第18章「瘋癲五六蔵の花嫁(仮題)」

164.【く】 『蜘蛛(くも)の子を散らす』 
(2003/01/20)
『蜘蛛の子を散らす』
蜘蛛の子が入っている袋を破ると、子蜘蛛が四方八方に散るところから、大勢の人間が散り散りに逃げ惑う様子。
類:●算を乱す算を散らす
*********

正月(現在の2月上旬)になり、源五郎は数えの42歳になった。つまり「男の本厄」の年である。
昨年1年間を無事に乗り切ったからと、安心してばかりもいられない。
近頃では、母親のお雅が「腰が痛い」の「膝が曲がらない」のとぼやくようになってきているし、父親の源蔵も幾らか耳が遠くなってきている。

>八:親方、また厄祓いに行くんでやしょう? 毘沙門様ですかい?
>熊:また豆撒(ま)きの鬼の役なんかやらされちゃ敵わねえですよ。
>源:誰がそんなことやるかってんだ。思い出すだけで情けねえぜ。
>八:でも、もうあの坊さんはいないんだろ?
>熊:撫道か? そりゃあ、寺社奉行所が出張ってきちまったんだから、もういねえだろうよ。
>八:なら良いじゃねえかよ。・・・ねえ、親方ぁ、行きましょうよ。うちの中で、御節(おせち)を突付いてるだけが能(のう)じゃねえでしょう?
>五六:あっしは飲み食いの方が良いですよ。外は寒いですぜ。ここには火鉢はあるし、姐さんが拵(こさ)えたもんは、どれもこれも美味(うま)いし。
>八:お前ぇは菜々ちゃんのとこへでも行ってろっての。
>五六:そりゃあないですよ。あっちはあっちで、水入らずでやってるんでやすから、何も邪魔するこたあねえでしょう。
>八:何を抜かしてやがる。こっちの方が豪勢だからだろ?
>五六:ばれやしたか? なんなら、松吉共々呼んじまった方が早いかななんて考えたりもしてるんでやす。
>源:構わねえぞ。媒酌をやった以上、他人じゃねえんだからな。盆暮れぐらい遠慮せずに連れてくりゃあ良い。
>五六:ほんとでやすかい? 手土産代が助かりやす。
>八:まったく、ちゃっかりしてやがるぜ。

>五六:そういうことなら、おい三吉、お前ぇの出番だぞ。
>三:またですかい?
>源:まあ、良いじゃねえか。偶(たま)には三吉にものんびり飲ませてやれ。・・・初詣がてら声を掛けてやりゃあ良いじゃねえか。なあ、八。
>八:なんですかい、親方。ってことは、おいらたちだけでこの寒い中に出掛けていくってことでやすかい?
>源:行きたがったのはお前ぇだろ?
>八:そりゃあそうでやすが・・・
>熊:おいらも付き合ってやるよ。・・・まったく。
>八:そんなこと言って、お咲坊にも声を掛けようっていう算段なんだろ?
>熊:ば、馬鹿なことを言い出すんじゃねえよ。おいらは何も・・・
>源:道の序(つい)でだ。松吉に声を掛けて知らん振りは出来ねえだろ? そんなことしたら、あやのやつが許さねえぞ。
>熊:え? 姐さんも一緒に行くんでやすかい?
>源:ああ。瘤付きだ。構わねえだろ?
>八:そりゃあ良い。静(しずか)嬢ちゃんはおいらが面倒を見ちゃいますぜ。
>源:ああ、頼む。その方が俺も助かる。・・・あれのお転婆は誰に似たんだかな。

松吉と菜々は小ぢんまりと正月の膳を囲んでいた。

>菜:おら、親方にあやさん。明日にでもご挨拶(あいさつ)に伺おうと思っていたんですよ。
>あや:挨拶なんて堅苦しいことはどうでも良いのよ。そんなことより、松吉さんにはまだ源太を会わせてなかったでしょう?
>菜:済みません、あやさん。お祝いとかもちゃんとしなきゃならなかったのに、うちの人がどうも無作法で。
>あや:職人さんはそのくらいの方が良いのよ。おべんちゃら言って仕事を取ってきても長続きするものじゃないしね。頑固で偏屈な人で良かったわね、菜々ちゃん。
>松:あやさん、誉(ほ)めてるんですか、貶(けな)してるんですか?
>あや:誉めてるの。・・・でね、五六蔵さんがあっちに混ざらないかって言ってるんだけど、どう?
>松:良いんですかい? だって、真逆(まさか)呼びにきてくだすったって訳じゃねえんでしょう?
>あや:これから、初詣。序でだから。
>源:五六蔵の野郎、「手土産代が助かった」だとよ。
>松:あんの野郎、代理に親方たちを使うなんてどういう神経してやがるんだ?
>源:まあ良いじゃねえか。正月くらい好きにさせてやるさ。・・・こっちにも頼みごとがあるしな。
>松:「頼みごと」ですかい?

