143.【き】 『木(き)に縁(よ)りて魚(うお)を求(もと)む』 (2002/08/26)
『木に縁りて魚を求む』
1.木に登って魚を捕ろうとするようなものだということで、間違った手段を取っては何かを得ようとしても得られないということ。方法を誤ると何も達成できないということ。
2.見当違いで困難な望みを持つこと。
類:●畑に蛤(はまぐり)
出典:「孟子−梁恵王・上」
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内房正道は、中庭で水を張った盥(たらい)に足を浸(ひた)しながら、西瓜(すいか)を食べていた。
老い先短い年寄りということで、少々の端たなさは大目に見てくださいね」と言って、一同を招き入れた。

>内:おや八つぁんどうしました? 茹で蛸(ゆでだこ)みたいになってますねえ。
>八:ご隠居、その盥の水、おいらにも分けちゃ貰えませんか?
>内:真逆(まさか)飲むんじゃないでしょうね? 足を浸した水ですよ。
>八:飲みゃあしませんが、頭から全部引っ被(かぶ)りたいんですよ。
>内:まあまあ、慌てなさんなって。ほれ、あそこに井戸がありますから、汲(く)んで被った方が効き目がありますよ。
>八:なんだ。早く言ってくださいよ、ご隠居。勢いが余ったら飲んじまうとこでしたよ。
>内:ほっほっほ。・・・源五郎親方とお連れさん方も、ちょいと手足を洗うと、存外(ぞんがい)涼しくなりますよ。ここのところ夕立ちもこないような酷(ひど)い陽気ですからね。
>八:おいらのはどっちかってえと、暑さ負けってより、二日酔いなんでやすがね。・・・そんじゃ、遠慮なくいかして貰いやす。
>源:恐れ入りやす、ご隠居様。・・・序(つい)でと言っちゃなんですが、ご相談事がありやして。
>内:大方そんなことだろうと思いましたよ。
>源:ご明察で。
>内:なあに。八つぁんが大人数で来るときは、決まって面白い問題を抱えていらっしゃいますからね。それに、お武家様に農民の方たちなんて、尋常の取り合わせじゃありませんからね。正直言うと、ちょいと期待してるんです。

八兵衛は頭から水を被った後、勧(すす)められるままに西瓜にむしゃぶり付いた。
「夏はこいつに限りやすねえ」などと、お愛想を言い、本来の目的をすっかり忘れてしまっている。

>竜:拙者は、銚子竜之介と申す。ここな吾作と二郎に一夜の宿を貸したのが縁で、助太刀(すけだち)及び悪代官退治に参画すべく、罷(まか)り越し申した。
>内:ほう、いきなり本題ですか。・・・なるほど。中々面白そうな話ですね。ねえ親方。
>源:いつも面倒なときばっかり現われやして、申し訳ありやせん
>内:なになに、良い暇潰しですよ。・・・あたしはね、ちょいと臍曲がりですから、こういう厄介(やっかい)なことが一等好きなんですよ。さ、吾作さんと二郎さんとやら、お教えいただけますか? お代官様の名はなんというのですかな?
>吾:へい。あの、山口綿四郎様で。
>内:ほう。すると、あなた方は下野の国の人ですか。
>源:知っていなさるんで?
>内:どちらかといえば、那須においでの山口鉄五郎様の名代官振りばかりが聞こえてきますがね。姓が同じでもやってることは正反対だと聞いていますよ。
>竜:「6公4民」などという法外(ほうがい)な年貢を取るというのは、実(まこと)のことであるのか?
>内:ふむ。お定めでは「4公6民」ですね。2割の差は、山吹色にでも化けてしまうんでしょうかねえ。
>八:なんて非道なことをしやがるんだ。・・・ご隠居、懲らしめちまいましょうよ。
>内:まあ、そう慌(あわ)てなさんな。
>竜:確証が掴(つか)めないと駄目だなどと、杓子定規振り翳(かざ)すのではあるまいな。
>内:あたしはそんなことは言いたくないんですが、代官を監察(かんさつ)するのはお役人方ですからね。

>竜:矢張りご老体も、長いものに巻かれる者であるか。
>八:ご隠居、そんなことしてたら、いつになったって退治なんか出来やしませんぜ。
>内:そうですね。それじゃあ、吾作さんたちだけじゃなく、村のみんなも可哀相ですね。
>八:良い手はありやすか?
>内:ここは一つ、鎌を掛けてみますか?
>竜:誰に鎌を掛けるというのだ?
>八:やっぱり斉(なり)ちゃんに決まってやすよね?
>内:そうですよ。だって、そうするのが一番、話が早いじゃないですか。そうでしょう?
>竜:なんだその「なりちゃん」というのは?

内房老人は、「ちょっと待っててくださいよ」と言って、奥へ引っ込んだ。
竜之介と、二郎・吾作は何がどうなるのか分からず、説明を求めたげに源五郎に顔を向けた。
そんな竜之介の間の抜けた顔を見て、八兵衛は密かににんまりしていた。

>源:「ちょっと待ってろ」って仰(おっしゃ)るんです。もう少し待ってみてくださいな、銚子様。
>竜:待ってろじゃ分からぬ。・・・まったく、年寄りというのはすることが悠長で適(かな)わぬ。
>源:そうじゃあねえんですよ。
>竜:何がそうではないというのだ。大方、西瓜で腹が冷えて雪隠(せっちん)にでも行っているのであろう。
>八:おいらがご隠居と初めて会ったのも雪隠なんですぜ。
>竜:やれやれ。
>八:だから、おいらたちは「臭(くさ)い仲」なんでやすよ。へへ。

