286.【た】 『立(た)て板(いた)に水(みず)』 (2005.05.30)
『立て板に水』
1.水の流れが速いこと。一般に、「早い」・「速い」などの比喩として使う。
2.すらすらと良く喋(しゃべ)ること。弁舌が流暢(りゅうちょう)なこと。滔々(とうとう)と立て続けにものを言うこと。
 用例:狂・伊呂波「そのやうに立て板に水を流すやうに仰せられては、え覚えませぬ」
類:●立て板に豆●懸河の弁
反:●横板に雨垂れ
*********

五六蔵には、そう遠くない将来にお咲と一緒になって、独立することになるのだと説明した。
五六蔵は、展開の速さに舌を巻きながらも、祝辞を述(の)べた。
万吉と千吉は、誰に躾(しつ)けられたのか、熊五郎と五六蔵から3歩後ろから、影を踏まないようにして付いてきた。
「どこぞの先生って訳じゃねえんだからよ」と五六蔵が嗜(たしな)めると、恐れを成して、更に3尺(=約91センチ)退(しりぞ)いて付いてくる。

>熊:そんなに怖がるなよ。こう見えてもこの五六蔵は、傷付き易いんだからな。
>五六:そうは見えねえなんて言うなよ。
>万:あ、あの・・・
>熊:なんだ?
>万:ちょっとお尋(たず)ねしても良いですか?
>熊:良いともよ。お前ぇたちの当面の仕事は、聞くことと真似(まね)することだからな。
>万:それじゃあ、お聞きします。・・・あの、私たちみたいな骨と皮みたいなのを使って貰えるんですか?
>熊:太っていようが痩(や)せていようが、そんなのどっちでも構わねえさ。どうしてそんなこと聞くんだ?
>万:だって、源五郎親方といい五六蔵さんといい、頑丈(がんじょう)そうな方ばかりですから。
>熊:顔が、だろう?
>五六:そりゃぁ言い過ぎでやしょう、熊兄い。
>熊:そうか? まあ、そうだな。親方のこと、あんまり酷(ひど)く言っちゃいけねえよな。
>五六:そういうことじゃねえでしょう。こいつが聞いてるのは、身体(からだ)つきがどうかって話でやしょう?
>熊:そうだったな。・・・そのうち四郎ってのに合わせてやるが、四郎はお前ぇたちより痩せてるぞ。そんなこと気にしてたって仕方ねえよ。
>万:そうですか。一安心です。

>熊:お前ぇなあ、ほんとに聞きてえのは、そんなことじゃねえんじゃねえのか?
>万:え? ええ、まあ。
>熊:回り諄(くど)くしたって、時ばっかり無駄(むだ)になるだけだぞ。暫(しばら)くの間は、猫の手も借りてえほど糞忙(くそいそが)しいんだ。
>万:は、はい。

>千:それじゃあ、私の方から聞きます。・・・お咲さんという人は何者なんですか?
>熊:な、なんだ藪から棒に。
>千:唯(ただ)の町娘とは思えません。擦(す)れ違ったお武家様に「お子は出来ないんですか?」やら「まだまだ若いんだから、頑張っちゃえば」などということを、平気な顔で仰(おっしゃ)るではありませんか。
>熊:ああ。小豆(しょうど)の旦那のことだな? あのお人とはちょいとした関わりがあってな。そういう付き合いをさせて貰ってるのさ。
>千:熊五郎親方もですか?
>熊:お、親方なんて呼ぶなよ。こそばゆくって仕方ねえじゃねえか。
>千:はあ。・・・それでは、熊五郎の兄さん?
>熊:兄さん? まあ良いや、なんだって。・・・ちょいとした行き掛かりで、養子縁組みを纏(まと)めてやったのさ。奥方様付きのな。
>万:それだけですか?
>千:そうですよ。とてもそれだけとは思えません。一緒にいた商人(あきんど)の手代(てだい)風体(ふうてい)の人とも、随分馴れ馴れしく話しておいででした。
>熊:そいつはな、旦那の養子で磯次郎って奴だ。目付きが少しきついけど、お頭(つむ)の切れそうな感じだったろう?
>千:そうです。・・・でも、どうしてお武家の養子がお店者(たなもの)など?
>熊:薬師(くすし)になるんだとさ。園部屋って薬種問屋で厄介(やっかい)になってる。
>万:でも、そのようなご立派な人に向かって「あんた」呼ばわりなど、できるものですか?
>熊:間にお夏っていう名の娘が絡(から)んでるのさ。磯次郎の喧嘩仲間だ。
>万:「喧嘩仲間」ですか?
>熊:そうだよ。お夏坊が医術で人助けして、磯次郎が薬で人助けをするんだと。まったく、見上げた若造どもだ。

>千:そんな方たちとお仲間なんですか? 凄(すご)いです。
>熊:凄いってったって、しがねえ傘貼り浪人の娘じゃ、どうもこうもねえじゃねえか。
>万:それじゃ、お咲さんは、矢張(やは)り武家の出ですか?
>熊:「矢張り」ってお前ぇ、真逆(まさか)お前ぇたちもか?
>万:そうなのです。
>熊:それなのに大工になろうってのか? ・・・本気なのか?
>万:本気ですとも。そのことは、源五郎親方にも甚兵衛棟梁(とうりょう)にも明言してあります。
>熊:甚兵衛爺さんが間に入ってるのか? ・・・なんてこった。
>五六:熊兄い、先(せん)だっての但馬(たじま)屋さんのときといい、なんだか怪しいですねえ。
>熊:狸爺(たぬきじじ)いめ。手の込んだことして呉れたじゃねえか。

