第25章「岡っ引き伝六の悪戦苦闘(仮題)」

219.【し】 『七歩(しちほ)の才(さい)』
 (2004/02/17)
『七歩の才』[=情]
詩才が優(すぐ)れていて、詩作が早いこと。
故事:世説新語−文学」 魏の曹操の子・曹植(そうしょく)が、兄の曹丕(そうひ)の「七歩歩く間に詩を作れ。できなければ重罪に処す」と命令され、即座に一詩を作った。
★作られた詩「七歩之詩」は、「煮豆燃豆?、豆在釜中泣、本是同根生、相煎何太急」。(豆を煮るに豆殻を燃やす、豆は釜の中に在りて泣く、本は是れ同根に生ぜしに、相煎ること何ぞ太(はなは)だ急なる) →参照:豆を煮るに?を焚く
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暦(こよみ)はもう疾(と)っくに春だというのに、赤城山の方からの風は、益々(ますます)冷たさを増しているように感じる。
「豊島の辺りにでっかい建物でも建てて呉れりゃ良いのによ」などと願っても、そんなものは、百年経(た)ってもできやしないだろう。

>八:冷えるなあ、熊よ。こんな日は御田(おでん)で熱燗(あつかん)と行きたいねえ。
>熊:お前ぇも堪(こら)え性(しょう)がないねえ。そんな風じゃ、友助さんに追い越されちまうぞ。
>友:「さん」を付けるのはそろそろ止(や)めて呉れませんか。一番の下っ端(ぱ)なんですから。
>八:そうだぞ、熊。幾ら勘が良くって、三吉や四郎より腕が良いってったって、見習いは見習いなんだからよ。
>三:八兄い、そういう言い方されちまうと、おいらたちの立つ瀬ってもんがねえですよ。
>四:・・・認めるとこは認めちゃいますけど。
>熊:だけどよ、親方と同い年ってのはどうも引っ掛かるんだよな。親方に向かって命令を出すのと変わりねえように思えちまうんだよな。
>八:あんな鬼瓦と友さんとじゃあ、全然違うだろ?
>熊:そういうお前ぇだって「友さん」なんて呼んでんだろ。おいらに言えた義理じゃねえぞ。
>八:うん、まあな。三吉みてえにちゃらんぽらんなとこでもありゃあ、気軽に呼べるんだがよ、熊以上に生真面目(きまじめ)ときてる。・・・おいら、そういう種類の人間てのはどうも苦手なんだよな。
>友:良く言われます、四角四面って。
>八:べ、別に、苦手だからって嫌ってる訳じゃねえんだぜ。
>友:分かってますよ。私がもっと馴染(なじ)み易い質(たち)だったら良かったんですけどね、こればっかりは、どうしようもないことですよね。
>熊:まあ、焦(あせ)らずにのんびり構えてりゃ、そのうちなんとでもなるだろうよ。五六蔵んときだって、どうなることかと思ったじゃねえか。
>八:それもそうか。・・・よし。そういうことなら、早速(さっそく)馴染みになりに行こうぜ。熱い燗酒と温(あった)かいお花ちゃんの待つ「だるま」がおいらを待ってるぜ。
>熊:親爺は待ってても、お花ちゃんが待ってるとは思えねえがな。
>八:そんなのお前ぇに分かる訳ねえじゃねえか。・・・おいらの勘だと、お花ちゃんはおいらに気があるな。間違いねえ。
>熊:勝手に言ってろ。

「だるま」に行くと、案外混み始めている。
すっかり馴染んで、表情も柔和になったお花を目当てにした客である。中には色目を使うのまでいる。

>八:はあ。こりゃあ一体どうなっちまってるんだ? こんなに人が居るのなんか半年振りじゃねえか?
>熊:無事に年を越せたからって、余裕ができたんだろ。
>八:それにしても凄(すげ)えな。
>三:お花ちゃん目当てですよ、みんな。
>八:それにしても、なんだって急にそんなことになるんだ?
>三:知らねえんですか、八兄い。
>八:ん? 何をだ?
>四:3、4日前のことですよ。ちんぴらみたいなのが2人現れて、客にちょっかいを出したんです。
>五六:お花ちゃんにも絡(から)もうとしたんでやすが、腕を捻(ひね)り上げちまったってんです。
>三:そんでもって、「お帰りください」って、叩き出したってんですから、いやはやなんとも。
>熊:お前ぇたち、そんなことどうして知ってるんだ?
>五六:そりゃあ、女どもの間じゃ評判でやすから。うちのお三千(みち)なんざ、身重じゃなかったら飲みに来てえなんて言ってやす。
>四:女房衆も「だるま」になら行っても構わないって、そう言って呉れてるんです。お花ちゃんがどういう娘さんなのか話して聞かせろって言うんです。
>八:はあ。こりゃ魂消(たまげ)たね。

忙(いそが)しそうに働いているお花が、やっと八兵衛たちのところに来た。
「いらっしゃい、皆さん」と言って、ふうと溜め息を吐(つ)いた。

>八:豪(えら)いことになってるな、お花ちゃん。
>花:昨日からこんな調子なんです。もうくたくた。
>熊:流行(はや)ってるんだから、文句ばっかりも言ってられねえな。
>八:親爺なんか、ほくほく顔で踏ん反り返ってやがる。
>花:そりゃあ、お客様を無下(むげ)にはできませんが、こんな風じゃ、目が回っちゃいます。あたし、お夏ちゃんほど機敏じゃないし。
>熊:そんなことはねえさ。お花ちゃんだって、立派にこなしてるよ。
>花:そうかしら。・・・でも、どうしてこうなっちゃったんでしょう?
>熊:どうしてって、お花ちゃん、お前ぇさんの仕業(しわざ)じゃねえか。
>花:あたしの? なんで?
>三:ここにいるお客はみんな、お花ちゃんを見たくて来てるの。
>四:3、4日前にちんぴらを追っ払ったでしょう?
>花:追っ払っただなんて・・・
>熊:町中(まちじゅう)で評判なんだとさ。
>花:ええっ? まあ嫌だ。あんな端たないこと・・・
>八:端たなくなんかねえぞ。悪さをする奴らを懲らしめたんだ。そこいらの男だって尻込みしちまうことだぞ。
>友:私も、とっても感激しました。お花さんってのは、立派な方ですね。

