第11章「変梃斉ちゃんのお忍び(仮題)」

98.【お】 『女賢(さか)しうて牛(うし)売(う)り損(そこ)なう』
 
(2001/10/09)
『女賢しうて牛売り損なう』[=売られぬ]
女は、利口(りこう)なようでも大局を見通す力に乏しく、目先の欲にばかり囚われて、却(かえ)って事を仕損じるものだ。
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空梅雨(からつゆ)で水不足を心配していたら、秋口になって立て続けに台風が上陸し、あちこちに浸水の被害が出ていた。
まったくとんだ異常気象である。
板戸が割れただの、雨漏(あまも)りがするだのと、半端(はんぱ)な大工仕事がぞろぞろ出てきて、源五郎はてんてこ舞いしていた。

>八:ねえ親方、こんな簡単な仕事なら、五六蔵たちに任(まか)せちまっても良いんじゃねえですか?
>源:そうさなあ・・・
>五六:ほ、ほんとですかい、親方?
>源:一先(ひとま)ず、どんな具合いか確かめてみて、大したもんじゃないようなら、任せるとするか。
>五六:やったあ。おい、三吉、四郎、喜べ、やっとお許しが出たぞ。
>熊:その代わり、下手(へた)な仕事なんかしてきやがったら、承知しねえぞ。
>五六:分かってますって。雨漏りの修理なんかちょちょいのちょいっすよ。
>熊:大丈夫かよ?
>八:まあ、良いんじゃねえか? おいらたちだって腰を据えて仕事に掛かれるんだし。
>熊:言っとくがな、あんまり調子に乗って、屋根から転(ころ)がり落ちたりするなよ。

早速(さっそく)3人は、源五郎に伴われて、修理の様子見に出掛けた。
その日回ったところに限っては、特に大仕事になりそうなところはなく、源五郎の判断で担当する家が振り分けられ、必要な材木が指示された。
日頃手伝っている作業に比べれば、子供でもできる類(たぐい)のものばかりだったが、誰に指図(さしず)されることなく、思う儘(まま)にできるということが嬉しかった。

>八:親方ぁ、五六蔵たちの方は順調にいってますか?
>源:どうにかな。仕上がりはちょいと不細工(ぶさいく)だが、大方のところは満足して呉れてる。
>熊:これで、あいつらも少しは自信が付きますかね。
>源:碌(ろく)な銭にはならねえが、こんなところからやらせてけば、骨(こつ)が分かってくるだろ。習うより慣れろってとこだな。
>八:これからは、おいらたちも段々楽ができるようになるってことですかね。
>源:そんなことばかり考えてると、給金を減らすぞ。

異常な気候も、秋が深まってゆくに従って少しずつ安定してきていた。
そんな折、武蔵(むさし)の国辺りで、山火事が頻発(ひんぱつ)しているという噂が流れてきていた。
源五郎たちにとっては、向こう河岸(がし)の火事だったが、何人かの人が焼け死んだとなると、決して楽しい話ではない。

>八:物騒(ぶっそう)な世の中になりやがったなあ。
>四:なんでも、一時(いちどき)に3箇所も4箇所も燃えたそうですよ。付け火ですね、間違いなく。
>三:山になんか火を付けてなんになるってんでしょうかねえ? 火事場泥棒しようって訳でもないでしょうにねえ。
>熊:そういう奴は、ものが燃えるってのが嬉しいんだろ。一種の変態だな。
>八:おいらにゃ分からねえな。花火とかなら分からねえでもねえがな。
>三:でもまあ、町中(まちなか)じゃなくて良かったですよね。
>熊:町中だったら大事(おおごと)だろうな。死人の数だってどんだけ出るか分かったもんじゃねえ。
>四:でも、その火付けをやらかした咎人(とがにん)って、まだ捕まってないんでしょう? 町中に出てこないとも限らないですよ。
>八:脅かすなよ、おい。・・・だがよ、あんだけ派手なことをやったんだから、すぐにでも捕まるんだろうよ。
>熊:そうだと良いんだがな。

ところが、数日後、また別の山3つに、火が付けられたという話が聞こえてきた。
熊五郎たちだけでなく、町中がその話題で持ち切りになっていた。
「だるま」の客たちの間でも、御多分に漏れず、確証のない憶測が飛び交(か)っていた。

