220.【し】 『死人(しにん)に口(くち)なし』 (2004/02/23)
『死人に口なし』
1.死人を証人に立てようとしても不可能なことである。
2.死者が抗弁できないのを良いことに、無実の罪を着せる。
類:●Dead men tell no tales.<「英⇔日」対照・名言ことわざ辞典
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遅れてきた松吉も、その話には詳(くわ)しいようだった。

>松:本郷の辺りに住んでる飾り職仲間なんだがな、母ちゃんがやられちまったんだとよ。
>八:なんだと? そんな身近なとこでも起こってたことなのか?
>松:ああ。「こんなことなら小遣い銭を減らしときゃ良かったな」なんて言ってやがったぜ。
>八:そりゃあねえだろ。母ちゃんだって、少ないのを切り詰めて貯め込んでたんだろうからよ。
>松:まあな。唯(ただ)の憎まれ口だろうがな。・・・それにしても、酷(ひで)えことをしやがる。
>熊:飾り職ってのは、お前ぇのとこみてえに長屋でする仕事だろう? そんなのが狙われちまうのか?
>松:いくら仕事場がうちだからってったって、月に3遍くらいは出掛けるさ。品物を納めて、次の仕事を貰ってこなきゃならねえ。細工の材料だって買い付けてくるんだぜ。
>熊:そりゃそうだ。でも、それってのは、決まった日なのか?
>松:俺は決めてねえが、そいつは5の付く日って決めてたんだ。生真面目(きまじめ)な奴でよ。
>五六:それじゃあその悪い奴らってのは、それを知ってたってことなのか?
>松:そういうこったな。

>熊:・・・こりゃあ、2人や3人じゃねえかも知れねえぞ、そいつら。
>八:どういうこった?
>熊:考えてもみろ。見慣れねえ面(つら)の2人組がしょっちゅう彷徨(うろつ)いてりゃ、みんな警戒するだろ?
>八:それで?
>熊:何組かが代わり番こに来て見張る。そして、元締めのところに報告するのよ。そんでもって、もしかすると、実際に騙(かた)りをやるのは、別の奴らってことなら、誰も顔を覚えちゃいねえ。
>八:はあ、巧妙だな。お前ぇなら、立派な騙りができそうだ。
>熊:するか、そんなこと。

>友:捕まえたいですね、そいつら。
>松:なんだって? あんたがかい?
>友:1人じゃ無理ですよ、勿論。でも、許せません。
>八:そんじゃあ、決まりだな。
>友:何が決まりなんですか?
>八:捕まえるのさ。おいらたちで。
>友:そんなこと、大工が関わることじゃないですが。
>八:良いの。なあ、熊。
>熊:そういうこと。師走(しわす)に働き過ぎちまったもんで、身体(からだ)が鈍(なま)っちまったしね。
>友:でも、そんなことをしてたら親方に叱(しか)られませんか?
>八:叱るも何も、当の親方が大好きなんだもんな、そういうの。
>熊:そりゃあ言い過ぎだ。・・・唯ね、仕事に差し障(さわ)りがねえんだったら、駄目とは言わねえ。
>五六:二進も三進もいかなくなったら、手を貸してくださるかも知れませんぜ。
>三:いっそそういう風になりゃ良いのにな。
>四:見てみたいもんですよね、この目で。
>友:なんという人たちなんでしょう・・・

そこへお花が、大皿に盛られた御田(おでん)を運んできた。大盛りである。
ここのところ客の入りが多いもので、機嫌が良いのだろう。
八兵衛は、待ってましたとばかり大根にむしゃぶり付いた。源五郎と違って、熱いものは平気なのだ。

