294.【た】 『短気(たんき)は損気(そんき)』 (2005.07.25)
『短気は損気』
短気を起こすと結局は自分の損になる。
★「損気」は、「短気」に語呂を合わせて作られた言葉。
類:●短気は身を亡ぼす腹切り刀●癇癪持ちの事破り●短気は功を成さず
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甚兵衛が源五郎に敷居(しきい)を跨(また)がせて呉れないだろうということで、陶磁器の目利(めき)きは、あやが案内した。
目利きは、壷(つぼ)がどこの窯(かま)で焼かれたものかを、一目見ただけで言い当てた。
甲州街道を西へ行き、笹子(ささご)の峠(とうげ)を越えた辺りに、勝沼(かつぬま)という宿場町がある。その少し北だという。
まだ若い陶工(とうこう)で、腕前こそ大したことはないが、色使いに良く趣向(しゅこう)を凝(こ)らすという。

その話を受けて、伝六を案内人にして、同心の梨元がばたばたと旅立っていった。

>熊:今度こそは太郎兵衛の奴も年貢(ねんぐ)の納め時ですかね?
>源:さあ、どうだかな。妙に鼻が利きやがるからな。
>八:でも、今度ばっかりは気が付いてねえでしょう。なんてったって、調べ始めてまだ2日なんですからね。
>源:だがな、あいつらだって馬鹿じゃねえ。壷が思うように売れなくなり始めたら、「おやっ」と思うだろう?
>熊:まだ、そこまでにはなっていませんよ、親方。しかし、お年寄りってのは中々頑固なもんですね。おいらたちがどんだけ講釈したって首を縦に振るもんじゃねえ。ここまでに一体(いったい)何人を助けられたか、ちょいと心許(こころもと)ねえですよ。
>源:まあ、お前ぇたちも一所懸命にやってるんだ。1人でも2人でも良いさ。そのうち分かって呉れるだろうよ。・・・気に掛けなきゃならねえのは、権太(ごんた)の奴がどれだけ用心深いかってことの方だ。
>熊:相当抜け目ねえですからね。
>八:そりゃそうかも知れません
が、こっちだって相当なもんですよ。今度こそは取っ捕まえられますって。
>熊:でもな、あの梨元って同心は、ちょいと心配だよな。
>八:捕り方は何人連れてったんだろうな?
>源:2人だとよ。
>八:たったそんだけですかい? あちゃぁ、こりゃ駄目かも知れねえなあ。
>源:あっちの役人に助太刀して貰うんだろうから、平気だろうよ。
>熊:伝六が付いてりゃ、その辺は上手(うま)くやって呉れるだろう。
>八:しかしな。あの盆暗(ぼんくら)同心の酷(ひど)さってったら折り紙付きだぞ。
>源:まあ、こっちにいる俺たちがあれこれ思案してても始まらねえやな。こっちはこっちで権太と泉州屋の方をなんとかしてこようじゃねえか。
>熊:そうですね。
>八:それと、変な八卦見(はっけみ)も、ですね。

小森幻祥(げんしょう)の方は、あっさり捕まえることができた。
万吉と千吉が上がりこんで説得していた年寄りの家へ御札(おふだ)を配りにやってきたのだ。
腹一杯の飯を食べられるようになって力の付いた兄弟に、敢(あ)えなく組み伏せられたのである。

泉州屋近くを調べていた五六蔵と三吉から、「次の荷が届くのは明日の夜らしい」という報告が入ったのは、その日の夜のことである。
権太は、その荷車に従(したが)って甲州街道を上(のぼ)ってくる筈だという。

>熊:ここまでは、こっちの思惑(おもわく)通りに運んでるようだな。
>咲:なんだかとんとん拍子過ぎて怖いようだけどね。
>八:なんだ? お咲坊は、上手く運んじゃいけねえってのか?
>咲:そうじゃないけど。でもね、一から十まで全部が全部って訳には行かないわよ。世の中そんなに甘くないもん。
>八:そんなこたぁねえさ。なんてったって、おいらが仕組んだ捕り物だからな。
>万:あの。仕組んだのは熊五郎の兄さんなんじゃないですか?
>八:なんだ? 熊んとこの半人前一丁前に喋(しゃべ)ったぞ。・・・こりゃ良いや。なんだか飯を食うようになってから、ちょいとはそれらしくなってきたもんな。
>熊:話を掏(す)り替えるなってんだ。いつお前ぇが仕組んだんだってんだ。
>八:そんなには細(こま)けえことだろ? これっぽっちのことで怒るなってんだ。直(す)ぐに怒ったりすると、人から嫌われるぞ。
>熊:法螺(ほら)吹きよりは増しだと思うぞ。
>八:そこまで言うんだったら仕方がねえ。まあ、ここんとこはお前ぇの顔を立てて半分ずつってことにしといてやる。・・・そんなことより、やっぱり飯はしっかり食わないといけねえってことだよな? 八卦見も捕まえられたしよ。なあ、恐縮千万(せんばん)?
>万:はあ・・・
>熊:こいつ、都合(つごう)が悪くなるといつもこうだ。真面目(まじめ)に取り合ってると疲れるだけだからな、万吉、千吉。
>千:はい。正面(まとも)に取り合わないようにします。
>八:けっ。熊にだけは素直(すなお)なんだからよ。参(まい)っちまう。