やがて内房老人は書簡のようなものを手にして戻ってきて、「おーい、番頭さんは居ないかね」と呼ばわった。

>竜:どういうことだ?
>八:ご隠居様はああ見えて、とんでもなく気が短いお年寄りなんですよ。誰かが止めに入ってやらねえと、ずんずん先へ行っちまうんでやすからね。
>竜:待て待て、この吾作や二郎にも断(こと)わりなくか?
>八:恐らく、もう眼中には居ねえでしょうね。
>竜:真逆、この銚子竜之介のことまで無視しようというのではあるまいな?
>八:「無視」ってことはねえでしょうが、あんまり重要視もしてねえかも知れやせん。
>竜:身勝手にも程がある。・・・これ、ご老体。
>内:はい、なんで御座いましょう? 市毛の若師匠?
>竜:な、なんと。拙者を知り居るか?
>内:数多(あまた)ある町道場の中でも指折りと評判ですからな。それに、変わり者ということでも、かなり。
>竜:失敬(しっけい)な。持ち上げて叩き落して、なんとする。
>内:まあ、そう熱くなり召(め)さるな。聞く耳を閉ざしておいでだったので、少しばかり不意打ちをしてみせただけのことですよ。・・・今ご説明しますから、お座りください。
>竜:そのようなことを言って、まやかしの技を弄(ろう)するのではあるまいな?
>内:ほっほ。まだまだお若いですな。そのようなお心で剣を持つと、太刀筋が乱れますぞ。
>竜:なんと。・・・正(まさ)に。これは何たる不覚。うーむ。恐ろしき極意である。
>内:そんなご大層なものじゃありませんよ。ほっほっほ。

竜之介も、反発心を削(そ)がれ、大人しく卓に就いた。

>内:今、文(ふみ)を持たせましたので、夕刻までには返事が参りましょう。
>源:あの、そんな簡単な問題じゃねえと思うんですが。
>内:なあに、あの方の心の擽(くすぐ)りどころくらい心得ていますよ。
>八:ご隠居、斉ちゃんになんだって書いたんでやすか?
>内:「権現様のお膝元で小金を溜め込む黄金虫1匹。取り逃がさば攝津(せっつ)辺(あた)りに巣を構(く)うこと必定(ひつじょう)。内密裡(り)に捕獲者を送りたく、網を一条下賜(かし)されたし。」
>八:なんですかいそりゃ? 山に虫取りに行くってことでやすか?
>内:まあ、そういうところです。
>八:鬼退治でやしょう? 天牛(かみきりむし)かなんかを取りに行く訳じゃねえんですから、網なんか持ってったって仕方ねえじゃありませんか。あんまり変なことばっかり言ってると、耄碌(もうろく)したのかって言われちまいますぜ。
>内:はっは。耄碌してますかね? まったく、八つぁんはいつも正直だから良いですね。
>八:そんなんで良いんですかい? おいら、二郎さんや吾作さんが不憫(ふびん)で不憫で・・・
>源:待てよ、八。通じる人には通じるんだよ、これで。
>八:なんでです? 黄金虫なんか取ったってなんの足(た)しになるってんです?
>源:行くのがお前ぇじゃなくて良かったよ。お前ぇなんか行かしてたら、ほんとに虫集めしをてきそうだからな。
>八:そりゃあ、玉虫なら結構な値段で売れるでしょうがね。
>内:これは良い。・・・八つぁん、そのうち、一緒に玉虫狩りにでも行ってみますか?
>八:何を悠長なことを言ってるんですか、まったく。
>竜:・・・あの、ご隠居様。いったいどちらへ文を遣(つか)わしたんで御座いますか?
>内:だから、家斉(いえなり)様のところへですよ。お城の。

竜之介は絶句した。「う・え・さ・ま・?」と口は動いたが、声にはならなかった。
一旦浮かせた腰をどすんと下ろし、3尺ほど後退(ずさ)って、唯(ただ)額を畳に押し付けた。
八兵衛は、苦手な竜之介に一泡吹かせることができたと、意地の悪い喜びを味わっていた。
二郎・吾作は、意味が分からず、ぽかんと竜之介を見ていた。

>源:ご隠居様。本当に、竜之介さんたちに任せて呉れるとお思いですか?
>内:勿論ですとも。但(ただ)し、銚子先生のことは何も書いてありませんから、「誰に」という訳じゃありませんよ。肝心(かんじん)なことは、余計な若年寄なんかに気付かれることなく、穏便(おんびん)に済ませるかどうかということです。
>源:それじゃあ、やっぱり貯めたもんを賄賂(わいろ)に使っていたって言うんで?
>内:噂(うわさ)はあります。ですが、確かめてはいませんし、確かめるつもりもありません。万が一、逆上(のぼ)せ上がった夢なんかを見ていようものなら
取り返しの付かないことになりますからね。問題は、こちらの遅れが、あちらを益々増長させるということなのです。
>源:あっしらが来たのは、偶々(たまたま)良い時期だったってことですかい?
>内:まあそういうことです、と言いたいところですが、正直言っちゃいましょう。剣術かなんかの試合を名目に、町道場から
めぼしいところを集めようかと考えていたところなのですよ。だから市毛道場のことも、千場道場のことも知っていたんです。当然、そのそれぞれの師範代のことも調べ上げてありました。黙っていて済みませんでした。・・・ですから、銚子殿。申し訳ありませんが、逃(のが)さずに、且(か)つ、生きたまま捕まえて来てくださいますよね?
>竜:はっ、必ず。命に替えましても。
>八:へえ、そんなに凄(すご)いことなんですかい? ・・・ねえ、ご隠居。思うに、その黄金虫ってのは相当な大物なんでやすね?

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