304.【ち】 『塵(ちり)も積もれば山(やま)となる』 (2005.10.03)
『塵も積もれば山となる』
ごく僅(わず)かなものでも、数多く積み重なれば高大なものになるということの喩え。小事を疎(おろそ)かにするなという戒(いまし)めの意味を込めても使う。
参照:大智度論−九四」「譬如積微塵成山、難可得移動」
類:●九層の台は累土より起こる積羽舟を沈む滴り積もりて淵となる●Light gains make heavy purses.(僅かな収益が重い財布を作る)―フランシス・ベーコン<「英⇔日」対照・名言ことわざ辞典
出典:大智度論(だいちどろん) 大品般若経(摩訶般若波羅蜜経)の注釈書。100巻。竜樹著と伝える。サンスクリット原典は現存しないが、鳩摩羅什(くまらじゅう)が、405年に、10万頌に及ぶ原典のうち初めの34巻を全訳し、残りは抄訳したという漢訳がある。空(くう)の立場に立ちながら肯定的に諸法実相を説き、大乗の菩薩道を明らかにする。引用文献が多く、解説がくわしく、仏教百科の役割を兼ねる。別称、『摩訶般若釈論』。
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翌日、熊五郎が仕事に行っている間に、お咲はせっせと荷造りを進め、大八車の手配も済ませていた。
そして、あろう事か、例の「大金餅(おおがねもち)」の包みを6つ買い込んできていた。
1つ4文(約80円)の大福(だいふく)を4つの詰め合わせにしても16文(約320円)である。

>熊:合わせたって1差し(100文を紐で差したもの)にもならねえんだぞ。そんなんで良いのか?
>咲:良いに決まってるじゃない。だって、みんな大好きよ、「金太楼(きんたろう)」の大福。
>熊:そりゃあ女房連だけだろう? 与太郎や太助に確かめた訳じゃねえんだろう?
>咲:あの2人は、食べ物ならなんだって良いのよ。
>熊:それじゃ、定吉は?
>咲:定ちゃんだって、どうせ近いうちに出てっちゃうのよ。安上がり手っ取り早いのを使ってあげれば、定ちゃんだって後々助かるわ。
>熊:なんだと? 定吉も出てくってのか?
>咲:今直(す)ぐって訳じゃないわよ。お杉さんの方が落ち着いたみたいだからって。なんでも、1部屋宛(あて)がって貰えるかも知れないんですって。大したもんよね、町火消しの小頭(こがしら)ともなると。
>熊:いつの間に丈二(じょうじ)の奴は小頭になりやがったんだ?
>咲:梅雨(つゆ)の頃らしいわよ。・・・ほら、今年の梅雨は暑かったじゃない? それで頭(かしら)が疲れちゃったらしいのよね。暫(しばら)くの間だけってことで、小頭2人でやるみたいよ。
>熊:へえ。よっぽどお杉坊の尻の叩き方が巧(うま)いんだな。
>咲:そうかもね。なんてったって、亭主を操(あやつ)るのは女房の役目だもんね。
>熊:おいおい。
>熊:亭主が立派になるかどうかは、女房の腕に掛かってるってことよね。腕が鳴るわね。
>熊:そう張り切るなってんだ。そっちが張り切り過ぎると、こっちが萎(しぼ)んじゃうもんなの。
>咲:あら、そうなの?
>熊:2人合わせてどうにか一人前。そういうつもりで凸凹(でこぼこ)しながらやってきゃ良いの。
>咲:ふうん、そういうもん? なんだか物足りないな。

張り切るんだったら、弟子の面倒(めんどう)見とか、身代(しんだい)の預(あず)かりとか、そういうことに力を注いで呉れれば良い。
大まかではあるが、それが、熊五郎の望みである。
しかし、お咲にはお咲の目標がある。熊五郎の望み通りになどなろう筈もない。

>咲:ま、良いわ。先は長いんだし、そういうことはちょっとずつ決めてけば良いことだもんね。
>熊:まあな。今から決めようったって、どうこうなるもんじゃねえやな。・・・そんなことより、1家族に16文ぽっちってのは、やっぱりどうかと思うぞ。
>咲:そんなことないって。「気は心」よ。後からだって、世話(せわ)を焼きに来てあげれば良いんだもの。近いしね。
>熊:それとこれとは別だろう?
>咲:うーん。・・・それじゃ、こうしましょうよ。万ちゃんと千ちゃんが越してくるときの「引越し蕎麦(そば)」は、ちょっと豪勢なのを取ってあげるの。どう?
>熊:なんだか小手先の誤魔化(ごまか)しみたいで、おいらはあんまり気が進まねえな。でも、まあ、何もねえよりは増しか。
>咲:そういうこと。はい、決まりね。
>熊:なんだか上手(うま)く丸め込まれてるみたいな気がするがな。
>咲:良いの良いの。これから何かと物入りになるんだもの。出てくものは抑(おさ)えなきゃね。
>熊:そりゃ、後先を考えるのは良いことだが、一応は祝い事なんだぞ。けちが付きゃしねえか?
>咲:あら、つまらないことに験(げん)を担(かつ)ぐのね?
>熊:そうじゃねえが、なんてぇか、礼儀だろ? 世話んなったんだからよ。
>咲:そんなの気にすることないわよ。どうせ餞別(せんべつ)なんて出やしないんだし、その分を差し引いといたってことにすれば良いじゃない。
>熊:勘定高いって思われちまうな。
>咲:締(し)まり屋ってことよ。・・・でもね、がめついって思われたって構(かま)いやしないわ。少しずつでも、こつこつ貯めて、万ちゃん千ちゃんに家(うち)を持たしてやるんだもの。

