159.【く】 『糞(くそ)も味噌(みそ)も一緒(いっしょ)』 (2002/12/16)
『糞も味噌も一緒[=ひとつ]』
善悪美醜の区別がないこと。清いものと汚いものを区別をしないで、一緒に扱うこと。
類:●糞味噌味噌糞
*********

「食うのか食わねえのか」まで言われては、八兵衛も従わざるを得ない。
内房老人が仏頂面(ぶっちょうづら)の番頭に膳の仕度(したく)を命じた後、八兵衛は、柄にもなく緊張している自分を感じていた。あろうことか、食欲が削(そ)がれているのである。


>熊:ご隠居様、確かさっき、もう毒を使っちまったような言い方をしていませんでしたか?
>内:勇み足ですよ、熊さん。まだ膳が整っていません。・・・でも、まあ、もう良いでしょう。
>八:どうでも良いですが、ささっと済ませちまってくださいよ、ご隠居。食い物が喉(のど)を通らねえなんてことになったら、おいら、悔しくって寝込んじまいます。
>内:大丈夫ですって。込み入った話でもなんでもないんですから。・・・八つぁんは、大奥には中年寄(ちゅうどしより)という位の人たちがいるということなんか知りませんよね?
>八:そんなこと知る訳ないじゃありませんか。そもそも何人くらいの人がいるのかだって知らないんですからね。
>内:何人いるのかということは、あたしたちだって分かりませんよ。もしかすると、当の上様だって知らないかもしれません。
>五六:だって、ご隠居さん、大奥ってとこはそもそも上様のためのものなんでやしょう?
>内:そうとばかりも言えないんです。将軍様のご生母様が取り仕切ることもありますし、ご正室様が頂点に据わることもありますが、どちらにしろ、殿方は内情の細かいところまでは触れることができないのです。上様が関わるのは、ほんの数人のお方様たちだけなのです。上様が会ったこともない娘たちの中には、お方様の身の回りの世話をする娘もいれば、大奥全体の細々(こまごま)したことをする娘もいます。正確な人数など、中にいる者にしか分かりません。50人かも知れませんし、千人かも知れません。

>八:せ、千人ですって? それがみんな年頃の娘なんでやすか? それじゃあ、おいらのとこに回ってこねえのも無理もねえことでやすね。
>内:はは。年頃でない方もいらっしゃいますがね。・・・ですが、大方は年頃の娘さんたちです。中年寄というのはそんな中の一部の娘さんが割り当てられる役割りで、主に、食事の毒見の係りをします。
>五六:毒見ですかい? お堀の中ですぜ。そんな大それたことをするやつなんか・・・
>熊:現にいたじゃねえか。お福の方がよ。
>内:母という生き物は、自分の子の幸不幸が絡(から)むと、夜叉(やしゃ)のようにもなるものです。こればかりは、いつの時代も同じですよ。そうして、毒見の役が割り当てられるのです。
>五六:でも、本当に毒を食っちまったら死んじまうんでしょう?
>内:そうですね。万が一そうなったら、途方もない量の弔慰金に埋(うず)まるようにして「お宿下がり」する訳です。
>五六:そんなんで良いんですかい?
>内:お世継ぎの命には替えられないのですよ。
>五六:可哀相に。
>内:そう深刻に考えることはありませんよ。大量に食べるものではありませんし、仮令(たとえ)猛毒に中(あた)ったとしても、お城には医術に詳しい者もいますから、直(す)
ぐに手当てして呉れますしね。

そこへ膳が持ち込まれてきた。こんな話をしているところだったので、一同は妙に構えてしまっていた。

>内:うちの食事には毒など入っていませんよ。安心してお召し上がりください。
>五六:分かってはいやすが、気になっちまいやすよ。
>八:あの番頭さん、おいらたちが来ると嫌そうな顔をするからな。嫌がらせに腹下(はらくだ)しかなんか混ぜてねえとも限らねえ。
>内:はは。あの仏頂面ばかりはどうしようもありません。何度も注意したのですが、「生まれ付きですから」の一点張りでしてね。まあ、根は優しい者ですから、安心してください。
>八:あの人が優しい人なんですかい? ・・・信じられねえな。

>熊:それで、その中年寄はどうかなったんでやすか? ・・・真逆(まさか)死の縁を彷徨(さまよ)ったとか言うんじゃねえでしょうね?
>内:その前があるんです。お福の方は、ちょっとばかり慎重で、自分の身の回りの世話をしているお半下(はした)女中に試してみたらしいのです。
>五六:なんの罪もねえいたいけな娘に毒を盛ったんでやすかい?
>四:「いたいけ」とは言っていませんよ、兄貴(あにき)。
>五六:良いじゃねえか、そんなことどうだって。・・・で? 結果はどうだったんで?
>内:分量を少なくして試したようで、翌日から2・3日寝込んだ程度で済んだそうです。
>五六:助かったんですかい? そりゃあ良かった。
>内:それがですね、五六蔵さんが想像している症状とは全然違うのですよ。
>五六:へ? どうちがうんで? 3日3晩のた打ち回ったんでやしょう?
>内:そうじゃないんです。脂汗を掻いて腹を下(くだ)したそうですが、翌日からはどうということではなかったようです。3日目は、念のため静養しただけです。本人も、食べ合わせが悪かったくらいにしか考えていないようです。
>熊:でも、分量を少な目にしても効(き)くってことが分かったんでやしょう? お福ちゃんは、今度こそお世継ぎの命を狙ったんでやすか?

