72.【え】 『得手(えて)に帆(ほ)を揚(あ)げる』 (2001/04/09)
『得手に帆を揚げる』[=掛ける]
得意とすることを発揮する好機が到来し、勇んでことに当たる。また、待ってましたとばかり調子に乗る。略して「得手に帆(帆柱)」とも。
類:●順風に帆を揚げる追風に帆を揚げる流れに棹●得手に棒
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棟梁の源蔵は、田原屋から渡された美人画を、どうしたらいいのか困っていた。
恩義のある元締めからの頼みを断(ことわ)る訳にもゆかず、受け取るには受け取ったが、この絵に似た娘を探すなどという、雲を掴むような、と言うよりも、馬鹿馬鹿しい依頼を、実行するのが正しいとは、どうしても思えないのだ。

>棟:源五郎。源五郎はいねえか?
>源:なんだよ、親父。田原屋からの遣(つか)いのことか?
>棟:ああ。この件はお前ぇに任(まか)す。
>源:任すったって、いったいどういう中身なんだよ?
>棟:うーん、なんだ、まあこの絵を見てみなよ。
>源:歌麿かい? 高そうだな。
>棟:とある大店(おおだな)の若旦那がな、この絵に似てる娘を探して欲しいんだとよ。
>源:役者本人じゃなくてかい?
>棟:そうだ。町娘の格好をしてたそうだ。
>源:そんなの自分で探しゃあ良いじゃねえか。大店なんだろ? すぐに見付かるだろう。
>棟:それがよ、なんだか妙なことを言ってるらしいんだ。天女(てんにょ)なんだとよ、その娘は。
>源:天女だぁ? ・・・馬鹿馬鹿しい。
>棟:その通り。まったくもって馬鹿馬鹿しい。・・・ということで、任せたからな。
>源:おいおい、親父。
>棟:問答無用

お鉢が回ってきた源五郎も、ほとほと困ってしまった。
とりあえず、あやに相談してみることにした。

>源:なあ、どう思う?
>あや:さっきも見せて貰ったんだけど、ちょっとお咲ちゃんに似てませんか?
>源:お咲ちゃんにか? ・・・うーん、そう言われればそうかな。
>あや:その若旦那だって、真逆(まさか)天女を探すっていう訳じゃないんだから、幾らか似てれば良いんでしょう? お咲ちゃんに頼んで、引き合わせてあげたらどうですか?
>源:そうだな、一目会うくらいなら、お咲ちゃんも引き受けて呉れるかな?
>あや:その位のことなら、請(う)けて呉れますよ、よっぽどの事情でもない限り。
>源:そうだな。ま、こんな下らねえ面倒は、さっさと片付けちまうに限るか。

という訳で、翌日、源五郎は熊五郎と八兵衛を呼び付けて、事の子細(しさい)を二人に説明した。

>八:親方、そいつはちょいと旨(うま)くねえんで。
>源:何が旨くねえんだ?
>八:ちょいと訳ありでして。
>熊:親方、実はですね、その依頼主の堺屋の若旦那のことは、おいらたちも知っておりやして。
>源:お前ぇたち、また良からぬことに首を突っ込んでやがるのか?
>八:良からぬことだなんて、滅相(めっそう)もない。良いことですよ良いこと。
>源:ほんとか? じゃあ、どうして引き合わせる訳にいかねえんだ?
>熊:はあ。信じて貰えるかどうか分かりませんが、その、お咲坊こそが徹右衛門が探しているご当人なんです。
>源:お咲ちゃんがか?
>熊:へい。
>源:どういう曰(いわく)くが付いてるんだ?
>熊:それはちょいと・・・
>源:俺にも話せねえことなのか?
>八:話せねえ訳じゃねえんですが、ちょいと話が込み入ってやして。
>源:・・・ほう。そうか、じゃあこうしよう。今晩酒を飲ませてやるから、一部始終をとっくりと聞かせて貰う。俺も頼まれちまった以上、何らかの答えは出さなきゃならないからな。
>熊:まあ、親方の事情もお有りでしょうから、お話はしますが、怒んないでくださいね。
>源:そいつは話を聞いてからだ。