六之進とお咲は傘貼りをしていた。

>咲:あら、あやさん。・・・まあ、静ちゃんじゃない。明けましておめでとう。
>静:明けまして、おめでとう、ございます。
>咲:まあ、偉いのね。段々お母さんに似てきて良かったわね。美人になるわよ。
>源:どういう言われようだい。
>咲:ま、親方ったら。そういう意味じゃないわよ。親方の良いところはちゃんと似てくるわよ。源太ちゃんも段々親方に似てくるしね、きっと。
>あや:六さん、お咲ちゃんをちょっと借りても良いですか?
>六:どうぞどうぞ。こんなので宜しければ、用心棒代わりにでも何でも使ってやってください。こっちももう片付きますから。
>咲:やったあ。正月2日だってのに篭もりっきりじゃ腐りそうだものね。・・・どこへ行くの? 八幡様? それとも、毘沙門様に行って豆撒き?
>八:鬼にはならねえからな。
>咲:あら、そうなの? なあんだ残念。見てみたかったのにな。
>八:勘弁してくれよ。あんな豆だって当たると結構痛えんだぜ。
>咲:そうなの? ・・・でも良いわ。あと何年かしたら厄年でしょ? 八つぁんたちの鬼が見られるかも知れないものね。
>八:やらねえったら。

毘沙門天は、詣で客で賑(にぎ)わっていた。
そういう頃あいだったのか、「鬼なし」の豆撒きが、もう始まっていた。

>熊:親方も混じらなくって良いんですかい?
>源:ああ。俺は子供が産まれたばっかりだからって、断っておいた。
>熊:だって、「本厄」ですぜ。
>源:前もって「祈祷料」は払ってある。・・・まったく、ふんだくりやがるぜ。
>あや:仕方ないですよ。去年何事もなかったのはご祈祷のお陰なんですから。
>源:松竹梅の「梅」だぞ。それも、鬼の役をやって値切ってる。そんなんでご利益(りやく)があるのかってんだ。
>あや:何かあってからじゃ遅いですからね。
>八:「空海の先立つ不幸」ってやつでやすね?
>熊:お前ぇ、間違え方も複雑になってきやがったな。
>咲:「後悔先に立たず」って言いたかった訳? 随分捻(ひね)ったわね。
>八:へ? なんだ、そう言うのか?
>熊:本気か? ほんとに食い物以外はからっきしなんだな、お前ぇは。

>源:熊五郎、ちょっと良いか?
>熊:なんでやしょう? 込み入ったことでやすか?
>源:ん? まあな。
>熊:おいらで役に立てることでしたら、なんなりと・・・
>源:実はな、お前ぇに見合いの話が来てるんだ。
>熊:なんですって? お、おいらに見合い話ぃ?
>源:指名されたって訳じゃねえんだがな、「若い衆で、見込みのありそうなのがいたら」っていう条件でな。
>熊:そ、そうでやすか。それで、八じゃなくっておいらってことでやすか。成る程。
>源:それでだ。あやとも話したんだがな。お前ぇにも何かと考えがあるだろうから、今回は別の誰かにしといた方が良いんじゃねえかということになってな。
>熊:お気遣い有難う御座います。ですが、別に、おいらは・・・
>源:お咲ちゃんの前でも、そんなことが言えるか?
>熊:い、言えますとも。
>源:正月早々から、売り言葉に買い言葉みてえなことなんかしたくねえんだよ、俺は。良いから黙って俺の言うことを聞け。・・・これは、俺の命令だ。真逆、逆らおうなんて思わねえだろうな。
>熊:そりゃあ、親方に逆らうことなんか・・・
>源:良し。・・・じゃあ聞くが、お前ぇは誰が良いと思う?
>熊:相手の方にも因ると思うんでやすが、いったい、どんな方なんですかい?

>源:俺も詳しく走らねえんだが、「ちょっとばかし体が弱いんだが、だからこそ逞(たくま)しい男が良い」ってことらしいんだ。
>熊:それで大工ですかい? なんだか簡単過ぎやしませんか?
>源:そんなこたあ結果が出てみねえと分かりゃしねえさ。そうだろ?
>熊:そうでやすね。・・・じゃあ、簡単に言っちまうと、尚更(なおさら)八じゃあ駄目だってことですね?
>源:俺の口からそんなことは言えねえがよ、今回のはあんまり八には向かねえようだな。
>熊:じゃあ誰なら良いって言う・・・、真逆、五六蔵でやすかい?
>源:三吉ってのとはちょっと違うだろ?
>熊:親方、五六蔵っていや、見ての通り、顔を出しゃあ娘たちが逃げ散るっていう風体(ふうてい)なんですぜ。
>源:俺もな、あやのやつにはそう言ったんだがな。「大丈夫ですよ」だとよ。捌(さば)けたもんだよな。女って生きもんはまったく、男にとっちゃ永遠の謎だな。
>熊:そこが良い癖に。・・・冗談は兎も角、こりゃあ大事(おおごと)ですぜ。巧くいったらいったで八の野郎が黙っちゃいねえし。駄目なら駄目で、五六蔵のやつが落ち込んじまう。
>源:八の方は頼む。五六蔵の方は菜々ちゃんとあやが何とかするしかねえ。

>熊:しかしまあ・・・
>源:なんだ?
>熊:親方も人が良いってのかなんて言うのか。頼みごとも偶には断っても良いんじゃねえですかい?
>源:そりゃあ断れるもんは断ってるさ。だがな、大事な弟子に関わることだからな。芽が出るかも知らねえのに、なんでもかんでも断る訳にゃいかねえさ。
>熊:普通の人なら100人が100人とも尻を絡(から)げて逃げ出しますぜ。・・・弟子を持つってことは、存外大変なことなんでやすね?
>源:やっと分かったか。分かったんならとっとと身を固めやがれってんだ。
つづく)−−−≪HOME