立ってあやの元を訪れたのは、奈良屋庄助が自分の家へ戻ってきた日の夕刻だった。
あやの方は、今日明日に産まれても可笑(おか)しくないという状態である。

>あや:お似合いよ、2人共。
>丈:何かと気を揉んでいただいちまいやして、済みませんでした。
>あや:いいえ。今回ばかりはわたしの
手に負えなかったみたい。何もできなくてご免なさいね。
>杉:その分、八つぁんと熊さんにお世話になっちゃった。尤(もっと)も、なんだか知らないうちに周りから決められちゃったっていう感じなんだけどね。
>あや:でも、後悔してる訳じゃないでしょ? とっても幸せそうよ。
>杉:これまで、頑張り過ぎちゃって馬鹿みたいって思うわ。なんでこんな簡単なことを拒み続けてたのかしらってね。
>あや:まあ、変われば変わるものね。・・・でも、頑張っちゃってたからこそ丈二さんの目に留(と)まったんですものね。巡り合わせよ。大事にしなくちゃね。
>杉:はい。そうします。

>丈:それで、お願いなんでやすが、媒酌(ばいしゃく)をやって貰えねえもんかと・・・
>あや:嬉しいお話なんですけど、遠慮しとくわ。
>杉:どうして? あやさんと親方はもう何組もやってるそうだし、任(まか)せといて安心できるのにな。
>あや:なんにもお手伝いしなかったのに、最後の美味(おい)しいところだけ貰っちゃうなんてできないわ。それに、こんな状態じゃ華やかな席にも似つかわしくないしね。
>丈:祝言(しゅうげん)は年明けですぜ。それまでには・・・
>あや:それでも駄目。小頭になるんなら、やっぱり頭(かしら)に任せるのが筋ってものでしょう? 違う?
>丈:それも考えねえではなかったんでやすが、「奈良屋が来るんなら俺は請(う)けたくねえな」って、子供みてえなことを言い出しまして。
>あや:まあ。頭ったら。・・・それで、お杉ちゃん、奈良屋さんはどうなの? 見習いは為になったのかしら?
>杉:さあどうかしら? お昼ごろ戻ってらしたんだけど、部屋に篭もっちゃったのよ。3人の息子を交代で呼び付けて、なんかもそもそやってたみたいだけど、あたしは辞める人間だし、細かいところまでは分からない。
>あや:そう。しゃんとして呉れてれば良いわね。それなら頭だって引き受けて呉れるでしょう?

さて、後日談である。
当の庄助はというと、驚くなかれ、薬が効いたようだった。
長男を堺屋に見習いに行かせ、次男と三男を安房国(あわのくに)に菜種(なたね)栽培の下働きに行かせたのだ。
どこでどう聞き付けたか、序(つい)でに、お種とお実も分家の「小奈良屋」へ回してしまった。
一大改革である。

お浪(なみ)という女中がいた。お杉に「火消しと油屋じゃ水と油だ」と言ったあの娘である。
お杉が辞め、お種とお実が出て行き、あれよあれよという間に番頭の片腕になってしまったのだ。

>八:そんで、お杉坊? そのお浪さんってのは大丈夫なのかい? 悪い気を起こしたりはしねえんだろうな。
>杉:そういうことなら大丈夫。張り切っちゃって、嬉々として飛び回ってるわ。給金だって倍くらいになったんじゃないかしら。
>八:へえ、そりゃあ羨(うらや)ましい限りだな。肖(あやか)りてえもんだ。
>杉:八つぁん、お嫁さんにしちゃったらどう?
>八:本当か? 良いのか? 取り持って呉れるってんならなんでもするぞ。
>杉:ほんと? ・・・でも駄目ね。お浪ちゃんったら、あと2年くらい働いて小金が貯まったら、田舎で漁師をしてる人のところへ帰るんだって言ってたもの。
>八:なんだいそりゃ? 欲があるんだかねえんだか、分かりゃしねえな?
>杉:良いんだって。5年先くらいに思ってたから、大喜びよ。お浪ちゃんはね、端(はな)っから油問屋に骨を埋めるつもりはなかったみたい。
>八:そうなのか?
>杉:お浪ちゃんったらね、「油と浪が馴染む筈ないじゃない?」だってさ。あたしと丈二さんのこと「水と油だ」なんて嫌味言ってたのも、そんな思いがあってのことなのかしらね。
>八:おいらから見りゃあ、馴染まないどころじゃねえぞ。しっかり幅を利かしてるんじゃねえか?
>熊:案外、今回の騒動で一番得をしたのはそのお浪さんかも知れねえな。
>杉:あら、あたしだってとっても得をしたわよ。
>熊:こりゃこりゃ、すっかり当てられちまったな。

