267.【た】 『大器晩成(たいきばんせい)』
『大器晩成』[=大器は晩成す]
鐘や鼎(かなえ)のような大きな器物は早く作り上げることができない。同様に、真の大人物は、発育は遅いけれども時間を懸けて実力を養っていって、後に大成するということ。
類:●ローマは一日にして成らず●大きい薬缶(やかん)は沸きが遅い
反:●栴檀は二葉より芳し
★「晩成」は、元々は「出来上がらない」という意味。後世に転じて、最後に成るという意味になった。
出典:「老子−41章」 「大方無隅、大器晩成」 <読み下し:大方(たいほう)は隅(ぐう)なく、大器は晩成なり> 無限に大きい四角形は四隅がなく、無限に大きい器は出来上がらない。…以下、無限に大きい音は声がなく、無限に大きな像には形がない、と続く。
出典:
老子(ろうし) 中国の道家書。2巻、81章、5千余字から成る。春秋時代末期、老子の著と伝えられるが、戦国時代における道家思想家の言説を、漢初に集成したもの。その思想は、宇宙間(自然界)に存する一種の理法を道と称し、相対的一時的とする人の道に対して、恒久不変の道とする。一方、人もこの道を模範として無為自然を持することにより、大成を期待し得るとし、行政の簡素を尊(たっと)ぶ無為の治、卑弱謙下を旨とする無為の処世訓を述べる。有に対する無、人為に対する自然を説く思想として後世への影響は著しい。「老子道徳経」。
人物:
老子(ろうし) 中国古代の思想家。道家の祖。古来の伝説によれば、姓は李、名は耳(じ)、字は(たん=一説に伯陽)。春秋時代の末期、周の守蔵の史(蔵書室の管理者)。周末の混乱を避けて隠遁を決意し、西方の某関所を通過するとき、関所役人の尹喜(いんき)に請われて「老子道徳経」2巻(5000余言)を著したという。
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「よう婿殿(むこどの)」と言って、藺平(いへい)は五六蔵を迎えた。「兄弟子さん連れとは珍しいじゃねえか」。
畳(たたみ)の仕替(しか)えの注文が多いらしく、藺平は額(ひたい)に汗して働いていた。
建築不況などどこ吹く風といったところである。

>五六:義父(おやじ)殿のところは景気が良さそうですね。
>藺:年の暮れくらい稼(かせ)がせて貰わねえとな。
>熊:障子(しょうじ)と畳表(たたみおもて)くらいは新しくして新年を迎えたいってのが人情でしょうからね。
>藺:近頃じゃ、それも儘(まま)ならねえってんで、仕事も減ってきちまいましたよ。
>熊:そうですかい? この寒いのに、汗まで掻いてやってるじゃないですか。毎日、働き詰めですかい?
>藺:ここんとこ、ちょっとばかし頑張っちまってるな。押し詰まってから齷齪(あくせく)働きたくねえからな。今のうちに済ませてよ、孫の「鉤助(かぎすけ)」と戯(じゃ)れてえじゃねえか。
>熊:そりゃあ良い心掛けでやすね。
>五六:寒空に汗なんか掻いて、風邪を引かねえでくださいよ。
>藺:優しいとこがあるじゃねえか、家(うち)の婿殿はよ? なあ?
>熊:柄(がら)は悪いですがね。
>五六:熊兄い、そいつは言いっこなしですよ。折角(せっかく)褒められて気分が良いとこなんですから。
>熊:そうだったな。済まねえ済まねえ。
>五六:でも、ほんとのところを言っちまうと、風邪っ引きで来て、鉤助に風邪を移さねえで貰いてえってことなんですよ。赤子から貰う風邪は質(たち)が悪いですからね。
>藺:なんだ、そういうことだったのか。
>五六:い、いえ。義父さんのこともちゃんと心配してるんですぜ。
>藺:まあ良いやな。俺の方だって鉤助に移すなんて気は毛頭(もうとう)ねえからよ。そのためにも、精々(せいぜい)気を付けるようにするよ。
>五六:はあ。済んません。