一家を成す」ということが、武家にとっては大きなことなのであろう。仮令(たとえ)それが、大工の一家であっても。
それは、裏を返せば、弟子になら銭金を惜(お)しまないという決意である。
そこまで言われては、熊五郎も言い返す言葉がない。むしろ、その決意には、労(ねぎら)いの言葉を掛けるべきなのであろう。

>咲:あ、そうだ。竜(りゅう)さんの方の引越しに、万ちゃんと千ちゃん借りても良いでしょう?
>熊:あ、ああ。そうだったな。まあ、こっちは直ぐに済んじまいそうだからな。良いだろう。その代わり・・・
>咲:分かってるって。力が湧(わ)きそうな朝御飯でしょう? 浅蜊(あさり)御飯よ。凄(すご)いでしょ。
>熊:張り込んだな。宜しく頼むわ。

>咲:・・・いよいよね?
>熊:なんだか忙(せわ)しくて、目が回るようだな。なんだか、明日が祝言(しゅうげん)って気がしねえな。
>咲:でも、そうなのよね。
>熊:ああ。・・・だがよ、用意の方はどうなってるんだ? 親方は「お前ぇはそのまんま来れば良い」なんて言っていなすったが。
>咲:それで良いんじゃない? 紋付(もんつ)きってったって、紋がないんじゃ珍妙(ちんみょう)なだけだもんね。
>熊:お前ぇもずばりと言うねえ。家紋なんてもんは、どうせ飾りだろ? 巴(ともえ)でも縫(ぬ)い付ければ十分だろ?
>咲:そうよね。大工に家紋も何もないもんね。
>熊:一応聞いとくが、六さんの紋はなんなんだ?
>咲:「竹に雀」。
>熊:なんだそりゃ?

>咲:知らない。謂(いわ)れなんてどうだって良いじゃない。・・・ねえ。父上の紋付きが一揃(ひとそろ)えあるんだけど、明日はそれを着てみて呉れないかしら?
>熊:おいらがか?
>咲:父上が喜ぶと思うのよ。これっき金輪際(こんりんざい)で良いから。
>熊:でも、お前ぇの方との釣り合いってもんがあるだろ? 白無垢(しろむく)かなんかなら、話は別だが。
>咲:用意して呉れてるみたいなの、お婆ちゃんが。
>熊:なんだと? 大女将(おかみ)さんがか?
>咲:そう。それに、あやさんのとおんなじような鏡台も。松つぁんが仕上げて呉れたみたい。
>熊:なんだと? まったく魂消(たまげ)ることばっかりだぜ。
>咲:呆(あき)れた? 黙(だま)ってたこと。
>熊:そういう訳じゃねえさ。聞いていようがいまいが、どうってことはねえ。それより、お前ぇに嫁入りみたいな格好をさせてやれて、有り難(がて)えと思う。
>咲:そう言って貰えると思った。・・・それじゃ、着て貰える?
>熊:分かったよ。
>咲:実を言うと、父上ったら、そういうことになるかも知れないからって、土用(どよう)の頃に虫干ししてたのよね。なんだか、切なくなっちゃったわよ。これで、顔向けができそうよ。
>熊:喜んで呉れりゃ、おいらも嬉しいさ。
>咲:それもこれも、みんな親方たちのお陰よね? ほんと、足を向けて眠れないわね。
>熊:まったくだな。
>咲:恩返しもしなきゃね。
>熊:力も銭も、世間の評判もねえおいらたちにゃ、今直ぐどうってことはできねえがな。
>咲:そんなの纏(まと)めてどーんと返すってもんじゃなくて良いのよ。3日に1回でも、少しずつ何かを返していければ、それで良いわよ。物じゃなくって気持ちでも良いの。
>熊:そうだな。形のあるもんで返そうなんてしたって、逆に気を使わせちまうかも知れねえもんな。
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