261.【そ】 『宋襄(そうじょう)の仁(じん)』 (2004.12.06)
『宋襄の仁』
無益の情(なさ)け。時宜(じぎ)を外れた、役に立たない憐(あわ)れみ。
故事:春秋左氏伝−僖公22年」 中国、春秋時代、宋と楚が戦った時(紀元前638年)、宋の襄公(じょうこう)は先制攻撃を進言した公子目夷(もくい)の言を斥(しりぞ)け、長江の渡河中も動かず、更に渡河した後も「君子は人を阨(やく)に困(くる)しめず」と言って陣形が整うのを待った。敵が布陣を終えるのを待ったばかりに敗れ、亡ぼされてしまった。
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>半:お町(まっ)ちゃんこそ、こんなとこで何やってんだ?
>町:何って、見れば分かるじゃないの。女中の真似(まね)ごとよ。
>半:お前ぇ、午之助(うまのすけ)父(とっ)つぁんの許しを、ちゃんと貰ってるんだろうな?
>町:当たり前じゃないの。こんなこと黙ってできるほど、あたし親から見放されちゃいないわよ。
>半:見放されてるから、夜中まで掛かっても文句を言わねえんじゃねえのか?
>町:うーん、そうとも言うかもね。

半次とお町は、かなり親しい間柄(あいだがら)のように見受けられる。
三吉でなくとも、どういう関わりなのか聞いてみたくなる。

>八:なんだ半次? お前ぇたち、前から知り合いだったのか?
>半:ああ。お町ちゃんの父親(てておや)の午之助父つぁんは、俺の仕事仲間なのさ。
>八:親方ってんじゃねえのか?
>半:ちょいと違うな。今度みてえに仕事が立て込ん二進(にっち)も三進(さっち)も行かなくなるってえと、午之助父つぁんに仕事を回すのさ。そんでもって、父つぁんの方が忙しいときは、こっちにお鉢が回ってくるって寸法(すんぽう)よ。持ちつ持たれつって奴だな。
>八:ふうん。巧くできてやがるな。
>半:なに言ってやがる。お前ぇたちんとこの方がよっぽど巧くできてるじゃねえか。親方格が源五郎親方以外に2人もいて、棟梁だってぴんぴんしてる。大工に至ってはひいふうみい・・・うーんと、何人だ? 兎(と)に角(かく)言うことなしじゃねえか。
>八:成る程。そう言われてみるとそうだな。
>半:なんだよ。手前ぇのことだってのに、まるで人事(ひとごと)みてえじゃねえか。
>八:内っ側(かわ)からだと良く分かんないもんなの。
>半:そういうもんかね。・・・まあ良いや。そんでよ、午之助父つぁんとは、そんな付き合いを始めてから、かれこれ6、7年になるかな。なあ、お町ちゃん?
>町:そんなもんだったかしら? なんだかもっと昔からって気がするんだけどな。
>半:銀杏返(いちょうがえ)しに結(ゆ)い始めたばっかりって言ってたぞ。そんなもんだろ?
>町:そうお? それじゃあ9年だわ。あたし、ちょっとお老成(ませ)だったから、13から結い始めたんだもん。
>半:そうなのか? するってえと、もう二十歳(はたち)を過ぎちまったのか? 早いもんだなあ。

>町:なにをしみじみ言ってるのよ。お酒、飲むんでしょう? お酌(しゃく)してあげるわ。
>八:お、おいらにもお酌して呉れねえのかい?
>町:なに言ってるの。お嫁さんが目の前にいるってのに、そんなことができますか。
>八:そうか。それもそうだな。家(うち)にかえったら、こっ酷(ぴど)くやられちまうもんな。
>三:そんじゃ、おいらには注(つ)いで貰えるのかい?
>町:良いわよ。三吉さんは数少ない独(ひと)り身ですもんね。熊さんにはお目当てがいるそうだし。
>熊:だ、誰がそんなこと言ったんだ?
>町:あはは。やっぱり引っ掛かった。誰もそんなこと言いやしないわよ。あたしの勘(かん)。でも、その慌て振りって、図星を突いちゃったってとこね。どう?
>熊:お、大人(おとな)を揶揄(からか)うもんじゃねえよ。
>町:相手のある人にお酌をするほど馬鹿馬鹿しいことってないもんね。そんなの無駄(むだ)無駄。はい三吉さん、どうぞ。

お町は半次と三吉に3つずつ酌をして、仕事に戻っていった。
それなのに三吉は、少し居心地が悪そうであった。
自分よりお町のことを知っている半次を、ちらちらと盗み見ている。どうやら、色恋絡(がら)みは、ないようであるが。

>四:どこかで材木を買い占(し)めてるところでもあるんでしょうか?
>五六:なんだよ、藪(やぶ)から棒に?
>四:いえね、あんまりにも急に値が上がったもんだから。もっとじわじわと上がるもんじゃないのかなと思って。
>五六:そう言やそうだよな。少しずつ上がってくるんだったら、みんなそれなりの用意ができてるってのによ。
>半:そうだろう? 俺が泡(あわ)食って飛び込んできたのも頷(うなず)けるだろう?
>五六:どうでやすかね、熊兄い? なんか変じゃありやせんか?
>熊:確かにな。おいらたちは友さんから前もって聞いてたから覚悟はできてたが、みんなはそうじゃねえだろうから、慌ててるだろうな。
>八:また鞍馬(くらま)屋みたいなのが出てきたってことか?
>熊:十分に考えられるな。
>八:ようし。そんなら、おいらが尻尾(しっぽ)を掴(つか)まえてやろうじゃねえの。
>熊:どうやってだ?
>八:内房(うちぼう)のご隠居んとこへ行ってくるのよ。前みたいになんか知ってるかもしれねえだろ?
>熊:そうだな。1つの材木問屋くらいじゃ、こんな大々的な値上げはできねえだろうからな。
>四:3つも4つもが絡(から)んでいるってことですか?
>熊:或(ある)いはな。・・・そうなると、悔しいが、おいらたちの手にゃ負えねえってことになるぞ。
>八:なに小(ちい)せえことを言ってやがる。この八兵衛さんの手に負えねえことなんかあるかっての。なんなら、おいら1人でちょちょいのちょいっとやっつけてやるよ。
>熊:こいつ、口だけは立派なんだがな。
>八:半次、大船に乗ったつもりで待ってろ。2、3日で方ぁ付けてやるって。
>半:お前ぇには期待してねえよ。まあ、3日が10日でも、元に戻りゃ良い。こんなのが三月(みつき)も半年も続いてみろ。細々(ほそぼそ)とやってる職人は揃いも揃っ飯(めし)の食い上げだ。