然(さ)しもの五六蔵も、相手が嫁の父相手では、勝手が違うようである。

>熊:それはそうと、今日は、藺平父(とっ)つぁんに頼みがあって来たんですよ。
>藺:俺にか? 俺なんか、畳を拵(こさ)えるくらいしか能がねえぞ。大工の役には立たねえと思うぜ。
>熊:幅(はば)3寸(=約9センチ)の畳ってのは作れやすかい?
>藺:なんだと? こっれっぱかしの幅だ? そんなの作ってどうするってんだ?
>熊:実はですね、今度の仕事ってのが、座敷2つをぶち抜いて1つにしてえってものなんです。
>藺:ほう。柔術の道場にでもしようってのか?
>熊:違いますよ。なんだとかいう立派な絵師に襖(ふすま)絵を描かせたそうなんです。その襖絵を近所の人なんかに見せてやるんですって。そのために座敷をぶち抜くんだそうで。
>藺:襖絵ねえ。俺にはさっぱり分からねえが、偉い絵師が描いたってんなら見てみてえもんだな。
>熊:ちっとは絵心がありなさるんで?
>藺:そんなもんあるもんか。・・・唯(ただ)な、その道の達人なんだろう? そういう人の作るもんなら、魂(たましい)が篭もってんだろうってことさ。見るだけの価値はある。その絵師の魂だからな。
>熊:へえ。凄(すさ)まじいもんなんですね。
>藺:何を言ってやがる。お前ぇさんたちが建てる家だって、立派に魂が篭もってんじゃねえのか?
>熊:そ、そりゃあ、釘(くぎ)一本だって疎(おろそ)かに打ちゃしませんが。
>藺:そうだろう? お前ぇさんたちがいくら半人前だってったって、同じ鑿(のみ)を使う彫師の仕事の良し悪(あ)しくらいは分かるだろう?
>熊:成る程。
>藺:別に、俺が筆を使う訳じゃねえ。作ってるのも高々(たかだか)、藁(わら)を藺草(いぐさ)で包(くる)んだだけのもんだ。だがよ、高が畳、然(さ)れど畳だ。良い出来(でき)のときもありゃ、そうじゃねえときもある。そんなんでも、年に1枚くらいは惚れ惚れするようなのが仕上がるときがある。そういうのを作るための「骨(こつ)」みてえなもんを掴(つか)まえてえのよ。
>熊:へえ。見上げた心掛けでやすね。
>藺:なあに、まだまだ駆け出し者よ。人様に売るような畳を作れるようになったのも、ついこの間だしな。
>熊:そんなことはねえでしょう? 立派にお三千ちゃんたちを養(やしな)ったじゃないですか。
>藺:何もかも女房の内職よ。俺は親父が死ぬ間際まで、常陸国(ひたちのくに)で藺草作りを手伝ってた。給金なんかなしよ。
>熊:下積みも、そこまで徹底してると凄いもんですね。・・・なあ、五六蔵?
>五六:へい。・・・お見逸(みそ)れしやした、義父さん。

物心付いたら親の仕事を継(つ)いでいたというのが、普通の職人の在り方である。
自分の義父がそのような特殊な職人だなど、五六蔵も初めて聞いた話である。

>藺:それでだ。幅3寸の畳だったな。
>熊:へい。2座敷をぶち抜くとなりゃ、敷居が1本要(い)らなくなるってことです。3寸の余りができちまうってことなんです。
>藺:成る程。そんでその半端な空きを畳で埋めようってのか。うーん、どんなもんかねえ。
>五六:作るのが難しいんでやすかい?
>藺:そんなことはねえ。作ろうと思えば朝飯前だよ。だがな・・・
>五六:何か障(さわ)りがあるんで?
>藺:ある。
>熊:そりゃあ、どういうことなんで?
>藺:間に合わせでやったってのが一目瞭然じゃねえのか? それじゃあ、絵を描いてくだすった絵師の先生に申し訳がねえ
>五六:畳表の色が変わっちまうからってことでやすか?
>藺:そんなちんけな訳じゃねえよ。・・・いいか? 畳の縦の丈(たけ)は、横の2つ分なんだよ。そういう作りなの。それから外(はず)れたもんは、普通の人から見たら畳じゃねえ。違うか?
>五六:そ、そりゃそうでやすね。
>熊:取って付けたように見えちまうってことですか?
>藺:そういうことさ。半端なやっつけ仕事をするっくらいなら、敷居を残しておいた方が増しってもんだ。