>花:あの・・・
>友:申し遅れました。友助といいます。源五郎親方の下で働き始めて半月になります。
>花:まあ。そうでしたの。・・・お花です。まだまだ見習いですけど、宜しくお願いします。
>友:見習いなのはこちらも一緒です。兄弟子の皆さんと一緒に、また寄らせていただきます。
>八:兄弟子だとよ。なんだか、こそばゆいな。
>熊:大工仕事ではそうでも、生きてきた年季は違うからって言ってるんだけどよ、生真面目な人だから。
>花:確かに、落ち着いてらっしゃいますものね。どんなことをしてらしたんですか?
>友:両替商で働いてたんですが、馘(くび)になりました。
>花:まあ。
>友:でも、良いところで雇(やと)って貰って、私は幸せ者です。
>花:そうですか。自分に合った仕事って、見付かりそうで見付かりませんものね。・・・でも、やっているうちに楽しくなってきたりするのも事実ですよね。あたしなんか、今じゃ、ここでの仕事が天職なんじゃないかって思い始めちゃってるんですよ。

「一先ずお銚子6本持ってきますね」と言って、お花は奥へ入っていった。
その後ろ姿を見送っていた八兵衛に声を掛けてきた者がいる。半次である。

>半:よう、八公。鼻の下が伸びて、土間まで届きそうだぜ。
>八:な、なんだよ、半次じゃねえか。お前ぇ、なんでこんなとこに来てやがるんだ?
>半:そりゃあ、噂のお花ちゃんを見に来たに決まってんじゃねえか。
>熊:お八重ちゃんとまた喧嘩でもしたのか?
>半:とんでもねえ。偶には外で飲みたいでしょうって、あっちの方から出さして呉れたぜ。
>熊:ははあ。お八重ちゃんも、野次馬根性ってやつか?
>半:まあな。
ご多分に洩れずって奴だ。・・・中々良さそうな娘じゃねえか。客の名前を立ち所に覚えちまうっていう、お夏ちゃんの芸当には負けるがな。
>八:芸じゃねえだろ、才能って言って呉れ。・・・でも凄えだろ。ちんぴらを遣(や)っ付けちまうんだぜ。
>半:そうは見えねえがな。
>八:ちょっと見には分からねえから凄えんじゃねえか。そうだろ、半次?
>半:・・・ははあ。相当参ってやがるな、こいつ。
>熊:いつものことだろ?
>半:それもそうだ。
>熊:・・・独りなのか? こっちに混ざらねえか?
>半:いや、いい。後から松つぁんが来るからよ。「ほんのちょっとだぞ」なんてほざいてやがったがな。
>熊:松吉んとこも、菜々ちゃんに強請(ねだ)られた口か? まったく、女どもときたら・・・

>半:なあ。それはそうと、そのちんぴらっての、近頃やけに見掛けねえか?
>五六:良いとこに気付いたな、半公。俺もちょいと気に掛かってたんだ。
>半:流石(さすが)は元ちんぴらだな。
>五六:それを言うなっての。
>四:今世間を騒がしている、なんとかいう如何様(いかさま)と、繋(つな)がりがあるんじゃないかと思うんですが、どうでしょう?
>半:それって、年寄りばっかり相手にしてるっていうあれか?
>四:ええ。お年寄りは、自分だけが我慢すれば良いって、訴(うった)えて出ないそうですから、結構な人が泣き寝入りしているようですよ。
>半:可哀想にな。

>八:ちょ、ちょっと待てよ半次。なんの話だい、そいつは?
>半:なんだお前ぇ、そんなのも知らねえのか?
>八:知らねえから聞いてるんじゃねえか。
>半:お前ぇら一体何を考えながら生きてるんだ? あのなあ、こういうことらしいんだ。・・・爺さんか婆さんが独りで留守番してるとこへ2人連れの男がやってきて、「あなたの倅(せがれ)が人様に怪我(けが)をさせて、番屋に来ている。相手は大店の手代だが、商売柄ことを荒立てたくない。治療代と幾ばくかの銭を渡せば不問にする」って、真(まこと)しやかに宣(のたま)う訳だ。・・・どうだ? 爺さん婆さんは信じちまうだろう?
>八:そりゃあ大変だもんな。番屋から返して貰えなかったら、ご近所様に合わせる顔がなくなっちまう。
>半:見栄(みえ)や外聞(がいぶん)だけじゃねえよ。喧嘩したとなりゃ、倅は無事なのか気になるのが親ってもんだろ?
>八:でも、そんなら慌てて番屋へ駆け込みゃあ良いじゃねえか。
>半:年寄りが駆けたら心の臓に悪いだろう? 誰もそんなことは言い出さねえ。
>八:巧いことを考える。・・・頭の良い奴はいるもんだねえ。そいつきっと、俳句とか川柳なんかは、ちょちょいのちょいで作っちまうんだぜ、きっと。
>熊:感心してる場合か?
>八:しかしよ、幾らくらい払えって言うんだ?
>半:1両(約8万円)。
>八:1両だと? 爺婆がそんなに持ってるかよ。
>半:それがよ、案外 臍繰(へそく)ってるもんなのさ。
>八:へーえ。おいらそっちの方が魂消たぞ。
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