280.【た】 『他山(たざん)の石(いし)』 (2005.04.18)
『他山の石』
自分の石を研(みが)くのに役に立つ他の山の石という意味から転じて、自分の人格を磨(みが)く助けとなる他人の言行。自分にとって戒(いまし)めとなる他人の誤まった言行。
★「自分より劣っている人の言行でも自分の知徳を磨く助けとすることができる」とするとして、自分より優れた人の言行には使えない言葉とされる。が、一方、儒家には、「石」は「賢者」の喩えであるという解釈もある。
類:●人の振り見て我が振り直せ

出典:「詩経−小雅・鶴鳴」「他山之石、可以攻玉」<たざんのいし、もってたまをみがくべし>
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但馬屋(たじまや)三右衛門の印象は、あやの話から受けたものとは違っていた。
熊五郎たちをにこにこしながら奥へ招(まね)き入れたのである。
このような好々爺(こうこうや)が、娘の婚姻にだけ向きになるということもあるのだろうか?

>但:お話は甚兵衛親方から伺(うかが)っております。私事(わたくしごと)にお手を煩(わず)わせまして、申し訳御座いません。
>咲:お円さんはどうしてるんですか?
>但:はあ。それがですね、あたしがあんまりなことを言ったもので、引き篭もって泣き暮らしております。只今(ただいま)呼びにやっております。顔でも洗って、程なく来るものと思います。
>熊:それじゃあ、お円さんが来る前に聞かしてください。
>但:はい。なんなりと。
>熊:角之進さんが駄目だってのは、ほんとに商人(あきんど)に向いてねえからなんですかい?
>但:いえ。そんなことでもありませんよ。
>猪:は? それは、どういうことですか?
>熊:角之進さんに聞いたら、そういう風に言われたって言ってやしたけど。
>但:はい。確かに言うには言いました。ですが、本心からではありません。
>熊:どういうことで?
>但:聞けば、武士の身分を捨てても良いと言っておられる。そのくらいの心構えがあれば、商人になることもそれ程難しいことではありません。・・・況(ま)して、角之進さんは長く内職をしてきて、十分に腰も低い。そういう人なら、やがてお店(たな)を任(まか)せることもできましょう。
>熊:だって、駄目だって・・・
>但:なんとなくなんですが、今のままでは駄目なのです。もうちょっと、なんていうか、お円よりも強いところがないと。

>咲:分かった。商人にはなれるけど、ここの主(あるじ)にはなれないってことなのね?
>但:はい。そういうことです。女将(おかみ)が兎(と)や角(かく)口を出すようでは、先が見えているのです。
>咲:それって言い過ぎじゃない?
>但:あ、いや、女子(おなご)の前で言うようなことではありませんでしたねえ。申し訳ありません。・・・ですがね、縮緬(ちりめん)問屋のお客は、殆(ほとん)どが武家や商家のお内儀(ないぎ)様たちなのです。女将がカアカア鳴いていると、近寄ってこなくなります。
>熊:「雌鳥(めんどり)歌えば家亡(ほろ)ぶ」ですか。
>但:ほう、結構なことを知ってらっしゃいますな。正(まさ)しくその通りなのです。・・・当家には、有り難いことに立派な番頭もおります。手代たちも、義理堅い者ばかりです。今のままなら、万事(ばんじ)滞(とどこお)りなく回っていきます。そこへ、あたしの娘とその飼い犬が来て御覧なさい。どうなります?
>猪:「飼い犬」とまで言われるか。
>但:邪魔者と思えば、そうも見えましょう?
>猪:ううむ。

>熊:それじゃあ、どうするのが一番良いんでしょうねえ?
>咲:そりゃあ、角之進って人が、お円さんにびしっと言えるようになれば良いのに決まってるでしょ?
>熊:それができそうにねえから困ってんじゃねえか。
>猪:何しろ、絡(から)まれているところを、お円さんに助けられたというのだからな。
>咲:そうなの。・・・でもね、女子が殿方のどこを男らしいって見るかっていうと、決して腕力じゃないって思うのよね。
>猪:うむ。一理あるな。
>但:そうですな。あたしとて、腕っ節が強い訳ではありませんからね。
>熊:するってえとなんですかい? とどのつまりは、お円さんと角之進さんの2人の心持ちの具合いってことじゃねえですか。
>但:そういうことになりますかな。
>熊:そんなことになったら、おいらたちが手を出すようなことじゃなくなっちまう。
>但:そうですかな?
>熊:そりゃあ、そうでしょう。

