49.【い】 『命(いのち)あっての物種(ものだね)』 (2000/10/23)
『命あっての物種』
何事も命があってこそ成し得るのである。命がなくなればお終(しま)いだということ。
類:●While there's life, there's hope.
★「物種
」は、ものの元となるもの。
*********

三吉の言う通り、徹右衛門は良く小石川後楽園の辺りに出没しているという。
鴨太郎に案内されて、4人は徹右衛門がよく見掛けられるという九八屋(くはちや)という酒亭へと向かった。

>八:なんでえ、この店は昼間っから酒を飲ますのか?
>鴨:昔はそんなんじゃなかったんだがね、山吹色には敵(かな)わねえってことだろうよ。
>八:益々以って気に入らねえ蛸(たこ)野郎だな。蛸の刺身なんか食っててみろ、一皿分喉(のど)に詰まらせて、茹(ゆ)で蛸みてえな真っ赤な顔にしてやるぜ。
>熊:今日は手出しはしねえで、顔を見るだけだからな。
>八:分かってるって。
>三:居るかどうか見てきやしょうか?
>鴨:まあまあ。こういうことはこっちに任せて呉(く)んな。餅は餅屋って言うだろ?
>三:へい。・・・熊兄ぃ、なんだか心強いですね。
>熊:お前ぇ、ほんとに片棒を担ごうってのか?
>鴨:まあ任しときなよ。女中に小銭握らして下世話(げせわ)な噂話をしてくりゃ良いってだけだからよ。
>四:流石(さすが)ですね。様子調べの基本は、下女とか井戸端(いどばた)に居るおかみさん連中のご機嫌を取るところから、ですからね。
>鴨:へえ、あんた意外と分かってるね。自身番(じしんばん)にでもなったら良いんじゃねえのか?
>四:とんでもないですよ。そんな危なっかしいこと、とてもといても・・・。今のまま大工で十分です。
>鴨:惜(お)しいねえ。この辺りで人手が足りねえって言われてたとこなんだがな。ま、仕方ねえか。・・・そんじゃ、行ってくるぜ。

四半刻(しはんとき=約30分)ほどで鴨太郎は戻ってきた。

>鴨:ありゃあ相当嫌われてるな。三月(みつき)に1遍くらいの割で女中に手を出すんだとよ。亭主としても、客だから無下(むげ)には出来ねえ。それを良いことに、酒を注げだの膝枕(ひざまくら)しろだのと命令するらしいんだ。お陰で若い女中が居付かないで困るってぼやいてたよ。
>熊:それで? 徹右衛門は居るのか?
>鴨:ああ、飯時(めしどき)に来たらしい。他の客に迷惑になるから、奥の座敷に押し込めてあるそうだ。ほれ、あそこに百日紅(さるすべり)が咲いてんだろ? あそこだ。
>熊:顔を見られるか?
>鴨:もう少し待ってろ。女中が障子を開けるから、物陰から見てみろ。そこの桜の木の辺りからだと真正面の顔が見えるそうだ。

言葉の通り、間もなく、障子が開いた。50絡みの小太りの女中が顔を出して、鴨太郎に目配せした。
女中が下がると、確かに、末成(うらな)りの男が座椅子にだらしなく座って、酒を飲んでいた。

>三:あいつです。間違いありやせん、徹右衛門です。
>熊:あいつがそうか。
>八:ほんとに軟体動物みてえだな。放っとくと畳にぬるっと零(こぼ)れちまいそうだ。
>四:誰と一緒に居るんでしょうね。
>鴨:吸い付きの章太とかいうけちなごろつきで、上方で掏摸(すり)をしてたって公言してる口の減らねえ野郎だそうだ。
>三:見たことありやす。いつもぴったりくっ付いているようですぜ。確か、もう1人居たようですが・・・
>鴨:烏(からす)の十兵衛っていう章太の子分なんだが、名前は自分で付けたもので、本名は誰も知らねえ。こいつは専(もっぱ)ら喋(しゃべ)りの方だな。お太鼓持ちの役回りをしてるが、本性はさっぱり分からねえ。
>八:吸盤と烏賊の墨か。また巧い具合いに揃(そろ)ったもんだな。
>三:吸盤の方から徹右衛門に近付いたみたいですね。
>熊:騙(だま)し方に拠っちゃ良い金蔓(かねづる)だからな。
>鴨:若旦那なんて、どいつもこいつも世間知らずで、胡麻擦りには滅法弱い。
>八:なあ熊、顔を見られたからもう良いだろう?
>熊:もう少しだ。何を喋ってるのか聞いて来てえ。
>八:よせやい。見付かったらどうすんだよ。
>熊:見付からねえようにするから。
>四:まあ、そういうことは手馴れたおいらに任しといてください。慣れてますから。
>熊:そうか?
>四:はい。皆さんは、帰る振りして門の方へ歩いてってください。ちょいと立ち聞きしてから後を追っ掛けますから。
>三:見付かったらどうすんだよ。相手は巾着(きんちゃく)切りと得体の知れねえ奴なんだぞ。
>八:ふん捕まったら殺されちまうかも知れねえぞ。臆病者のお前ぇにゃ荷が重いんじゃねえか?
>四:そりゃあ、怖いですし、命は大事ですよ。でも、あいつらなら大丈夫ですよ。かなり酔っ払ってるみたいだし、それに、何処(どこ)となく間の抜けた顔をしてますから。