ここでも「武家の出」である。 源五郎が頑(がん)として八兵衛じゃなしに熊五郎に付けた訳が、やっと分かった。
お咲が女将(おかみ)となって抱(かか)えるのであれば、万吉と千吉も働き易かろうということである。
(しかし)と、熊五郎は考えた。(これでおいらが一本立ちしたら、武家の出ばっかりの大工になっちまいじゃねえか。)
確かに、世も末である。

>熊:まあ良いや。お前ぇたちが武家の出だって分かって、おいらもちっとはやる気が出てきたよ。
>千:身分とかそういうことは、それほど気にしませんか?
>熊:気にしてなんかいられるかってんだ。こっちはその浪人の娘と一緒になろうってとこなんだぞ。それに、身分なんかに一々拘(こだわ)ってたら、五六蔵たちと一緒に働いてなんかいられるかってんだ。こいつらなんかな、元は立派な破落戸(ごろつき)だったんだぞ。
>五六:なんだか妙な言われようでやすね。
>万:ほんとのことなんですか?
>五六:本当だとも。源五郎親方が拾ってくださらなかったら、今頃、市中引き回しの挙句(あげく)に獄門だな。
>熊:因果(いんが)なもんだよな。破落戸上がりを兄弟子(あにでし)に持って、兄い兄いって呼ばなきゃならねえんだからな。
>五六:嫌なら「兄い」なんて呼ばなくたって良いんだぜ。俺は源五郎親方の弟子で、お前ぇたちは熊兄いの弟子ってことになるんだからよ。
>万:い、いえ。大工仕事を教えて貰う以上、兄弟子には違いありませんから。
>千:宜(よろ)しくお導きください。

この言葉遣(づか)いに慣れるには暫く掛かりそうだなと、熊五郎は覚悟した。
まあ、こんな仲間ばかりというのも、そう悪いものでもない。
友助は未だに商人口調が抜けないし、三吉もどことなくがらっぱちなところが残っている。そして、極め付きは五六蔵の破落戸口調である。
時間が解決することなのだろうと、そう割り切ることにした。

>熊:お前ぇたち、話によると、仕口(しくち)と継ぎ手についちゃ詳しいんだってな?
>万:はい。祖父がそんなことに興味を持ちまして。
>千:作事(さくじ)奉行所で書役(しょやく)のようなことをしていたようなのですが、仕口の妙に魅入(みい)られてしまったそうです。
>万:終(しま)いには詳しいという棟梁にへばり付いて、根掘り葉掘り聞いて回ることに時を費(つい)やすようになり、見兼ねたお奉行様から暇を出されたということです。
>五六:そりゃぁまた・・・
>熊:お父上はどうしたんだい?
>万:復職(ふくしょく)叶(かな)わず、木(こ)っ端(ぱ)拾いのような真似をしています。
>千:細々とは、私たちの暮らしのことを言うのです。
>五六:寂しいこと言うなよ。それだけでかく育てて貰えりゃ文句なんか言えねえだろう?
>千:でも、力が湧きません。材木を担(かつ)ぐことだってできるかどうか。
>熊:それじゃあ、暫くは親方んとこで飯を食わせて貰うんだな。そうすりゃ、ちっとは力も付くだろう。
>万:許して呉れるでしょうか?
>熊:ああ。そういうことは断ったことのねえお人だ。安心しな。
>万:それは助かります。

>熊:それはそうと、お前ぇたちは鑿(のみ)とか鋸(のこ)を握(にぎ)ったことはあるのか?
>万:いえ。一度も。
>千:でも、仕口の切り方は全部頭に入ってます。
>熊:ほう、そりゃあ良い。五六蔵なんか4つくらいしか知らねえぞ。
>五六:今んとこそれでもどうにかなってやすからね。
>熊:試(ため)しに、1つずつ口で講釈してみろ。
>万:はい。それじゃあ、私が『はな栓(せん)』を、千吉が『蟻形下げ鎌』を講釈します。
>五六:なんでやすか、そりゃ?
>熊:お前ぇが知らなくっても良い。あんまり使うことはねえからな。・・・まあやってみろ。

万吉と千吉が、材木の形、削(けず)り方、用途などについて、手際(てぎわ)良く、一度も閊(つか)えることなく説明した。
見事(みごと)と言えた。
熊五郎が知る限り、用途についても、正(まさ)に適当な説明と言えた。

>五六:初めのおどおどした歩きっ振りとは見違えるようだぜ。
>熊:惜しむらくは、そんな継ぎ方を使うところが、滅多(めった)にねえってこったな。・・・決まったぜ。お前ぇたちが鑿を使えるようになったら、真っ先にさせるのは『相欠(あいが)き』だ。できるまで他のはやらせねえ。
>千:そんな易しいのですか?
>熊:まだ作ったこともねえのにそう言えるか?
>千:い、いえ。そう聞かれると、どうとも・・・
>熊:だがな、それにしたって、まだずっと先だ。それよりも前に覚えなきゃならねえのは、掃除(そうじ)と後片付けだからな。
>万:は、はい。源五郎親方からもそう言われました。
つづく)−−−≪HOME