160.【く】 『口は禍(わざわい)の門(かど・もん)』 (2002/12/24)
『口は禍の門』[=元・本・基]
うっかり言った言葉が後の災難を招くとうこと。言葉は慎(つつし)しむべきであるという戒(いまし)め。
類:●雉も鳴かずば撃たれまい烏は口ゆえに憎まる口を守ること瓶(かめ)の如くす口から高野●Out of the mouth comes evil. ●Better the foot slip than the tongue.(口が滑るくらいなら足が滑った方が増し)「英⇔日」対照・名言ことわざ辞典
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塩十と竹上を1つの場所に呼び出すお膳立ては、内房老人が整えて呉れることになった。
10日ほど待てば良いのだろうと高を括(くく)ってのんびり構えていた八兵衛の元へ、使いの者が来たのは翌日の夕方だった。

>八:ご隠居のせっかちなとこは相変わらずだな。・・・で? いつどこへ伺えば良いんだい?
>小僧:はい。明日の晩にうちの旅篭へ来ていただきたいと。
>八:旅篭じゃあ、晩飯どきは天手古舞いじゃねえのか?
>小僧:お出掛けになるそうですよ。料亭のお部屋を借りてあるって言ってました。
>八:なんだと、料亭だあ? すると、もしかすると、上等な料理を食わせて貰えるのか?
>小僧:まあ、そうでしょうね。
>八:それからよ、芸子さんかなんかも呼ぶのか?
>小僧:そのようです。
>八:そりゃあ凄(すげ)えや。お大尽様みてえだ。
>熊:お前ぇ、何をしに行くのかすっかり忘れちまってるんじゃねえのか?
>小僧:・・・あの、皆さんには隣りの部屋にささやかな膳を用意するということです。
>八:なに? どういうこった?
>小僧:太市という方を必ず連れてくるようにと念を押されました。その方のための酒席なんだそうです。
>八:おいらたちはお負けか?
>小僧:「頃合いが来たら声を掛けるから、入ってきて爺さんの頭をぽかりとやりなさい」とのことです。それでは確かに伝えましたから。
>八:あーあ、なんだか刺し身の妻になった気分だ。これじゃあ嬉しさも半減だな。
>小僧:あの・・・
>八:なんだまだなんか用か?
>小僧:「駄賃は向こうから貰いなさい」と・・・
>八:なんだと? こんな物足りねえ役を割り当てられた上に駄賃までふんだくろうってのか?

なけ無しの飲み代(しろ)を駄賃に取られて、八兵衛は力なく項(うな)垂れた。

>八:こんなことならご隠居のとこなんかに相談に行かなきゃ良かったな。
>熊:何を言ってやがる。5人もで押し掛けて昼飯をご馳走になったんだ。雀の涙ほどの小銭なんか安いもんだ。
>八:昨日のご馳走より今日の酒代の方が大事なんだよ、おいらは。こんなんじゃ今夜は飲めやしねえじゃねえか。
>熊:お前ぇの分くらい出してやるって。
>八:ほんとか? そりゃあ有難え。地獄に仏ってのはこのことだな。
>熊:大袈裟だな。
>八:大袈裟なもんか。あんまり有難いから、お礼の印に、お前ぇにもぽかりとやらしてやるよ。
>熊:おいらは遠慮しとくよ。
>八:なんだよ。お前ぇも欲がねえな。
>熊:そんなんじゃねえや。お礼するつもりがあるならもっと増しなものを寄越しやがれ。
>八:増しなものってなんだ?
>熊:例えばだな、今度人様から何か貰ったら気前良く全部おいらに呉れるとか、次の飯代を全部持ってくれるとか、まあそんなところだよ。
>八:なんだそんなことで良いのか? 饅頭1個とかぶっ掛け飯屋の代金とかだぞ。まったくお前ぇは欲がねえな。

翌日、只で飲み食いさせて貰えるとあって、太市はご機嫌でやってきた。
同席するのが誰であるかは、着いてのお楽しみということになっていた。

>太:今時奇特な方もあったもので御座いますねえ。話を聞いてくれるだけでも有難いのに、お酒まで飲ませて呉れるというんですから。
>八:隠居の道楽ってやつでしょ。・・・でね、ものは相談なんですけど、もしも土産に菓子折りかなんか出たら、おいらたちにもお裾分けして貰えやせんか?
>太:だってお前さんたちだってご一緒するんでしょう? 土産が貰えるなら皆さんにだって・・・
>八:それがね、ご隠居はおいらたちを一緒に扱ってくださらねえんですよ。精々(せいぜい)煮っ転がしに冷や酒1本ってとこらしいんです。
>太:そりゃあ酷(ひど)い。なんだか、わたしばかり申し訳ないようですね。
>八:まあ、仕方ないことですよ。おいらはそういう場所へ行けるってだけで満足しますよ。
>熊:満足するんなら、分け前を寄越せなんて言い出すんじゃねえ。
>八:だってよ。五六蔵や三吉に、新婚の四郎まで連れてきちまったんだぜ。手ぶらで帰す訳にいかねえだろ?
>熊:何を綺麗事言ってやがる。自分が欲しいだけだろ。