>熊:そうでやすね。・・・ねえ友さん、敷居を残しとくって言ったらどう言うと思います?
>友:そうですねえ。「そこが仕切りになったみたいで、そこより近くに入り難(にく)くなってしまうのではないですか?」と、尋ねられるんじゃないでしょうか?
>熊:やっぱりね。それに、敷居の上に座るなんてことは、させたくないでしょうからねえ。
>藺:そりゃそうだよな。大座敷のど真ん中に敷居が1本横たわってるってのは、見て呉れも良くねえわな。
>五六:どうしたもんでしょうかねえ。
>熊:廊下を3寸広げるかってことかなあ?
>五六:障子を3寸ずらすってことですかい? 凸凹になった感じがしやせんか? そっちの方が見て呉れは悪いですぜ。それに、隣の座敷との境(さかい)が変な風になっちまいやす。
>熊:そうか。隣の座敷のことも考えなきゃならねえのか。参(まい)ったな。

>藺:・・・なあ。ちょっと思い付いたんだがよ、聞いて呉れるかい?
>熊:なんでやしょうか? 教えてくださるんならなんでも。
>藺:畳ってのはな、横が縦の半分なんだよ。その1種類しかねえ。
>熊:へい。それはさっき聞きました。
>藺:真四角の部屋にも、長っ細い部屋にもおんなじ大きさの畳が使われている。どういうことか分かるか?
>五六:どういうことなんでやすかい?
>藺:縦向きと横向きの並べ方1つでぴたっと収(おさ)まるようになってるのさ。だから、3寸縮めようって考えるんじゃなくって、2尺9寸と3寸の、3尺2寸(=約97センチ)縮めちまえば良いんじゃねえのか?
>熊:そうか。そういう風にしちまえば、見て呉れはずっと自然なものになる。
>藺:まあ、その座敷ってのが何畳なのかは知らねえがな。
>五六:流石(さすが)藺平義父つぁんだ。伊達(だて)に何十年も畳に関わってる訳じゃねえ。
>藺:褒めてるように聞こえねえぞ。
>五六:済いやせん。
>藺:まあ良いや。どうにか巧くことが運んで、家主(いえぬし)さんが満足してくだすったら、俺にも見せて呉れるように頼んでみて呉れよ。
>熊:へい。承知しやした。

藺平はにっこりと笑った。

>藺:婿殿。
>五六:へ、へい。
>藺:お前ぇもよ、好(い)い年扱(こ)いてから大工になったが、今からでも遅くはねえからな。
>五六:へい。見習(みなら)わしていただきやす。
>藺:俺のことなんか見習わなくたって構わねえよ。源五郎親方の技をじっくり見て、時間を掛けて身に着けりゃ良い。
>五六:そりゃそうでやすが、あんまり時(とき)を掛け過ぎるってのもどうかと思いますぜ。
>藺:良いのよ。職人にはな、勿論(もちろん)腕前も大事だが、その前に身に着けなきゃならねえことが他にもあるんだ。
>五六:そいつは一体(いってぇ)?
>藺:そうさな、端折(はしょ)って言っちまえば「知識」と「人望」だろうな。
>五六:知識と人望、でやすか。
>藺:そうだ。俺の場合は、親父の命令ではあったが、藺草を作ってる人らと仲買人の何人かに守り立てて貰って、どうにかこうにか畳を作っていられる。余所(よそ)より安く売れるってことは仕入れが安いってことよ。安いとなりゃ、つまらねえものを作らなきゃ、客は離れねえでいてくださる。・・・自分の口で言うのもなんだが、そういうのが「人徳(じんとく)」ってやつじゃねえかと、近頃では思っているところよ。悪くねえ話だろ?
>五六:へい。肝に銘じておきやす。
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