>半次:なあお夏ちゃん、一体(いったい)どんな野郎が火を付け回ってるんだと思う?
>夏:そうねえ、相当根暗な人ね。燃えるのを見ると明るくなれたような気になるんじゃないの?
>半:根暗は外の火くらいじゃ治(なお)らねえっての。なあ。
>夏:治(なお)ってないから、何箇所も火を付けるのよ。
>熊:だがよ、一晩に3箇所も山火事を起こすってのは、根暗1人にゃ大変過ぎるって思わねえか?
>半:じゃあ何かい? 咎人は1人じゃねえってことか?
>熊:勘繰(かんぐ)り過ぎかも知らねえが、なんだか仕組まれてるような気がして仕方ねえんだよな。
>半:仕組まれてって、もしかすると誰かが計画して始めたことだってのかい?
>熊:そうとも言い切れねえんだけどよ・・・
>夏:思い過ごしよ。だってそうでしょ? 何もない山に火を付けたってなんの得にもならないじゃない。
>八:そうだよ、熊。付け火は死罪だぞ。危ない橋を渡ってまでするようなこととは思えねえな。
>夏:そうよ。よっぽど、悪徳両替商のところにでも押し込んだ方が、手っ取り早いじゃない。

そこへ、ふらりと、源五郎が現れた。

>八:あれ、親方、珍しいこともありますねえ。お一人ですかい?
>源:ああ。ちょいと悪い話が聞こえてきたんでな。明日お前ぇたちに調べに出て貰いてえと思ってな。
>八:悪い話ってなんです?
>源:ある材木問屋が半月前から矢鱈(やたら)に材木を買い漁(あさ)ってたってんだ。
>熊:一体どういうことですか?
>源:お前ぇたちも知ってるだろうが、今じゃあ江戸の材木の半分以上は武蔵の西川材を使ってる。それが、今回の山火事で、急に品薄になっちまった。
>熊:材木の相場が上がるってことですか?
>源:恐らくな。俺たちが思ってるより木曾の材木って多くは入ってきてねえんだよ。その材木問屋は、その木曾の材木まで買い占めてるみてえなんだ。
>熊:山火事で材木が足りなくなるってことが、端(はな)から分かってたみてえじゃねえですか。
>源:どうやら、そうらしいな。
>八:はあ。まったく巧いことを考え出したもんですねえ。
>熊:悪事のことを褒(ほ)めるんじゃねえっての。

>夏:それにしても、よく考え付けるものよね。
>熊:昔から悪知恵とかって言うじゃねえか。人間ってのは悪い方向には特にお頭(つむ)が働くもんなんだよな。
>夏:あたし、そんな途轍(とてつ)もない話、思いも寄らなかったわ。・・・あたしも、所詮(しょせん)は女ってことね。
>熊:そうでもねえさ。男だ女だなんてことじゃんえの。お夏坊は道に外(はず)れたこととは縁遠いってことの証(あかし)だな。
>八:お前ぇ、偶(たま)にゃ良いこと言うな。
>夏:・・・けど、女子(おなご)の方が、目先の小さい損得ばっかり気に掛けちゃうってのは、有りがちのことよね。
>熊:それはな、日ごろ扱ってる銭とか物とかが小さいせいであって、生まれながらのものじゃねえの。

折角(せっかく)来たのだからと薦められて、源五郎も座に加わった。
材木問屋のことに付いて、分かっている限りのことを皆に説明した。

>半:親方、材木が高くなっちまったら大工も困るんじゃねえですか?
>源:覿面(てきめん)だ。
>半:おいらたち建具職だって、他人事って訳にはいきやせんよ。・・・ねえ親方、おいらたちで何かできることはねえでしょうかねえ?
>八:何かってお前ぇ、相手はお頭が良い奴で、しかも大人数かも知れねえんだろ? おいらたちの手には負えねえんじゃねえのか?
>半:そりゃあそうだがよ、ただ指を銜(くわ)えて見てろってのか? 冗談じゃねえぜ。
>夏:あたし、その話に乗った。
>熊:お夏坊・・・
>夏:親方には、兄上のことで物凄(ものすご)くお世話になっちゃったんだもの、何かお手伝いしたいわ。
>熊:だから、おいらたち一介(いっかい)の町人が関わるような問題じゃねえんだって。
>夏:それじゃあこうしましょ。兄上に詳しいことを調べてきて貰うから、その後でまた話し合う。・・・兄上ったら、急にやる気を起こしちゃったみたいで、近頃、上からの受けも良いみたいなの。
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★お詫び 時代考証を誤っています。
「根暗(ねくら)」は、「根が暗い」を短縮した俗語であり、この時代1801年当時には使われていません。成立は不詳(昭和後期頃〜平成初期頃か)。 (上に戻る