いくらも経(た)たないうちに四郎が息せき切って走ってきた。

>四:面目ありません、見付かっちまいました。
>鴨:奴らは?
>四:はい。章太、だと思うんですが、が飛び出そうとしたところに、徹右衛門が放って置けと言ったんで、追い掛けては来ないと思います。
>熊:顔は見られちまったのか?
>四:丁度庭を見に立ち上がった十兵衛と正面(まとも)に目が会っちまいやして。咄嗟(とっさ)に草毟(むし)りしてるような振りをしたんですが、あまりにも態(わざ)とらしかったんで、諦(あきら)めて駆け出しちまいました。
>八:お前ぇもまだまだだな。
>熊:何がまだまだだ。大工にそんな技量はいらねえだろう。
>八:そう言わたら、そりゃそうだ。
>鴨:全員が見られた訳じゃねえから却(かえ)って良かったかもな。あと少しあそこに居たら全員が見付かってたところだ。面が割れてる俺なんかが居たら構えられちまってたろうよ。
>三:きっと、女を取られた男が仕返しに来たくらいにしか受け取られなかったでしょうね。なんてったって貧弱な男がたった1人だからな。
>四:お前ねえ、随分なことを抜け抜けと
>三:適任者だったって言ってんじゃねえか。人一倍存在感の薄いお前だからできる芸当だってことさ。
>四:誉(ほ)め言葉になってねえっての。
>八:まあまあ。・・・そんなことより、どんなこと喋ってやがった?
>四:へい。かなり際どいことを言ってました。
>熊:なんだって?

>四:お萩とお菊と桔梗はどうしようかって言ってました。あまりしつこいようだったら片付けちまおうかと。
>鴨:なんだと? 片付けるたあどういうことだ。
>熊:そう怒鳴るなよ。言ってるのは四郎じゃなくて徹右衛門なんだからな。
>鴨:そうか。済まねえ。しかし、人殺しの算段だろ? 聞き捨てならねえじゃねえか。
>四:あんたたち後腐れなく処分しちまえるかい? って聞いたら、1人が、訳ありまへん、お茶の子さいさいですわって。
>三:そいつが十兵衛でやすね、きっと。
>四:そうしたら、お菊は特に綺麗だから、お菊の子だけは、産ませて引き取っても良いんだけどなあとも言ってました。
>熊:お萩と桔梗は殺めちまっても良いてことなのか? とんでもねえ野郎だな。
>四:お菊に似た女の子が生まれると良いなって。
>熊:それで合点が行ったぜ。お萩に向かって、女なら祝言(しゅうげん)を挙げてやるって言った訳は、そういうことだったんだな。
>八:どういうことだったんだ?
>熊:母親似の可愛い娘が欲しいってことだよ。
>鴨:徹右衛門の野郎、いかれてるんじゃねえのか? 赤ん坊は人形じゃねえってんだ、まったく。
>三:それじゃなんですか? お菊という娘が男の子を産んだら、稚児(やや)諸共(もろとも)ざんばらりですか?
>熊:話し振りからするとそうなんだろうけど、どうかな? 酒の勢いで言ってるだけかも知れねえしな。
>八:でもよ、万が一本気だったらいけねえだろう? 聞いちまった以上、未然(みぜん)に防(ふせ)いどかなきゃなんないよな。
>鴨:八つぁん良いこと言うねえ。・・・気に入った。この一件は俺が責任を持つ。好きなようにやって呉れ。
>八:有り難ぇ。刃傷沙汰(にんじょうざた)になったら頼むぜ。なにしろ、こちとら嫁取り前の大事な体なんだからよ。
つづく)−−−≪HOME