223.【し】 『釈迦(しゃか)に説法(せっぽう)』 (2004/03/15)
『釈迦に説法』[=経(きょう)・心経(しんぎょう)]
釈迦に対して仏法を説くように、知り尽くしている人にその事を教えるのは愚行である。
類:●河童に水練孔子に悟道月夜に提灯
本文中の文献の説明:江戸生艶気樺焼(えどうまれうわきのかばやき) 黄表紙本。山東京伝作画(北尾政演まさのぶ)。江戸通油町蔦屋重三郎刊。天明5年(1785)。若旦那仇気屋艶二郎が、浮き名を流そう、女にもてようと様々なことを企てるが、元々醜男でもあった上に、通人ぶるところが裏目に出て悉(ことごと)く失敗する。果てには、偽(いつわ)りの心中を図ろうとする。黄表紙の代表作。
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伝蔵の手並みはたいしたものだった。
紙は何十枚も費(つい)やしたが、並助が「うん、似てるな」と太鼓判を捺(お)すほどのものが出来上がった。
唯(ただ)、紙の隅(すみ)の方に一々蚯蚓(みみず)ののたくったようなものを書き入れるのが玉に瑕(きず)である。

>咲:なんなの、それ?
>伝:決まってんじゃねえか。花押(かおう)だよ。俺が描いたものだってことを示す印だよ。号(ごう)みたいなもんだな。
>咲:なんて読むの?
>伝:箪笥町(たんすまち)の箪に伝蔵の伝で、「箪伝(たんでん)」だ。京橋の伝蔵の向こうを張ってるって訳さ。
>咲:誰それ? 京橋の伝蔵さんってのは?
>伝:知らねえのか? 有名な浮世絵絵師の山東京伝様じゃねえか。
>咲:知らない。・・・ねえ、並助さんは知ってた?
>並:名前くらいは聞いたことがあるけど・・・
>伝:これだから素人(しろうと)は困るってんだ。『
江戸生艶気樺焼(えどうまれうわきのかばやき)』ってのは知ってるんだろうな?
>咲:それって黄表紙本でしょう? 絵師が描(か)くもんじゃないじゃない。それに、醜男(ぶおとこ)の話なんでしょう? 立派な人とは思えない。
>伝:まったく、てんで分かってねえな。艶二郎の顔なんか、まったく憎めねえように愛嬌(あいきょう)十分に描けてるだろう? 並みの腕じゃあこうはいかねえ。ありゃあ、たいした絵師だぜ。
>咲:そうなの? まあ良いわ、そういうことにしときましょう。伝蔵さんの腕が確かだってことに免(めん)じて。

>伝:なんだよ。話はこれからだってのにもう終(しま)いか? 仕様がねえな。・・・「たん、でん」っと。ほいよ、10枚もありゃあ足りるだろう?
>咲:有難う。早速(さっそく)今晩集まらなきゃ。
>伝:俺も混ぜて貰って構わねえんだろうな?
>咲:勿論(もちろん)よ。伝蔵さんの長屋なら目と鼻の先だから、すぐに分かると思うわ。「だるま」っていう縄暖簾(なわのれん)なの。
>伝:おお、あそこか。1遍も入(へえ)ったことはねえが、所は分かるぜ。・・・しかしお前ぇさんは縄暖簾になんか行っても良いのかよ。
>咲:子供扱いしないで。あたしもう17よ。飲み屋だろうと番屋だろうと大手を振って出入りできる年でしょう?
>伝:17だぞ。そんなのを許す親がいたらお目に掛かりたいもんだぜ。
>咲:なんなら会ってみる? しがない傘貼り浪人だけど。
>伝:お武家様なのか? ・・・はあ、こいつは魂消(たまげ)た
>咲:時々給仕(きゅうじ)の手伝いをしてあげてるのよ。だから父上も大目に見て呉れてる訳。
>伝:なんだそういうことか。そんなら良いや。暮れ6つ(18時頃)で良いのかい?
>咲:ええ。待ってるわ。