>八:やったあ。久し振りのご馳(ち)だぁ。
>熊:お前ねえ。お前には心配するって頭がねえのか?
>八:ないない。どうせ講釈するのはお前ぇなんだからよ。・・・あ、そうだ。お咲坊とお夏ちゃんにも混ざって貰わねえとな。それから、五六蔵たちも。・・・親方、今夜は大人数になりますぜ。
>源:そんなに大人数が絡(から)んでるのか? なんだか頭痛がしてきたぜ。
>八:大丈夫ですよ。そんなに高いものを出す店じゃぁありませんから。
>源:俺が言ってるのは、そういうことじゃねえ。

この際、同心の鴨太郎は絡んでいなかったことにしておいた方が良さそうだなと、熊五郎は敢えて声は掛けていなかった。
お咲も連夜になるのでと、初めのうちこそ渋っていたが、親方が来るというので、喜んで付いて来ていた。

>咲:ねえ、あやさんは来ないの?
>熊:身重(みおも)で出てくる訳にはいかねえさ。揉(も)め事になりそうだったら向こうからお呼びが掛かるだろ。
>咲:揉めそう?
>熊:こういうことには拘(こだわ)るお人だからなあ・・・
>咲:大丈夫よ。丸く納まったんだもの。
>熊:お前ぇも、八に劣らず能天気だな。良いよな、まったく。
>咲:あら、あたしって、八兵衛さん並みなの?
>八:どういう意味だ?
>咲:へへ。そういう意味。

源五郎は、ちょっとした寄り合いに出たということで、お夏が現れる頃合いにやって来た。

>源:参(まい)ったぜ。寄り合いでも絵のことが話に上(のぼ)ってよ。みんなからは災難だなって、労(ねぎら)われたがよ。
>熊:心中(しんちゅう)、お察しいたしやす。
>源:さあて、聞かして貰おうか。
>八:まあまあ、久し振りに来たんですから、先ずは乾杯と行きましょうや。おーい、お夏ちゃん、お酒。
>夏:はーい。八兵衛さんとこお酒2ほーん。・・・あら、親方。ようこそいらっしゃいました。後で、混ぜて貰っても良いですか?
>源:あ、ああ。良いとも。
>夏:嬉しいな。親方にお酌(しゃく)できるなんて。
>源:あの娘(こ)が混じると、どうも調子が狂っちまうな。

熊五郎は、昨年の夏の一件を順序立てて話した。
ずっと黙って聞いていた源五郎も、酒も手伝(てつだ)ってか、最後の頃は苦笑いして聞くほど皆を許していた。

>源:成る程な。良かろう。良い方に解釈しておいてやろう。・・・ただし、仕出かしたことが全部決着するまでは責(せき)を持て。つまりだ、若旦那の依頼の件だが、某(なにがし)かの解決策を考えろよ。
>八:待ってました。おいら、そういうのって大得意ですよ。
>熊:こら、八。また安請け合いして。
>夏:良いじゃない。その件、あたしも混ざる。
>熊:お夏坊、お前ぇもか。
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人物:
喜多川歌麿(きたがわうたまろ) 江戸中期の浮世絵師。姓は北川。名は信美。初号、豊章。狂歌名、筆の綾丸。1753〜1806。鳥山石燕の門に学び、細判の役者絵や絵本を制作する。のち大首絵を創案し、優麗繊細な描線でさまざまな姿態、表情の女性美を追求。版元蔦屋重三郎の援助を得て抜群の才を発揮し、美人画の第一人者とされる。代表作に「画本虫撰(えほんむしえらみ)」「当時全盛美人揃」「婦女人相十品」「歌枕」など。 (上へ戻る