>内:勘違いしないでください。お福の方が狙ったのは、若様ではなくて、その母親、上様から最も目を掛けられているお方様本人なんです。
>熊:へ? 自分の子供のためなんじゃねえんですか?
>内:お福の方に限っては、そういう料簡(りょうけん)ではなかったようですね。面白い方です。
>熊:面白いで済ませて貰っちゃ困りますよ、ご隠居様。
>内:そうでしたね。これは軽率でした、ははは。・・・それでですね、お方様たちの間で流行(はや)っている「大江戸ばな奈」とかいう和菓子に仕込んだそうなのです。
>五六:そんなのが流行(はや)ってるなんて聞いたこともねえですぜ。
>内:高価なものですからね。庶民は中々口にできるものではありませんね。・・・もし試してみたいということであれば、今度求めて参りましょうか?
>八:食わして貰えるんですかい?
>内:良いですとも。お内儀(かみ)さんにでも渡してあげると喜ぶかも知れませんよ。
>八:うちの姐さんは、塩煎餅(しおせんべい)の方が好きみたいなんで、余った分はおいらがいただいちまいましょう。
>熊:意地汚えな。・・・だがよ、お福ちゃんが毒を仕込んだのとおんなじ菓子でも、お前ぇは平気なのか?
>八:うぐっ。・・・急に食いたくなくなってきた。お、おいらは、遠慮しとく。

>内:どうせなら別のお方様にも食べさせようと思い付いたらしく、6つだか8つも毒菓子を作ったそうなんです。
>五六:酷(ひで)え話だぜ。それじゃあ、下手をすりゃ、お福の方以外のみんなが一遍に死んじまうじゃねえか。
>四:露骨ですね。誰が企(たくら)んだことか直ぐに分かっちゃうじゃないですか。
>内:思い知らせるということも必要なのですよ、大奥の中ではね。仮令(たとえ)失敗に終わったとしても、恐れを成した者は逆らわなくなります。
>五六:ばれちまっても良いんですかい? ご政道も何もあったもんじゃねえんですね。
>内:そういうところなんですよ。男どもの法など、なんの
用も成しません
>熊:それじゃあ、お福ちゃんの目論見(もくろみ)は達成しちまったんでやすかい?
>内:いいえ。失敗しました。
>熊:だって、ご隠居さん。死ねば大願成就で、死ななくても睨(にら)みを利かせられるんでしょう? 失敗しようがないじゃあありませんか。
>内:それがですね、結果的には、他のお方様たちから、感謝されてしまったのです。
>熊:どういうことですか、そりゃ?

>内:お方様と、それぞれお付きの中年寄は、お福の方のお半下女中と同じように、1日目こそ酷(ひど)い目に遭われたそうです。
>五六:誰一人死ななかったってことでやすね? 毒見の娘たちも。
>内:そうですよ。
>熊:でも、お方様たちは、「盛られた」ってことは、気付いた訳でしょう?
>内:ええ、気付きましたとも。それが、お福の方のお半下女中と同じだということも気付いていた筈です。
>熊:じゃあ・・・
>内:お福の方のお半下女中に限らずなんですが、大奥に居られる方々は一様に腎(じん)の臓を患(わずら)っていましてね、それぞれが医者から甘いものを控えるようにきつく言い含められていたというのです。それが・・・
>熊:それが?
>内:驚いたことに、皆が皆治(なお)ってしまったというのです。身体に溜まっていた毒素が綺麗に洗い流されてしまったようなんです。
>熊:なんですって? そんなことってあるんでやすか?
>内:毒が薄まって薬になってしまったのですねえ。
>八:ああ、お夏ちゃんがそんなこと言ってましたぜ。分量を間違えなきゃ薬で、間違うと毒になるって。
>内:そういうことです。知識がある者が使えば毒ですが、量を少なく間違えば、薬になってしまうということだってあるということです。お福の方の過(あやま)ちは、何人も殺(あや)めようと欲張ったことと、渡す状況を良く考えなかったことにあります。
>熊:状況ですかい?

>内:何人ものお方様たちを集めてしまったということです。半(なか)ば公式なお茶の会にしてしまえば、毒見役が付き物であるということです。もし、内緒で直(じか)に渡していたら、中年寄に隠れて丸々1個を食べていたかも知れません。そうであったら、運悪くご他界遊ばすようなこともあったかも知れません。
>熊:そういうことだったんでやすか。
>内:そんな経緯(いきさつ)で、同じような悩みを抱えている中藹(ちゅうろう)や女中連中から、"薬"の入手先を聞いて欲しいと矢のような催促が来る始末。
>熊:毒ですぜ?
>内:2日や3日腹具合いが悪くなっても、その後の健(すこ)やかさには替えられません。再び甘味三昧の生活ができるなら、腹が下ることなど何でもないということでしょう。
>五六:あっしは、青い梅を食ったとき腹を下しやすが、あの辛(つら)さといったら、もう二度とするまいって自分に誓いたくなるほどでやすがね。
>熊:誓うんだったら、本当に止(や)めれば良いじゃねえか。毎年毎年懲りもしねえで、まったく。
>五六:済いやせん。気を付けやす。

>八:しかしご隠居、なんだか物を食べながらする話じゃねえですね。見てくださいよ、この焼き味噌。なんだか変なものに見えてきやしませんか?
>熊:止せよ、汚えな。
>八:それからよ、身体に溜まった毒を洗い流しちまうんだろ? きっと、こんな真っ黒いのが出るんだぜ。
>熊:止せったら。
>内:八つぁんは、下品な話をしながらの方が食が進むんですね。お福の方の名前が出たときなんか、ぴたりと箸の動きが止まるのにねえ。
>八:ご隠居、意地悪なこと言わないでくださいよ。こっちは、折角(せっかく)話が済んだと思ってるんでやすから、突然変な名前なんか出さないでくださいよ。食いもんが不味(まず)くなりますぜ。

つづく)−−−≪HOME