47.【い】 『犬(いぬ)の遠吠(とおぼ)え』 (2000/10/09)
『犬の遠吠え』[負け犬の〜]
臆病者が陰で空(から)威張りしたり、他人の陰口を叩いたりすること。
類:●犬の長吠え●犬の逃げ吠え
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お夏が言うには、堺屋の若旦那は確かに徹右衛門(てつえもん)だという。
それから、孕(はら)まされたのは、お夏の家の近所に住むお萩(はぎ)に違いないらしい。
徹右衛門の了見(りょうけん)が本当にその通りだとすると、見過ごしにはできないわねと、悪戯(いたずら)っぽく笑った。

>熊:おいおい、なんか良からぬことを考えてるんじゃねえだろうな?
>夏:あたしが? 滅相もない。小娘1人が何かしようってったってどうなるもんでもないでしょう?
>熊:そりゃあそうだが・・・
>二:だがよ、懲(こ)らしめてやれるんだったらおいらも一口噛(か)むぜ。
>夏:あらやだ。2人になっちゃった。
>熊:おいおい。
>八:なあ熊。乗り掛かった船だ。おいらたちも混ざろうじゃねえか。
>五六:あっしも。
>八:お前ぇは田舎(いなか)に帰るんだろ? 後のことはおいらたちに任せとけば良いの。
>五六:それじゃあ、三吉と四郎を混ぜてやっておくんなさい。どうせ暇でしょうから。
>八:決まり。これで、2の4のと・・・
>夏:6人。お咲ちゃんも入れて7人。とっても良い人数ね。
>熊:おいおい、勝手においらまで入れるなよ。
>夏:良いじゃない。お咲ちゃんなら二つ返事よ。そうしたら熊お兄ちゃんもやらない訳にいかないでしょ?
>熊:お前なあ、大概にしとけよ
>八:良いじゃねえか。相手は男の風上にも置けねえ蛸(たこ)野郎だぞ。
>夏:女の敵よ。
>熊:どうあってもか?
>一同:当然。

お咲にはお夏が翌日声を懸けておくから「だるま」に集まって作戦を練(ね)ろう、ということで話は纏(まと)まった。
熊五郎は、五六蔵の帰省(きせい)の件で親方を説得しなくてはならないからどうなるか分からないぞと言ったが、八兵衛は、そんなのはちょちょいのちょいで済むし、どうせ見送りなんかしないんだから、問題ないと言い切った。

>熊:見送りは要(い)るだろう?
>八:おいらたちは、路銀(ろぎん)の工面(くめん)の口添えだけしてやりゃ良いの。な、五六蔵?
>五六:少しばかりなら蓄(たくわ)えも有りやす。ほんの少し早めに切り上げさせて貰って、明日のうちに浦和辺りまで行ければ何とでもなりやすから。
>熊:そうか?
>八:じゃあ決まりだな。
>五六:遠く信州の地で、やっこさんがどんな吠え面を掻くか想像して北叟笑(ほくそえ)むことにしやす。

その晩は、お夏が仕舞う乾(いぬい)の刻(=21時頃)にお開きとして、一行はそれぞれの住処(すみか)へと散った。

>熊:なあ八よ、懲らしめるったってよ、ちょいと恥を掻かせるくらいのもんだよな。
>八:おいらは、それじゃあ足りねえと思うぞ。徹底的に痛め付けて二度とそんな真似(まね)の出来ねえようにしねえとな。
>熊:お前ぇ、半分やっかみが入ってねえか?
>八:あたぼうよ。こちとらここんところずっと女日照だってのによ。
>熊:情(じょう)で動いてたら、歯止めが利かなくなるぞ。弾みで殺(あや)めちまったなんてことになったら死罪だからな。
>八:大丈夫だって。それを止めるためにお前ぇがいるんじゃねえか。
>熊:人を道具みてえに言うな。
>八:まあまあ。どっちにしたって、殺すの死ぬのってのは無しにしようぜ。
>熊:ご政道を外れるようなこともな。
>八:そこんところはよ、ちょっとのことだったら目を瞑(つぶ)って貰おうぜ。蛸野郎以外に困る奴が出なきゃ良いんだろ?
>熊:そりゃあそうだが、良いのかな?
>八:そのくらいのことなら仏様も許して呉れるだろ。
>熊:手前勝手だな。・・・でも、ま、そこまでお堅いこと言ってたらなんにも出来やしねえか?
>八:そうそ。

翌朝、熊五郎と八兵衛は早目に出掛けていって、五六蔵の帰省の件を片付けた。
そういうことならと、源五郎も一切を了解して、「路銀に香典を付けて持たせるから出掛け前に寄らせるように」と、言付(ことづ)けた。

>熊:少し心が痛むな。
>八:強(あなが)ち嘘じゃねえんだから、気にするこたぁねえさ。
>熊:縁起でもねえことをしゃあしゃあと良く言うね、お前ぇも。
>八:気にするなよ、信州まで聞こえやしねえって。
>熊:そういうことじゃねえだろう。

>熊:なあ、1つ気になってることがあるんだ。
>八:なんだ?
>熊:おいらたち、まだ1回もその徹右衛門って奴に会ったこともねえんだよな。
>八:それがなんかいけねえことか?
>熊:気が乗らねえんだよな、見たこともねえ奴を貶(おとし)めるのって。卑怯(ひきょう)だとは思わねえか?
>八:そう言われちまうとそんな気にもなるけどよ・・・
>熊:なんだかよ、弱虫が寄り集まって苛(いじ)めっ子の陰口を叩いてるだけみたいでよ。
>八:弱虫ってのはなんにもしねえで泣き寝入りしてる奴のことを言うもんだ。ほんとに事を起こす奴は弱虫なんかじゃねえの。そうだろ?
>熊:お前ぇ、偶(たま)には良いこと言うね。
>八:馬鹿言え、自分のことを負け犬だって思いたくねえだけだ。
>熊:照れるなって。
>八:なあ知ってるか? 負け犬ってのはよ、一度負けたことのある相手に出くわしちまったとき、そろーっと、追い掛けられても逃げ切れるだけの間合いに出てよ、その間合いの外からぎゃんぎゃん吠え立てるんだとよ。
>熊:逃げながら「覚えていやがれ」っていうのと一緒だな。
>八:自分は弱いですって吠えてるみたいじゃねえか。そんなの、おいらはやだな。

>熊:そいつが大店の若旦那だって分かってるから後込(しりご)みしてるんじゃねえが、やっぱり、会ったこともねえ奴のことは悪く言いたくはねえな。
>八:お前ぇもお堅いね。よし分かった、こうしよう。五六蔵を見送るからとかなんとか言って出掛けてって、序(つい)でに堺屋を覗(のぞ)いてこよう。
>熊:居るとは限らねえが、気休めにはなるだろう。
>八:どうせなら本当に五六蔵を見送ってやろうか? 方角も一緒だし。
>熊:なんだよ、見送りなんか無しだって言ったのはお前ぇじゃねえか。
>八:なんだか夢見が悪くってよ。もしもってこともあるからな、見納(みおさ)めってことにならないとも限らねえし。
>熊:縁起でもねえ。
>八:一寸先は闇ってことよ。五六蔵が追い剥ぎに襲われるかもしれねえし、蛸の徹公が目の前に飛び出してくるかも知れねえし、何がどう転がるかなんて仏さんの思(おぼ)し召(め)し次第ってことよ。
>熊:分かったようなことを言うじゃねえか。
>八:何言ってやがんが。お前ぇの受け売りじゃねえか。
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