そんな神無月(かんなづき)の初め(現在の11月中旬頃)、あやが男児を出産した。
大きな声で、良く泣く赤ん坊である。

>八:親方、待望の跡取りでやすね。
>源:ああ。五体満足で生まれてきて呉れて、一安心だ。・・・しかしな、これでもかってくらい泣き喚(わめ)くんで、ちょいとばかし寝不足気味だ。
>熊:元気な証拠ですよ。「泣く子は育つ」って言うじゃねえですか。
>源:「寝る子は育つ」だろ? ・・・まあどっちだって良いや。それがよ、不思議なことに、静(しずか)が傍(そば)に行ってぽんぽんと2回叩くと泣き止むんだ。
>八:へえ、そりゃあ凄(すげ)えや。
>源:あやのやつが誉めるもんで、俺とか親爺を叩きに来やがる。悪い癖が付いちまったぜ。
>熊:嬉しい癖に。
>源:そのうちお前ぇたちのことも叩きに来るぞ。
>八:叩かれなかったら嫌われてる証拠でやすかね?
>熊:そうかも知れねえな。

>八:ときに親方、もう名前は考えたんですかい?
>熊:のんびりしてると、また女将さんに決められちゃいますぜ。
>源:そんなことさせるかってんだ。
>八:それで? なんて付けたんですかい?
>源:「源太」だ。
>八:そんなんで良いんですかい? もっと捻(ひね)ったのが良いんじゃねえですか? 源氏豆腐とか源平豆とか源内焼とか源六餅とか・・・
>熊:食い物ばっかりじゃねえか。面白きゃ良いってもんじゃねえの。・・・そうさな、元気とか玄翁(げんのう)とか拳万(げんまん)とか現生(げんなま)とか・・・
>源:字が違うだろう。手前ぇら、他人事だと思って、勝手なことばっかり言うんじゃねえ。誰がなんと言おうと源太に決めたんだからな。
>八:姐さんはそれで良いって言ってなさるんですか?
>源:決まってんだろ。反対なんかさせるかってんだ。
>熊:とかなんとか言っちゃって、親方、ほんとは棟梁に気を使って付けたんでしょう?
>源:・・・まあ、ちょっとはな。
>熊:さぞかし棟梁も喜んでいなさるでしょう?
>源:まったくだぜ。俺になんか抱かせもしねえ。
>八:なんだか、大女将さんと棟梁のために子作りしてるみたいなもんでやすね?
>源:そう言うなって。

一方、なんの関わりもないのに、「ぐうたら」に引き続いて「愚図六」の面倒を見ることになった堺屋徹右衛門はというと、意外にも懇切丁寧に「商いの基礎」を叩き込んでいた。

>徹:良いかい髪太郎さん、大きい利益ばかりを追い求めてちゃあいけないよ。
商いというものはね、牛の涎(よだれ)みたいに長くだらだらと続くものなんですからね。手を抜いていると、気が付かないように少しずつお客が逃げていってしまう。真っ当にやっていると、お客のお友達も常客になってくださるかもしれない。
>髪:でも、そんなことより、菜種を買い叩いて元手を浮かせりゃ、もっと
手っ取り早いんじゃないんですかい?
>徹:髪太郎さん、貴方のお父つぁんもおんなじことを言ってましたよ。・・・じゃあ聞きますが、菜種を作っているお百姓さんたちが
手を組んで、奈良屋さんへは菜種を売らないってことになったらどうします?
>髪:その時は、別の百姓を当たるだけさ。
>徹:同じ値段で売って呉れますか?
>髪:最初は高く付くだろうが、次の年には買い叩いてやるさ。
>徹:そこも売って呉れないことになったら?
>髪:次を探すさ。この際、少しくらい粗悪な実でも仕様がない。
>徹:油の品質のことはどうなりますか? 「なんだか妙に煤が出る」なんてことが噂になったら、売り上げはがた落ちになりはしませんか? そして気が付いたときには、良い菜種は余所(よそ)の油問屋が仕入れているのと違いますか?
>髪:あっ。・・・うーむ。
>徹:まあ、お説教はこれだけです。明日以降は
兎や角言いません。じっくり考えてください。
>髪:あの、親父にもこの話をしたんですか?
>徹:ええ、そうですよ。同じことを話しました。これ以上は何もお話していません。
>髪:そうですか・・・

>徹:ねえ、髪太郎さん。ひょんなことを聞きますが、奈良屋さんに縁(ゆかり)のある人で、菩薩(ぼさつ)様みたいな娘さんはいらっしゃいませんか? そうさな、年の頃は二十歳(はたち)過ぎだとかいうことなんですが、見た目は15か16なんです。
>髪:へ?

髪太郎が知る「若い娘」は、自分の店の女中たちか、岡場所の女くらいのものである。「菩薩様」とは似ても似付かない者たちばかりである。
思い当たらないのも当然のことである。髪太郎も庄助も、当のお咲とは、一度も顔を合わせていないのだから。
徹右衛門の、今度こそはという期待は、またも、敢(あ)えなく費(つい)えてしまった。

(第16章の完・つづく)−−−≪HOME