伝蔵と一緒に牛込方向に帰っても良かったのだが、お咲はその足で伝六の長屋へと向かった。
鴨太郎が長崎に行ってしまってから、殆(ほとん)ど職にあぶれている状態なのだ。騙(かた)りの一味の人相書きを持っていけば、鴨太郎の同僚が手下として使って呉れるかもしれない。

>咲:伝六さん、いるぅ?
>伝六:・・・おう、お咲ちゃんじゃねえか。どうしたい?
>咲:伝六さん、ちゃんと食べていけてるの?
>伝六:ああ、なんとかな。・・・って言っても、塵(ごみ)拾いと変わらねえような半端(はんぱ)仕事だがな。
>咲:ねえ、こんなものがあるんだけど、伝六さんの役に立たないかしら?
>伝六:どれどれ? ・・・ほう、巧く描けてるな。誰の似顔(にがお)だい?
>咲:今世間を騒がしている騙り集団の、一味(いちみ)の顔よ。
>伝六:なんだと? それってのは、あのあれか? もし、そうだとしたら、とんでもねえ代物(しろもの)だぞ。
>咲:でしょう? だから、伝六さんの稼(かせ)ぎに使えるでしょう? 同心の誰かに見せれば、きっと飛び付く筈よ。
>伝六:良いのかい?
>咲:良いわ。その代わり・・・
>伝六:なんだ。やっぱり注文付きか。
>咲:そんな大したことじゃないのよ。・・・あのね、あたしたちがこそこそやっているのを見ないことにして欲しいの。
>伝六:まあ、そのくらいなら頼んでやるよ。邪魔してる訳じゃねえんだからな。
>咲:お願いね。

>伝六:しかし、どうやってこいつを調べたんだ? どこの年寄りも「良く覚えてねえ」としか答えちゃ呉れねえってのによ。
>咲:お年寄りに聞くから駄目なのよ。その倅(せがれ)の方に聞くの。
>伝六:そんなこと言ったって、当の倅はそいつらに会ってねえじゃねえか。
>咲:そこが甘いのよ。夏ごろに下見をしてるみたいなの。なんなら、見掛けたことないかって聞いて回ってみたらどう?
>伝六:なーるほど。お咲ちゃんは、ほんとに、下っ引きにしとくには惜しいねえ。
>咲:へへ。・・・長年やってる伝六さんに偉そうなこと言ってご免なさいね。出過ぎたことだったわね。
>伝六:いやあ、同心の旦那がただって気が付いてねえことだ。
>咲:でも、旦那方には、あんまり得意になって話したりしないでね。面子(めんつ)ばっかり気にする人たちだから。
>伝六:はは。それこそ大きなお世話だよ。俺だって、伊達(だて)に何十年も役人を相手にしてる訳じゃねえんだぜ。

伝六は勇(いさ)んで奉行所へと駆けていった。
役人の手が加われば、一味の手掛かりも早めに出てくることだろう。

お咲が長屋に戻った頃に、丁度暮れ六つ(18時頃)の鐘がなった。
松吉に声を掛けて、半次と共に「だるま」へ来るようにと伝えて、一足(ひとあし)先に長屋を後にした。

>八:なんだお咲坊、お前ぇ1人か?
>咲:なんなのよ、八つぁん、もう飲み始めちゃってるの? 仕事をやる気あるのかしらねえ。
>熊:まあ良いじゃねえか。今日明日に目処が付くほどのもんじゃねえんだからよ。
>咲:さあ、どうかしら? このお咲が、今日1日でどれだけ活躍したか、あとでお腹(なか)一杯聞かせてあげるわ。
>八:おいらそんなもんじゃ腹一杯にゃならねえぞ。
>咲:そう? だけど、暫(しばら)くのあいだは、お腹一杯にはなれないわよ。
>八:なんでだ?
>咲:太助さんの、おからのお代を払って貰わなきゃならなくなっちゃったの。
>八:なんだと? あいつのおからってったら丼(どんぶり)3杯だぞ。いくら持ってたって足りやしねえ。
>咲:それと、絵師の伝蔵さんって人のお酒2本分もね。
>八:なんだと? 太助の分だって儘(まま)ならねえってのにその上銚子2本分だ? おいらを殺す気か?
>熊:まあ仕方がねえじゃねえか。みんなで割ればなんとかなるだろう。
>八:割り勘にして呉れるのか? ほんとか? ・・・ああ命拾いしたようだぜ。
>熊:大袈裟な。そんなもんじゃ死にやしねえ。

