12.【あ】  『後足(あとあし)で砂(すな)を掛(か)ける』 (2000/01/31)
『後足で砂を掛ける』
犬や猫は糞をしたあと後足で砂を掛けるような動作をするが、犬猫のそういう動作のように、面倒を見てくれた人の恩義を裏切るだけでなく、別れ際に更に迷惑を掛けて不快感を与えるというようなことをする。
類:●蹴って砂を掛ける●恩を仇で返す
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酒は早々に切れてしまったが、「だるま」の客たちは遅くまで店に残っていた。
八兵衛と熊五郎は、自分たちの親方の英雄譚(たん)を聞いて興奮していた。

>五六:源五郎親方、こいつらのことをご紹介いたしやす。右の目尻に黒子(ほくろ)のあるやつが「泣き落としの三吉」で、左の口元にあるやつが「呟きの四郎」って言いやす。お前ぇたち、ご挨拶(あいさつ)しろ。
>三:へぇ。三吉と申しやす。得意技は嘘泣きと狸(たぬき)寝入りです。
>四:四郎っす。情報操作を・・・
>熊:なんだい、そりゃ?
>五六:長屋の井戸端に現れて、「ここの誰某(だれそれ)は近頃銭遣いが荒いようですね」とかなんとか言って、情報を聞き出すんです。こいつは結構役に立つんですよ。そいつの立ち回りそうなところも分かるし、何より、そいつが夜逃げしないように、周りで見張って呉れるんだから人手も懸からない。
>四:じっくり、じんわり責めるのが良いんです。
真綿で首を絞めるように。
>熊:なんか変な趣味でも持ってるんじゃねえのかい、こいつは?
>五六:そりゃあ変わり者ですがね、あっしにしちゃあ可愛い弟分なんです。
>源:大工が務まるのかねえ。
>五六:力仕事がからっきしってことはねえですよ。こんな仕事をしてると、腕尽(うでず)くってことだって二度や三度じゃあねえんですから。
>源:それはそうだろうが・・・

>五六:大丈夫ですよ。諸先輩の言うことはちゃあんと聞きますって。それに、こう見えても手先は器用な方なんですから。
>八:大工の修行は楽じゃあねえよ。
>熊:これから、特に、寒い時期だしな。
>源:悶着(もんちゃく)を起こしたら直(す)ぐにおん出すからな。
>五六:構(かま)いやせんとも。
>源:真剣味が感じられねえんだよな。・・・まあ良い。明日、五つ(8時頃)に牛込の箪笥町(たんすまち)に来られるか?
>五六:へい、間違いなく。なあお前ら。
>三・四:へい。

頃合いは夜の四つ(22時頃)に近かった。一般的な家庭なら疾(と)っくに寝静まっている頃である。
「だるま」の閉店時間は決まっていないが、いつもなら1時(いっとき・約2時間)も前に最後の客が帰っているところだろう。
八兵衛と熊五郎だったり、半次だったりその都度違いはあるだろうが、捨て台詞は決まって「明日は来ねえからな」だった。失礼極(きわ)まりない話である。
それが今夜はどうだ。出すものが何も無いというのに店はまだ満員だ。さっき帰った奴は「明日も来るぜ」と言って御足(おあし)を払っていった。
あや様様、源五郎様様である。

>半次:ときに、五六蔵さんよ。
>五六:なんだい、半公。
>半:可愛げのない奴だねえ。・・・まあ良いや。あんた、どこの生まれだい?
>五六:良くぞ聞いて呉れました。中山道(なかせんどう)を北へ行くこと40里。浦和、桶川、本庄、安中、軽井沢の更にその先にある信濃の国は佐久郡、追分(おいわけ)というところだ。蕎麦(そば)なんか特別美味いぞ。
>半:その追分の五六蔵がなんでまた江戸に出てきてごろつきなんかしてるんだ?
>五六:それがなあ。色々あったんだよ。
>半:「話せば長くなるが」なんて言い出すなよ。
>八:昔語りする奴あ、決まってそう言うんだよな。
>熊:こら、話の腰を折るなって。
>八:ほう、面白(おもしれ)えじゃねえか。話ってものには腰があるのか? 腰を折られたら杖を突いて歩くのか?
>熊:黙って聞いてろ。

>五六:話を端折(はしょ)ると、蕎麦農家なんぞ継(つ)ぎたくねえって言ったら親父に撲(なぐ)られて、そんでおん出てきちまったんだ。
>八:今度は話の腰を端折っちまったのかい。
>熊:それにしても随分簡単に端折っちまえるもんだな。
>半次:何処も彼処(かしこ)も同じなんだよな、親元から出てくる理由なんかよ。どいつもこいつも、育てて貰った恩義なんか忘れて、「二度と帰(けえ)ってくるもんか糞親父」とか言って出てきちまうんだよな。それでよ、そろそろ謝(あやま)りに行ってみようかななんて考えてると、風の便(たよ)りで「つい何年か前に死んだらしいぞ」なんて聞かされるんだよな。
>八:なんでえ
なんでえ、しんみりしやがって。こちとら江戸っ子だ、このくれえじゃ泣かねえぞ。
>熊:なあ半次よ、お前も『泣き落としの半次』って名前にしてよ、いっそのこと五六蔵とつるんだらどうだ?
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※お詫び 時代考証を誤っています。
「情報」という言葉は、明治の軍事用語として作られた言葉とも、或いは、森鴎外がドイツ語のナハリヒトを訳した語であるとも言われていますので、この時代には使われていません。  上に戻る