翌日、八兵衛と四郎は内房正道(せいどう)の旅籠(はたご)へ、残りは半次を伴(ともな)って源五郎のところへと、二手(ふたて)に分かれて集まった。
源五郎の元へは、先に友助が来ており、何やら深刻そうな話をしていた。

>熊:親方? 朝っぱらっからどうしたんです?
>源:おお。お前ぇらも来ちまったのか。休んで良いって言ったのに。
>熊:半次んとこが困ったことになっちまったんで、ちょいと話を聞いてやって貰いたいと思いまして。
>源:そうか。まあ上がれ。
>熊:立ち入った話の最中じゃなかったんですかい?
>源:2人じゃどうにもなりそうもねえんで、誰かを呼びにやろうかと思ってたところだ。渡りに船ってところよ。
>熊:そうでしたか。そりゃあ良かった。
>源:八と四郎がいねえな?
>熊:へい。八の野郎、内房のご隠居様が何か知ってるんじゃないかって、押し掛けてってます。
>源:そうか。もしかすると、その線ってのも、強(あなが)ちないとは言えねえな。
>熊:やっぱり、大事(おおごと)なんですかい?
>源:それはなんとも言えねえ。親父の伝手(つて)で山城屋さんあたりに探(さぐ)りを入れに行って貰わにゃならんかもな。
>熊:そういうことなら、おいらと五六蔵で行ってきましょうか?
>源:まあ、そう急ぐこともねえだろう。八と四郎が来るのを待っても罰(ばち)は当たるまい?
>熊:でも親方、八の野郎は昼飯を当て込んで行ってるんですぜ。そんなのを待ってたら日が暮れちまいます。

熊五郎が予想した通り、八兵衛はのらりくらりと世間話を始め、昼時になってやっと材木の話を切り出した。

>内:そうですか。八つぁんも気付いていましたか。流石(さすが)ですねえ。
>八:いやあ、それほどでも・・・。ですがねご隠居様、以前、鞍馬屋っていうとんでもねえ悪(わる)がいたじゃないですか? ああいうのとおんなじですかねえ?
>内:あたしが聞いた限りではそういうことではないようなんです。
>八:どういうことなんです?
>内:上野(こうずけ)の国(=現在の群馬県)にですね五十屋(いそや)という材木運送を請け負っているの大店(おおだな)がありましてね・・・
>八:ほい、出なすったな? そいつですかい、灰汁(あく)どいのは?
>内:そうじゃないんですよ。早とちりしないでください。
>八:違うんですか?
>内:五十屋は信州からの木材を江戸に運ぼうと懸命(けんめい)になって呉れているんです。
>八:それじゃあ、悪いのはどいつなんで?
>内:まだはっきりとは判(わか)らないんですが、百屋(ももや)というところではないかと思います。
>八:「もも」ってのは、川をどんぶらこっていう、あれですかい?
>内:数の百(ひゃく)です。さきほどの「いそや」は、五十と書きます。
>八:へえ、似てますね。関係あるんですかい?
>内:ええ。百屋七右衛門は、五十屋八右衛門の実の兄なのです。

>八:兄弟喧嘩ですかい? そんなのが元で材木が高くなっちまったんですか?
>内:弟の五十屋さんは筋(すじ)を通すお人で、お兄さんのやろうとすることに口を挟めなかったようなんです。悪いことを考えているなということには気付いていたようなんですが、ご本家に歯向かうことが「悌(てい)」に反することだとお思いだったようです。
>八:なんですか、その「悌」ってのは? 料亭の「亭」ですかい?
>内:お兄さんには従順でありなさいという儒教(じゅきょう)の尊(とうと)い教えです。
>八:誰ですか、そんな理不尽(りふじん)なことを決めたのは? そんなことを決めるから、高くならなくても良い材木が値上がりしちまうんじゃないですか。
>内:決めた方(かた)が悪いのではないんですよ、八つぁん。善悪の判断と「徳(とく)」とを混同させてしまったことがいけないんです。善悪を優先させなければ、世の中は可笑しくなってしまいます。・・・ですから、今、五十屋さんは暖簾(のれん)を下ろすかどうかの瀬戸際(せとぎわ)に立たされているのです。
>八:そうさせてるのが実の兄だって言うんですか?
>内:どうもそうらしいのです。困ったことです。
>八:どうなっちまってんですかねえ。おいらにゃ兄弟がねえから分かりませんが、いたら大事(だいじ)にしますよ。
>四:八兄い、おいらたちだって立派な弟分なんですけど。
>八:なに言ってやがる。こんな可愛(かわ)い気(げ)のねえ弟じゃ、大事にしようって気が起きるかってんだ。
>四:こうですからね、ご隠居様。なんとか言ってやってくださいまし。
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