お咲の悪い予感は、的中することになる。
伝六の顔を見知っていた権太が、日野(ひの)の宿(しゅく)で、その4人連れを目撃してしまったのである。
権太は荷から離れ、太郎兵衛の元へと蜻蛉(とんぼ)返りして行った。

翌日の夜、小雨の中を待ち構えていた五六蔵が、一番最初に権太の不在に気付いた。
報(しら)せを聞いて15人も集まっていた捕り方が、一斉(いっせい)に荷車に殺到(さっとう)すると、泉州屋の人足どもは殆(ほとん)ど抵抗もせずに召し取られていった。

>五六:親方、権太の奴がいませんぜ。
>源:ちっ。どうやらそのようだ。勘付かれちまったらしいな。
>熊:まったく、悪運の強い野郎だ。
>八:まあ、仕方がねえってことですかね。なんてったって熊が仕組んだことですからね。何から何まで上手く運ぶ筈がねえわな。
>熊:お前ぇなあ・・・
>源:まあ、今日んところは、これで良しとしようじゃねえか。暫(しばら)くは太郎兵衛も大人しくなるだろう。
>五六:こんなに物々しくしちまったのがいけなかったんでやすかね?
>源:どうだろうな。そこまでは分からねえ。・・・ま、なんにしろ、壷の件は方(かた)が付いたってことだ。帰るとしようぜ。
>熊:甚兵衛さんのことがまだですよ、親方。
>源:あ? ああ、そうか。こいつが一番厄介(やっかい)なことだったな。
>熊:どうします?
>源:放(ほ)っとく訳にもいかねえだろう。明日の朝にでも行ってみるとするか。あまり気は進まねえがな。

そして、その翌日。源五郎と熊五郎が2人で甚兵衛の元を訪(おとず)れると、甚兵衛は意外にも快く2人を招き入れた。
床(とこ)の間にあった筈の
壷は、消えてなくなっていた。

>熊:あれ、大家(おおや)さん。あの壷はどうしちまったんです?
>甚:ああ、あれですか。欲しいという方がいらっしゃるとのことでしたので、差し上げました。
>源:でも、あんなに大事にしてたじゃねえですか。
>甚:それはそうでしたがね。あたしも目が覚めましたよ。
>熊:するってえと、全部聞いてるんですかい?
>甚:ええ、聞きました。まったく良くできた女房ですよ、あんたがたの嫁は。
>源:来たんですかい?
>熊:「あんたがた」って、お咲坊もってことですかい?
>甚:そうですよ。2人して来ました。昨日の夕方ですよ。お咲ちゃんからは叱(しか)られてしまいました。
>熊:ほんとですかい? そりゃ、出過ぎたことをしちまって・・・
>甚:いえいえ。元はといえば、ころっと騙されてしまったあたしが悪いんですから。
>源:なんだって言われたんです?
>甚:「あたし思うんだけど、騙されることって悪いことじゃないのよね」と来ました。えっと思いましたよ。そしてこう続けるんです。「片一方の言い分だけ聞いて、もう一方の言い分に耳を塞(ふさ)いじゃうことがいけないのよ」。
>熊:ほう。
>甚:そしてこうです。「年寄りの良いところは、あたしたちひよっこより物を知ってるってことじゃない。2人の話を聞いてもどっちが合ってるか決めることができるの。それなのに、信心がそれを邪魔するものだってんなら、そんなの正しい信心じゃない」ってね。頭の良い子ですね。
>熊:口は悪いですけどね。
>甚:それは良いんですよ、熊さん。その方が、あったかいじゃありませんか。

>源:それで、幻祥のことは、すっぱりと忘れられるってことですかい?
>甚:忘れはしません。むしろ、戒(いまし)めとして覚えておきますよ。お咲ちゃんの言い分に拠(よ)れば、年を取るということは酸いも甘いも十分に噛み分けるということですからね。
>源:成る程。あっしも見習わして貰うことにしやすよ。
>甚:それが良い。・・・あたしも、妄信(もうしん)するということが、どんなに自分の世間を狭くしてしまうものかということに気付きました。大人げもなく怒鳴(どな)り付けてしまったこと、済まなく思っていますよ。
>源:甚兵衛親方、そんなに恐縮(きょうしゅく)しないでくださいよ。こっちだって火に油を注ぐような喋り方をしちまった訳ですから。
>甚:いやいや。お咲ちゃんの言うように、年寄りは軽々しく怒ってはいけないものなんです。今度ばかりは身に染みました。

甚兵衛は、本当に反省しているようであった。
しかし、憑き物が落ちたような顔でもある。
源五郎は、壷があった辺りに目を遣りながら、根塚(ねづか)のご隠居も、甚兵衛親方のように弁(わきま)えを持って呉れれば良いんだがなと、密(ひそ)かに願っていた。

熊五郎たちの住む家は近い方にすることに決まり、後は、万吉千吉の育ち具合いと、熊五郎の決断一つということになった。
準備はすっかり整ったということである。
「雷が鳴って梅雨(つゆ)は明ける」と人は言う。「雨が降るたびに地面は固くなる」などとも言う。
そうして、間もなく、熊五郎にとっての梅雨が明けようとしていた。
(第34章の完・つづく)−−−≪HOME