>八:なあ。お花ちゃんも混ざらねえか?
>花:え? なんのことですか?
>八:お花ちゃんもちょっとは聞いたことがあんだろう、年寄りを騙(だま)くらかす悪い奴らがいるってよ。
>花:ええ。酷(ひど)い話ですよね。
>八:おいらたちが、どこの誰だか尻尾を掴まえて、ふん縛(じば)って懲(こ)らしめてやろうってのさ。
>花:探し出せるんですか?
>八:こんだけ雁首(がんくび)が揃ってりゃなんとでもなるさ。それに、こっちには有能な下っ引きも付いてるしな。
>熊:こら、勝手に決めるな。
>八:お前ぇが怒ることはねえじゃねえか。それとも何か? お咲坊はお前ぇのナニだとでも言うのか?
>熊:な、なんてこと言い出しやがる。おいらは唯、小娘には危な過ぎるって、普通のことを言ってるだけだ。
>八:だけどよ、決めるのは本人だろ? 聞いてみなきゃ分からねえじゃねえか。
>熊:そんなの、聞く前っから分かり切ったことじゃねえか。
>花:・・・あの。お咲ちゃんが混ざるんなら、あたしも混ぜてください。

お花はやる気満々である。
藤木嘉道(よしみち)・嘉剛(よしたけ)のときで味を占めた感もある。

>花:その騙りのことなんですけど、死んじゃった人までいるそうじゃないですか。
>八:え? そうなのか、半次?
>半:ああ。俺も聞いた。床下にあった壷(つぼ)が空っぽになってたそうだ。1両騙し取るより、全部掻(か)っ浚(さら)っちまった方が手っ取り早いとでも思ったんだろうってことだ。
>八:相当貯め込んでたんだな、きっと。
>半:近所じゃ「業突く張りの厳兵衛」って呼ばれてたそうだぜ。高利貸しみてえなことをやってたそうだ。
>八:そりゃあ罰(ばち)が当たったってことだな。
>松:どんな嫌われ者だって、命まで取って良いってことにはならねえだろう。
>八:そりゃあそうだ。
>半:「1両だって出すもんか」とかって喚(わめ)いたんじゃねえのか?
>八:そうかもな。・・・そう考えると、下手(へた)に騒ぐのも考えもんだな。
>松:はいそうですかって渡せば良いってのか?
>八:そうじゃあねえけどよ・・・

>熊:こんな言い方をしちゃいけねえかも知れねえが、生き残ってて呉れた方が、人相書きとかのためには有り難えんだがな。騙し取られた銭だって、取り返せるもんだったら返してやりてえしな。
>半:死んじまったもんは取り返しが付かねえぜ。
>熊:まったくだ。命あっての物種だな。
>半:それじゃあよ、先ず、松つぁんの知り合いのとこ辺りから聞いてみようじゃねえか。
>熊:そうだな。・・・案内して呉れるか?
>松:まあ待ちなって。母ちゃんもがっかりしちまって寝込んでるっていうし、みんなで押し掛けたりなんかしたら、それこそ死んじまうかも知れねえじゃねえか。おいらが1人で行ってくるよ。
>八:1人で大丈夫なのか? うちの四郎でも付けようか?
>松:うーん。そうだな。・・・それじゃあ、お咲坊にでも付き合って貰うとするか。
>八:なんだと? 四郎じゃ頼りにならねえってのか?
>松:そうじゃねえよ。向こうだって、男2人より、有り難かろうと思ってよ。
>半:そうだな。近所の手前、あんまり物々しくねえ方が良い。
>八:それなら仕方がねえ。・・・ということは、本人の気持ちがどうあろうと、お咲坊を巻き込んじまうってことだな。なあ、熊。
>熊:おいらの知ったことじゃねえだろっての。
>八:何を照れてやがる。ほんとは嬉しい癖に。
>熊:お前ぇなあ、終(しま)いにゃ怒るぞ。

熊五郎はぐいと猪口(ちょこ)を呷(あお)り、お花に酒の追加を頼んだ。
さっきから遣り取りを大人しく見ていた友助は、冷め始めた半片(はんぺん)を突(つつ)きながら、隣にいる三吉に尋ねた。

>友:お咲ちゃんというのは、新年会に来ていたあの娘さんですよね?
>三:そうですよ。熊兄い・八兄いと同じ長屋に住んでるんです。
>友:熊五郎さんの、許婚(いいなずけ)かなんかなんですか?

それを耳にした熊五郎は、思わず、飲んでいた酒を吹き出してしまった。
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