>但:例(たと)えばの話ですよ。・・・聞けば、熊五郎さんとお咲さんとは同じ長屋に住んでいて、大層(たいそう)仲が宜(よろ)しいそうではないですか。
>熊:へ?
>咲:な、何を? え? ・・・どっからそんな話を?
>但:甚兵衛親方ですよ。なんでも、片方がお武家で、もう一方が職人で、そんな間柄だというのに、そう遠くない内に祝言(しゅうげん)をお挙(あ)げになるとか。
>咲:ないない、そんな話。
>熊:大家(おおや)の爺(じい)さんの捏(で)っち上げでやす。
>但:おや。そうなのですか? ・・・それは困りましたねえ。最後の頼みの綱(つな)だと思ったのですがねえ。これで、いよいよ、お円も首を括(くく)るようですかね。嗚呼(ああ)、若い身空(みそら)で、不憫(ふびん)なことをしました、まったくもってねえ。
>猪:そ、それはいけない。・・・そんなことになっては、こちらとしても夢見が悪い。どうだろう熊ちゃん、ここは人助けだと思って、なあ?
>熊:それとこれとは別もんだろう?
>猪:お咲ちゃんはどうだ?
>咲:ん? そうねえ。・・・良いわよ。で、何をすれば良いの?
>熊:あのなあ。お前ぇ、そんなことが許されて良いと思うのか? 六さんだって・・・
>咲:人助けなんでしょう? 良いじゃない。そういうことなら、夫婦(めおと)の真似(まね)だってなんだってするわよ。

どうやら、お節介(せっかい)焼きの甚兵衛の目論見(もくろみ)は、人助けという形を借りて、仲睦(むつ)まじいお飯事(ままごと)のような暮らしをさせようということらしい。
仮(か)りにでも、暮らしてみればなんらかの変化があるだろうという魂胆(こんたん)である。
お咲としても望むところである。
これに関して、父・六之進がどういう判断を下すのか、ちょっと鎌を掛けてもみたいところである。
熊五郎がどういう反応をするかよりも、六之進の心を見てみたかったのだ。
お円と角之進が自分たちをどう見るかや、そこから何をどう手本にするのかなど、二の次のことである。

>咲:それで? どういう風にすれば良いの?
>但:そうですね。暫(しばら)くうちの離れで暮らしていただいても良いですかな?
>咲:良いわよ。そんなに遠い訳じゃないし、「だるま」から夜道を帰るのだって、用心棒付きなら安心だしね。
>熊:あのなあ、勝手に決めるなってんだ。こっちにはこっちの仕事ってもんがあるんだぜ。
>猪:そのことなら、うちの師範を通して頼んできても良い。
>但:当然、手前共の方からも、きちんと筋を通させていただきます。何しろ、祝言前のお2人に無理を言って暮らしていただく訳ですからね。
>咲:そっちの方はお願いしますね。・・・それで? いつからお芝居を始めれば良いの?
>熊:勝手に話を進めるなってんだ。
>但:これから遣(つか)いの者を出しますので、明日の昼過ぎからというのでどうでしょう?
>咲:承知(しょうち)。・・・で、いつまで?
>熊:だからよ・・・
>但:ええと、それは、角之進の性分(しょうぶん)に、なんとか変わりそうな兆(きざ)しが見られるまでとしか。
>熊:あのねぇ・・・
>咲:若(も)しくは、お円さんの性分が変わりそうになったらってことで。
>但:分かりました。宜しくお願いいたします。
>熊:ちょ・・・
>咲:もう決まっちゃったのよ。さっさと親方んとこに帰って事情を話してきたら?

こんな様子を見て、本当に角之進とお円の様子が変わるものだろうかと、猪ノ吉は思った。
(これじゃあまるで、悪い見本だな。こうじゃいけないと気付く元くらいにならなって呉れるかも知れないな・・・)
猪ノ吉は、不安を抑(おさ)えて、自分に課せられた役目に徹しようと努(つと)めた。

そんなところに、お円が入ってきた。
慌(あわ)てて目の周りに塩でも擦(す)り込んできたような顔をしている。
(一体どこまで根回しされているんだ、こりゃ? あの悪乗り大家が・・・)
猪ノ吉は、自分の目を覆(おお)いたくなっていた。
つづく)−−−≪HOME