仏頂面の番頭に付き添われて現れた内房老人は、にこにこしながら太市に挨拶した。

>内:これはこれは坂田様、お呼び立てして申し訳ありません。
>太:なんと、内房のご老体ではありませんか。道楽者の隠居というのは貴方でしたか。
>内:如何にも。旅篭の道楽隠居ですよ。さ、部屋を取ってありますので、ご同道ください。お話は道々。
>太:は、はあ。
>内:八つぁん、ご苦労様でしたね。それに、うちの孫に駄賃まで貰ってしまって有り難う御座います。
>八:ありゃあご隠居の孫だったんですかい?
>内:はい。あたしに似ないで素直に育って呉れています。
>八:きっちり駄賃をせしめるあたり、本当に素直で御座いますねえ。
>内:ほっほ。ちょっと意地悪が過ぎましたか? 許してください。遊び心ですよ。後でちゃんと埋め合わせはしますから。
>八:本当ですね? 約束ですぜ。

料亭には、既に先客が来ていた。
事情が飲み込めていない塩十と竹上が、睨み合うかのように端と端に席を占めていた。

>内:遅くなってしまって申し訳ありません。もう一方をお連れしてきたものですからね。
>塩:正道さん、こんな者と同席とは聞いておらなんだぞ。
>竹:拙者とて、このような不愉快な宴とは知りませなんだ。一体なんの魂胆があってのことか?
>内:まあ、酒の席なのですから、何もそのように角を出さずとも良いではありませんか。・・・ご紹介します。こちらは、坂田太市さんです。
>塩:や、坂田。なぜお主が・・・。それに、なんだそのみすぼらしい格好は?
>太:誰に頼っても親身になって貰えず、何を始めても長続きさせて貰えず、今や食うや食わずの暮らしをしております。
>竹:坂田殿の後釜に座ってしまったようで気が引けております。ご高名は兼ね兼ね・・・
>太:それにしては薄っぺらな策を出されたものですね、竹上様。わたしには苦肉の策としか思われませんが。
>竹:なんと。来る早々その言われようはなんですか。喧嘩を売ろうとでもいうのですか?
>内:まあまあ、酒の席で喧嘩腰は無粋(ぶすい)ですよ。皆さん、まあ、一献お干しください。穏やかにお話しようではありませんか。あたしは専(もっぱ)ら聞き役に回りますから。

一方、次の間には、少々見劣りはするものの決して安からぬ膳が用意されていた。

>八:うっひょう、こいつは凄えや。こんな贅沢な料理なんか豊島の紅葉狩り以来だぜ。
>五六:こんな贅沢しても良いんですかい? なんだか夢を見てるようですぜ。
>三:お代は自腹でなんてことじゃないでしょうね。
>八:止せやい。大工にそんな大枚(たいまい)払える訳ねえじゃねえか。ご馳に決まってんじゃねえかよ。
>熊:もしそんなことになったら、八、お前ぇ全部払えよな。そういう約束だろ?
>八:ま、待てよ。そいつはぶっ掛け飯のことだろ? そんなつもりで言った訳じゃあねえんだって。
>熊:なんだと? 自分が言ったことに責任も持てねえのか? お前ぇはそんな好い加減なやつか?
>八:勘弁して呉れよ。そんなことになったらおいら一生掛かったって払い切れねえ。首を括った方が増しだってことになっちまう。
>熊:馬鹿。冗談に決まってんじゃねえか。誰がお前ぇ1人に払わせるかってんだ。無い袖は振れやしねえだろ。
>八:まったく、脅かすなよな。命が縮んだぜ。

そこへ、一層豪勢な膳が1膳運ばれてきて、上座にでんと据えられた。

>八:なあ、誰かもう1人来るのか?
>女中:ええ。どちら様かは知りませんが、然(さ)るところのお武家様がお忍びで見えるそうです。
>八:お武家様?
>熊:真逆・・・
>八:斉(なり)ちゃんか? 来るのか?
>女中:お名前は分かりませんが、間もなくいらっしゃいましたよ。先走りの方がそう言ってましたから。

女中が下がると、正(まさ)に言葉の通り、間もなく「斉ちゃん」が現れた。

>斉:いよう八つぁん。それにご一同。久しいのう。
>八:「久しいのう」じゃありやせんぜ。こんなとこで何をしようってんです?
>斉:何って、決まっているではないか。ぽかりとやるのであろう? その見物にじゃ。わくわくするのう。
>八:かあ、まったく軽いお人だねえ。・・・そんなんで良いんですかい? もっと大事なことがあるんじゃねえですか?
>斉:ぽかりも立派に大事なことだぞ。見事討ち果たした暁(あかつき)には存分な褒美を取らすぞ。
>八:ほんとですかい? やったあ。
>熊:「やった」じゃねえ。そんな恐れ多いものなんか貰うな。
>八:なんだよ。呉れるって言うものを貰わない手はねえだろ? ・・・待てよ。人から物を貰ったら気前良く全部お前ぇにやらなきゃならねえのか? そいつはあんまりにも勿体無え。いや、悔しくって死んでも死に切れねえ。
>熊:大袈裟だな。
>八:大袈裟なもんか。・・・嗚呼、なんであんなこと約束しちまったんだろ。
>斉:なんだか面白そうな話をしておるな。もそっと詳しく話してみよ。ふふ、今宵も楽しくなりそうじゃの。
>八:おいらはひとっつも楽しくねえんでやすけど。・・・とほほ。

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