そこへ、その太助と伝蔵が連れ立って入ってきた。
太助のところで暇(ひま)を潰していたらしい。

>伝蔵:よう、お嬢ちゃん。話を聞かせて貰いにきたぜ。
>咲:いらっしゃい、伝蔵さん。ここにいるのが、大工の面々よ。
>伝:へえ。こりゃ色んなのがいるねえ。ほんとにみんな大工かい?
>友:あの、私はまだ1ヶ月なんですが・・・。
>伝:ほう、成る程ね。確かにその手は商人の手だな。算盤胼胝(そろばんだこ)でしょ、それは? 察するに、両替商かなんかだな。当たりでしょう?
>友:ええ。その通りです。
>八:へえ、こりゃあ凄(すげえ)えや。なんでも分かるのかい?
>伝:手とか顔とかを見るのが生業(なりわい)みてえなもんですからね。・・・そっちのごついのは百姓(ひゃくしょう)上がりだろ?
>五六:まあね。でも、あっしの手は誰がどう見たって鍬(くわ)を持つ手でやしょう? そんなの誰だって言い当てまさぁ。
>伝:そりゃあそうだ。あっはっは。・・・まあ、座興(ざきょう)はこのくらいにしてと。・・・絵師の伝蔵ってもんです。太助どんの口利きで関わることになりました。お見知り置きくださいまし。

>咲:そてじゃあ、伝蔵さんに描いて貰った人相書きを見せるわね。じゃーん・・・
>熊:おお。こりゃあ凄え。そんでもって、また小憎(こに)らしそうな面(つら)をしてやがる。
>伝:そいつはご愛嬌(あいきょう)でさぁ。悪さをする奴はこういう面をしてることが多いからそういう風に描いた方が良いんですよ。あんまり似てなくたって、黒子(ほくろ)とか刀傷とかでぴったり見付かるもんですからね。
>八:「あんまり似てねえ」だなんて、結構謙遜(けんそん)するじゃねえか。
>伝:そうじゃねえんですよ。俺がこの目で見たもんじゃねえんだから、ほんとに似てるかどうかの責は持てねえって、そういう意味でやすよ。
>八:なんだ、そういうことか。そんなら、もっと小憎らしそうににやっと笑わせて書きゃあ良いんじゃねえのか?
>熊:お前ぇなあ。絵師でもねえんだから、余計なことを言うんじゃねえよ。これはこれで良いの。文句なんか言うな。
>八:まあそうだな。これだけでも、それなりに小憎らしそうだもんな。これを持って聞いて回りゃ、あっという間に見付かるに違いねえぜ。なあ?
>伝:そうなりゃ嬉しいんですがね。

>熊:人手(ひとで)としちゃちょっと心許(こころもと)ねえが、ぼちぼち聞き回るとしようぜ。目立つ印(しるし)のある顔だから、ま、なんとかなるだろう。
>八:なら、もう解決したも同じだな。・・・ようし、飲もうぜ、な?
>太:あの。おいら、おからを食わして貰っても良いんですよね?
>八:良いともよ。この八兵衛様の奢(おご)りだ。豚みてえにがつがつ食って良いぜ。
>太:やったあ。・・・お花ちゃーん。お酒5・6本持ってきて。それと、おからを丼一杯。

太助は満面の笑みである。一方、四郎は浮かぬ顔である。

>八:おい四郎、どうしたんだ? 辛気臭(しんきくせ)え面しやがって。
>四:見るからに残忍(ざんにん)そうな顔ですよね。こんなのが何人もいたら、おいらたちの手に負えないんじゃないでしょうか?
>八:そうか? おいらなんか、束(たば)になって掛かってきても平気だぞ。千切っては投げ千切っては投げ・・・
>熊:お前ぇにそんなことができる訳ねえだろ? 親方じゃあるまいし。
>八:そんなら、親方に出張(でば)って貰えば良いじゃねえか。易しい
ことだろ?
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